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第三十八話「信用の結果(二)」

「……一拳、三界二十五有」


 呟いているのはシラハだ。意味も分からぬ単語の羅列。毒による発熱で意識に障害が出たか。

 だがクネヒトは血相を変えた。


「テメッ……クッ!」


 シラハの方へと向かおうとするが、それをレゼーレの剣が牽制する。


「あら、私に背を向けるおつもりですか? それならば私は溜飲を下げるだけです。――よくも私にあのような侮辱を下さったものですね。舌禍の報い、受けてみますか」

「クソッ!」


 『十騎聖』達はもちろんシラハの意図に気付いていた。


 冒険者や武人達の中には、技を出す際に気合を発したり、技の名を口に出す者がいる。例えばクネヒトも『疾風無槍』を繰り出す時にその名を口にしていた。


 一見何のメリットもないように思えるかも知れない。魔物相手ならともかく、人間相手の戦いで技名や気合を声に出せば攻撃を読まれる。敵を利するばかりの行為に見えるかも知れない。


 だが、もちろん意味はあるのだ。それには魔力が関係している。


 人間が体内に蓄えている力、魔力。これを扱うには本来魔術を身に付けなければならない。術式を学び、詠唱によって魔力を現実の現象や力に変換する必要がある。魔術を知らない者には魔力は扱えない。


 しかし、例えば高位の武人などは自身の肉体を思いのままにコントロールする。肉体は制御できるのに魔力だけがコントロール出来ないなどということが果たしてあるだろうか。

 そんなことはない。一定の領域に達した武人なら魔力を扱うことが出来る。磨き上げた武技が術式の変わりとなる。そして口から発する気合や、技の名が詠唱となる。この現象は様々な呼び方をされるのだが、多くは「武技の魔術化」などと呼ばれる。


 もちろん本物の魔術に比べれば効果や自由度は低い。武技の威力や速度を底上げするのがせいぜいだ。だが例えば『十騎聖』クネヒトの『疾風無槍』は魔力で強化されることによってシラハでさえ貫き難い鉄壁の守りと化した。


 よってシラハが零す呟きもただの呟きにあらず。これは口上。もっと言うならば「詠唱」なのだ。


「一瞬に四拳……此を一息に至るまで、重ねよ……」


 その口上はかつてシラハの師が良く祈りの際に唱えていた文句に由来する。


 師の信じていた神は四十の腕を持つ。だが本当は千本なのだという。人の身では一本にしか見えない腕は、実際には二十五の世界に伸ばされていて、それが四十本。二十五掛ける四十で千。


 千手の神。


 シラハ自身は特にその神を信仰している訳ではない。だが時が流れ、孤王を倒すと決めた時、ふとその神のことが脳裏をよぎった。


 もし『明けぬ夜(ムルケティド)』を倒すというのなら、千手の神の如くならねばならない。一撃だけでも世界に通じる威力の拳を、千発打ち放つ――そんな領域に至らなければいけないのだと思った。


 だからシラハは「詠唱」を作り出す際に、その祈りの文句を取り入れることとした。


「瞼の閉じ開くを瞬と()う……十の瞬を息と()う……」


 この口上は本来はその千手の神の領域に至るためのもの。もし万全のシラハが精神を統一し、その上でこの口上を唱えて「その技」を繰り出したのなら、『明けぬ夜(ムルケティド)』でさえ立っていることは出来ない。


 だが今のシラハは毒で立ち上がることさえままならない。「その技」そのものを繰り出すことは出来るはずもなかった。


「なれど総身は萎え……息は能わず、瞬も能わず、一拳のみ打ち振るわん……まぁ、要するに……」


 しかし口上により魔力が活力に変換される。その力がシラハを立ち上がらせる。焦点も定まっていなかった双眸に光が戻る。その眼光はクネヒトを真っ直ぐに捉え、


「今からあんたをぶちのめす」


 シラハの姿が一条の雷と化した。それ程の突進だった。


「ッ――!」


 クネヒトが決死の形相で剣をシラハに向けようとする。レゼーレから視線を切ることになるが、そうしなければ自身の五体は砕け散るのだと悟ったのだ。


 だが雷の前ではあまりにも緩慢。


「『四半百有蓮拳』」


 瞬間二十五打。うち、クネヒトが防ぎ得たのはわずか六打。

 残りの十九打は全てクネヒトの体を貫いた。


 本来の威力、数には到底及ばない、『雷勁』も籠もっていない、酷く劣化した技だった。


 だがその劣化した技によってクネヒトの左腕と右足は千切れ飛んだ。肋骨は全てが折られ、さらにその上建物の壁に叩きつけられる。


「げ、は……」


 クネヒトは意識もうつろといった様子だ。そのまま地面に頽れ――


「ぐ、ぅうううううううう!」


 左足一本で踏みとどまった。四色で染まっていた派手な衣装を、おびただしい出血で赤一色に染め直しながらも倒れない。『十騎聖』、何というしぶとさか。


 倒れる寸前で意識を取り戻したクネヒトは右手に残る親指と人差し指を口に突っ込み、指笛を甲高く吹き鳴らすと、


「『(ゲルブ)』! 『薄茶(ベイジ)』! やれぇええええええ!」


 優秀なる部下『色有り(ファルプシュトフ)』に向かって指令を出した。


 レゼーレが目を見開いた。


「……魔術師! やはりまだ……!」


 そう。アシェノールに来て一番最初にシラハ達を襲った三人のうち二人。炎を使う魔術師と、砲丸を放つ魔術師。彼らの現況をレゼーレは把握していないのだ。


 確かにある時を境に彼らからの攻撃は無くなった。だがそれは魔力切れなどが理由ではなかった。クネヒトの計略だったのだ。


 今、このタイミング。クネヒトが窮地に追い込まれた最後の最後、逆転の切り札とするためにクネヒトは魔力の温存をあらかじめ命じていたのだ。


 シラハは地面にうずくまっている。技が終わったので魔力による身体補助がなくなったのだ。今度こそシラハは動けない。レゼーレも助けに入れる距離ではない。


 クネヒトが叫ぶ。


「あばよぉ、『雷拳』シラハぁ!」


 シラハはうずくまったまま顔だけを上げる。

 そして、


「あぁ……石と炎使い共か……あいつらは」


 絶体絶命であるはずのシラハが笑う。


「もうとっくに、ぶちのめしておいたぜ」

「なんっ……だとぉ……!」


 



 クネヒトと戦う前、シラハが爆竹を食らった直後のことである。


 襲いかかる五人の刺客達をシラハは全力で殴った。もちろん胴や頭を殴れば殺してしまうので、敵の手足を薙ぎ払った。こうすれば寸止めやら威力の加減やらを考えなくても済む。ただ思い切り鉄槌や手刀を振り抜けばよい。爆音で平衡感覚の乱れたシラハが取り得る最善の攻撃手段だった。


 手加減を一つ止めたシラハの動きには『色有り(ファルプシュトフ)』達も対応しきれなかった。結果、二秒と立たずに彼らは手足のどれかを失い地面に倒れ伏すこととなった。


 約束の二十秒まで残り七秒。だがそんな悠長なことを言っている場合ではない。爆竹を受ける直前、ファス達のいる方角に凄まじい気配を感じた。敵は最低でもカブートと同格。もしかすると『十騎聖』かもしれない。それを思えば一秒でも速く彼女たちの元へ駆けつけなければいけない。


――急げ……っ!


 踏み出そうとしたが、目眩によりバランスを乱した。視線が一瞬の間だけあらぬ方向を向く。


 だが、それは怪我の功名だった。視線の向いた先、街の外壁寄りの建物の屋根上を二つの人影が移動しているのが見えた。二人とも杖を担いでいる。魔術師だ。


 しかも片方には見覚えがある。砲丸を放ってきた魔術師だ。となるともう片方は炎の魔術師か。


――そういや……


 確かにシラハは魔術師達を倒してはいない。ただ彼らの射線から逃れただけだ。もし彼らに見つかればまた魔術を撃たれてしまうだろう。


 シラハは目眩を堪えて思考を高速で巡らせる。


――どうする……!


 魔術師を放置するのはもちろん悪手だ。レゼーレ達の方面にいる敵は相当な強者。その強敵と戦いながら魔術狙撃まで警戒するのは不可能と言っても過言ではない。今のうちに倒しておく必要があった。


 だが今のシラハの位置から魔術師達を倒すには最速でも三秒かかる。確かに約束の時間にはぎりぎり間に合うだろうが、果たしてレゼーレがあの強敵を前にして三秒持ち堪えられるかどうか。


 シラハは懊悩した。何日も考え込んだのと同じくらいの自問自答を、一瞬にすら満たない間で繰り返す。自身が歯軋りをしていることも気付かないほど深く思考に没頭する。


 だが鉄火場においては思考の深さより決断の早さこそが重要だ。『雷拳』シラハはそれを心得ている。

 結果、シラハは決断した。


――俺は、信じる。


 レゼーレは「二十秒」と言った。ならば彼女は必ずそれだけの時間持ち堪える。シラハはそう信じることにした。


 根拠がないわけではない。が、その根拠に対する反証もまた存在する。だから結局は無根拠に「信じる」しかなかった。


 シラハは己の中の迷いを押し殺し、魔術師達を叩きのめすために足を踏み込んだ。

 ぐらぐらとした目眩も、きんきんと鳴る耳鳴りも、置き去りにせんとばかりに。





「……バケモノがよぉ」


 クネヒトが半ば呆然と零す。


「人間がそんなに速く走れる訳ねぇだろうが……いや、そもそもテメェには『(ゲルブ)』と『薄茶(ベイジ)』を潰しにいくなんて判断、出来る訳……」


 つまるところ、それが勝敗を分けたのだった。


 シラハはクネヒトと対峙する前に、既に選択を終えていた。


 レゼーレ達の元に駆けつけるのを遅らせてでも魔術師達を倒すと決めた時、いや、もっというなら『晦冥(かいめい)の森』でファスに雇われたその時に、シラハは「信じる」という選択肢を選んでいた。


 そしてこのアシェノールでの戦いでシラハは最後までその選択を貫き通した。


 それが正しいのか間違っていたのかは今になってさえ分からない。だが結果として、クネヒトの最後の一手を封じることに成功した。


 左腕も、右腕も、逆転の一手さえも失ったクネヒトは、


「認めてやるよぉ」


 それでもふてぶてしく歯を剥いて、言った。


「テメェ等の勝ちだ……『雷拳』、『椿撫で』」


 手段を選ばぬこの男にも一握の矜持があったのか、その言葉にだけは嘲笑も軽薄も混じってはいなかった。紛うことなく、クネヒトが本心から述べた言葉だった。


 だが、その本心すらも道具として扱えるのが『極彩色』であった。


「……! いけません……!」


 何かを察知したレゼーレが声を上げた。


 クネヒトは最後に一言だけ呟いた。


「燃えろ……『着火(アンツュンデン)』」


 直後、クネヒトの足下から白い煙が猛然と噴き上がる。


――煙幕か……!


 クネヒトは殊勝に負けを認める台詞の隙に煙幕弾を足下に落としていたのだ。それを魔術によって点火した。


 発火の魔術。小指の先よりも小さな火を発生させるだけの簡素な魔術。しかしその小さな火で煙幕弾は発火し、もうもうと煙を発した。


 その煙幕はたちまち道いっぱいに広がった。


「くっ……!」


 レゼーレがファスを抱えて煙幕の範囲から飛び退る。そうするしかなかった。


「シラハ! 煙を吸わないで下さい……!」


 この煙幕にも毒が含まれているかも知れない。レゼーレやシラハなら多少吸っても問題ないかも知れないが、普通の子供であるファスはそうは行かない。それを考えればレゼーレは退くしかない。クネヒトへ追撃を与えることは出来ないのだ。


 そしてそれはシラハも同じ。体が上手く動かない状態では地に伏せて息を止める以外に出来ることはなかった。


 立ちこめる煙の向こうにクネヒトの姿が消えていく。何度か不規則に地面を蹴る音が聞こえたが、すぐにそれも遠ざかっていく。


 そして煙が晴れた時にはもう、クネヒトは完全に姿を消していた。


「……撤退しましたか」


 レゼーレが呟いた。

「だな。逃げ足も一流ってか……ぐ……」


 シラハはふらつきながらも何とか立ち上がった。ファスが心配そうな目で見上げているようだ。「ようだ」というのは、目眩が酷くファスの顔がよく見えないからだ。


「俺達も……ここを……」

「はい。この通りを離れ、一度どこかの路地に身を隠しましょう。そこで毒の応急処置をします。もう少しだけ、耐えて下さい」

「……あぁ」


 シラハは体に鞭を打ち、レゼーレの後について歩き出した。


――ここまでやられたのは本当にあの日以来か。


 毒もそうだが、おそらく打撲も酷い。クネヒトの槍の打撃が何度も身を掠めた。今のシラハには分からないが、きっと青痣だらけになっているに違いなかった。

 だが、


――良くやった方だよな。


 何しろ今回の敵は、大陸最強との呼び声も高い染槍傭兵団の精鋭『色有り(ファルプシュトフ)』が十人以上と、さらに彼らを率いる『十騎聖』第九席、『極彩色』のクネヒトだった。おそらく状況次第では城すらも陥とせる戦力だ。


 それを相手にファスとレゼーレを守り抜き、さらには自身も生き延びた。


――流石に俺達の勝ちってことでいいだろ。


次回更新は月曜です、書き溜めきれませんでした。

でも多分来週で第一章完です

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