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第三十六話「無意識」

 石畳を蹴り、壁を蹴り、あらゆる方向からシラハはクネヒトを攻め立てる。風を巻いて渦巻くクネヒトの槍をかいくぐらんとする。

 目にも止まらぬ槍の暴風が通り過ぎた刹那に生じる、子供でもなければ通れないほど小さな隙間にシラハは強引に踏み入って、


「『昇陽槌』!」


 鉄槌を振り上げるものの、


「そりゃ無理だろぉ!」


 クネヒトの赤と緑の……目がチカチカする……上衣を掠めることが精々だ。どうしても踏み込みが半歩足りない。さりとてその半歩を無理に詰めようとすれば槍はその無謀を咎めに来る。


 遠い、とシラハは何度思ったことだろう。このアシェノールの街の端から端まで一呼吸で移動できる韋駄天が、たかが剣一本や槍一本の間合いを詰め切ることに心血を注がなければならない。『十騎聖』。シラハとは全く別の「武」を磨いてきた猛者達。その間合いを、衰弱しつつあるこの身で超えなければならない。


 攻撃を仕損じたシラハを打ち据えんと槍が翻る。狙いはまた胴である。胴への薙ぎ払いは回避が困難だ。上か下か、二つに一つだが、どちらを選んでも足が鈍る。詰めた間合いが遠ざかる。

 それを知りつつも、シラハは側転で槍を乗り越えるようにして避ける。が、


「へへ! どうしたよぉ、こんなもんか!」


 そうすればクネヒトの槍は止まらない。回転の勢いを絶やさずに、シラハの首を落としに来る。

 やむを得ずシラハは受け流す。できるだけ力に逆らわないように受け流したにもかかわらず、腕に腱が切れたのではないかと思うほどの激痛が走る。


「グッ……!」


 痛みはいい。慣れている。だが痛みは感覚を鈍らせる。それは困る。ただでさえ毒で痺れている腕が、さらに打撃で痺れてしまってはもう腕が自分のものとは思えなくなる。

 それでも受ける。避ける。


 槍の暴風が立てるごうごうという音に、バチッ、バチッ、と時折弾けるような音が混じり始める。シラハの腕が槍の柄を受ける時に生じる音だ。受ければ受けるほどに腕が弱ると知りながら、シラハは『疾風無槍』の暴風圏に身を起き続ける。


 槍を相手に下がるのは愚策というのもそうだが、これ以上後退すればもう前に進めないかも知れないからだ。


 だが暴風は容赦なくシラハを削り、


「おかわりだぜぇ、シラハよぉ!」


 三度目の流血。シラハの右眉の上に赤い線が走る。


――斬られた、か……?


 もう肌の感覚では傷の深さが測れない。衝撃を受けた感覚は無かったので、皮膚を浅く斬られただけなのだろうが何の気休めにもならない。シラハがさらに毒を食らったということを意味する上に、流血によって右目の視界が制限される。


 全身の痺れ、血で狭まる視界、目眩。シラハは自分がどんどん世界から遠ざかっているような感覚に襲われた。


 朦朧とした意識で、戦い、戦い、戦い続け、


――あ、れ……おかしいぞ……


 ぼやけるあたまはうだるようだったが、そこに一つの疑問がぼんやりと浮かび上がった。


――何で俺はまだ、戦えてる……?


 意識こそぎりぎりで保っているが、戦術的な思考をするにはあまりにも覚束ない。もうとっくにクネヒトに殺されてもおかしくないくらいのはずなのだが、そうなっていない。槍の暴風の中で未だにシラハは生きている。


 クネヒトが無理な攻めをせず守りに徹しているからか。否。

 ふとクネヒトの表情が目に入った。


――あれ?


 思ったより余裕のない表情だった。

 クネヒトが舌打ちするのが聞こえた。


「ちぃ……何なんだよぉ、テメェは……毒食らってるくせに、なんで動きがよくなってるんだよぉ!」


――動きが、良くなってる? んな、わけ……


 こんな病人も同然の状態でいい動きなど出来るはずがない。

 だが意識を集中してみれば体の動き自体はあまり鈍っていなかった。むしろ『疾風無槍』のリズムに適応し始めている。雑兵ならば八つ裂きになるような槍の嵐を、踊るように捌いている。


「しぶてぇ野郎だよぉ、ほんっとに……」


 槍を目まぐるしく振るいながらクネヒトが零す。

 間合いが近づき始めていた。満ちる潮のようだ。寄せては返す波のように近づいたり離れたりを繰り返しながら、全体を見るとシラハはクネヒトに攻め寄りつつあった。


 鬼神のごとき己の戦い振りを他人事のように感じつつ、


――なん、で……


 疑問を抱いたシラハの脳裏に響く声があった。


――勝つための思考。それも無意識に刻まれていると気付くはずだ。


 誰の言葉か……言うまでもない。忘れることなど出来ない。それはシラハの師匠(クソじじい)の言葉だった。

 シラハの師は折に触れて形稽古の意義を説いた。


――何千何万、繰り返して……合理的な動きが……無意識に刻まれる……


 正確には師が実際に言った言葉なのか、それを思い返すシラハの思考なのかは分からない。だがともかく、師の教えであることは間違いなかった。


――その域に達すれば、その合理ってヤツが……体捌きだけじゃない……思考、思考も……無意識に……


 無意識。


 そうだ、無意識だ――そうシラハは理解した。目の前が開けるような気持ちだった。


 シラハは自身に対人戦の経験が不足していると知っている。

 だから敵の武人と相対した時は決して手癖で戦わないよう、思考を常に巡らせていた。魔物と違って高度な思考を有する人間相手に今までの冒険者流の戦いではダメだ。新たな戦い方を見出さなければならない。何しろただ人と戦うだけではないのだ――ファス達を守り、さらに不殺という制限の中で戦う。


 ゆえにシラハは意識に依った戦い方をしていた。護衛という仕事の性質上、それは間違いではない。

 だがそのせいで失念していたのではないか。無意識は意識よりもずっと多くの事柄をずっと速く処理できるということを。


 そしてシラハの無意識には既に刻み込まれている。……師の残した拳法、それが導く「合理」が。敵が魔物であれ、人であれ、あらゆる敵に対して勝利するための理論が。


 まだ自覚的に行ったり自在にコントロールできる域にはない。だから意識中心の戦いをしている間はクネヒトの守りを崩せなかった。


 だがシラハの意識は毒のせいで弱まった。それによって無意識が優位になり、その無意識が導いているのだ。『疾風無槍』の攻略手順を。それが「動きが良くなった」理由であった。

 もし『疾風無槍』を攻略するという一点だけに集中するのであれば、シラハは最初から無意識に体を委ねるべきだったのだ。


 だがこれは諸刃の剣でもある。それでいいのか、と弱まった意識が考える。


 レゼーレとは違い、シラハの無意識には人間の敵から誰かを守る方法は刻まれていない。意識による思考を放棄すればファス達を守れなくなるかもしれない。だが、


――信じる。そうじゃなきゃ、ここは、乗り切れねぇ。


 レゼーレはかつてこう言った。「左手一本でもファスだけは死守する」。

 ならば信じる。クネヒトを倒すことだけに集中する。そうすればファスはレゼーレが守る。


――レゼーレのことも守らなきゃいけないが……


 『晦冥(かいめい)の森』での戦いを思い出す。


――殺すつもりの『雷勁』を食らっても死ななかったあんたなら、クネヒト以外にやられることもねぇだろ……クネヒトさえぶちのめせば、それでいい!


 そうしてシラハは意識の手綱を緩めた。無意識という悍馬が思うがまま暴れられるように。

 瞬間、クネヒトが目を見開いた。槍の動きも変調する。


「……ッ! 『疾風無槍・激――」

「『宝鈎拳』」


 しかしシラハの体は槍の合間をするりと抜けて、鈎突き(フック)をクネヒトの脇腹に突き刺した。

 浅い。命中したが、精々指一本分程度の深さに打ち込んだに過ぎない。が、クネヒトの決して軽くはない体が吹っ飛んだ。


「げ、は……!」


 クネヒトは建物の壁に叩きつけられ、苦悶と唾を吐きながら、


「何なんだよぉ……この威力は……!」


 この戦いで初めてシラハの攻撃が命中した。ゆえにクネヒトも、今初めて体感したのだ。

 最強の冒険者の拳の威力を。


「素手で出していい威力じゃ……クッ!」


 容赦の無いシラハの追い突きをクネヒトは咄嗟に槍で巻き取った。力を下方へと流すことでシラハの姿勢が崩れるようにと。


 確かに『十騎聖』の技術はシラハの拳をいなしきり、そのバランスを崩した。が、復帰があまりにも速い。シラハは刹那のうちに浮き身で足を置き直し、姿勢を戻している。この短時間ではクネヒトも反撃には移れず、槍を構え直すので精一杯だった。


 だがその構えには乱れがない。崩れても崩れきらないのが強者だ。クネヒトは殴られた衝撃を吐き出すかのような長い息を吐きながら、


「ふぅ――なるほどねぇ。オレは見誤ってたってことかよぉ。そうだよなぁ。冒険者共の一撃が重いことぐれぇは知ってるが……確かにそうか。テメェは最強の冒険者だもんなぁ、『特級』。オレの知ってる程度の威力じゃねぇってことかよぉ」


 シラハとクネヒトでは磨いてきた武の種類が違う。

 もちろんこの対人戦の土俵において優位なのはクネヒトの武だ。だが彼の武が想定する「人間」は、これほどの攻撃力を有してはいない。


 毒で疲弊したシラハが、軽く当てただけの拳でさえクネヒトは吹っ飛んだ。

 もし万全の彼が渾身の一撃を直撃させたのなら『十騎聖』クネヒトの頑強なる肉体でもどうなるかは分からない。

 もちろんクネヒトも頭では分かっていただろう。だが実感が伴っていなかったのか。彼の額に冷や汗が浮かんでいる。


 敵の鎧が硬いのなら隙間を刺せばいい。『十騎聖』はそう考える。

 だが鎧と違い魔物の毛皮に隙間など無く、さらに毛皮の内の脂肪や肉、臓器に至るまで強靱だ。

 それを殺そうと思うのなら『雷勁』を使ってすら半端な威力では足りない。足先から頭のつむじに至るまで、全身全てを躍動させて放つ渾身の一撃でなくては足りない。


 シラハがしてきた戦いとはそういうものだ。シラハが対人戦の定石を知らないように、クネヒトもまた冒険者の攻撃の威力を知らないのだ。


 この戦いはあらゆる手段を使ってシラハを弱らせたクネヒトが圧倒的な優勢に立っていたように見えたが、実際はそれほどの差は無かったのだ。多少ある差など――シラハが一発当てればそれでひっくり返るのだから。


 しかしその事実を実感して尚、笑えるのが『十騎聖』だった。


「いいじゃねぇかよぉ。こういうヤツの足下掬ってやった時はマジで楽しいんだ……」


 クネヒトは槍を振り上げた。槍の上段構えだ。穂先を敵に向けるスタンダードな構えとは違い、極めて攻撃的な構えだ。間合いが読みづらくなる効果もある。


 攻めなければ勝てない。そう悟ったがゆえに取った構えだろう。だが攻めの姿勢を強く示す一方で、クネヒトの胴や下半身はがら空きだ。赤緑黄青その他諸々、激しい色使いの服の意匠がよく見える程だった。


 打って来い。


 その誘いに躊躇うような理性は既に捨てた。シラハの無意識は臆することなくクネヒトの懐に飛び込む。


 クネヒトの槍が動く。長い槍を上段から振り下ろせばそれは凄まじい威力になる。穂先が当たれば真っ二つ。柄が当たっても人間の頭部を胴体にめり込ませる事が出来るはずだ。当然シラハが両腕を使っても受け止めることは叶わない。


 が、こんな大振りの縦振りではシラハを捉えることなど出来るはずがない。

 だからクネヒトは振り下ろすのではなく、突き下ろした。穂先ではなく石突きの方を小さくコンパクトに。


「『戦旗刺し』!」


 それは効果的な奇襲だったはずだが、シラハの無意識は半身になっての回避を成功させる。

 勢いを止めず追撃。


「『中天槌』」


 が、シラハの拳は敵を見失う。


 クネヒトは跳んでいた。地面に槍の石突きを突き立て、その反動で上へと跳んだのだ。『戦旗刺し』の名の通り、クネヒトは槍を支柱にたなびく旗のように宙を舞う。


 上方を取ったクネヒトが槍をくるりと反転させ横一文字の薙ぎ払い。頭上という死角からの更なる奇襲。


 だが今のシラハは視覚だけを頼りに戦ってはいない。右目が流血で塞がれている。視覚以外の感覚や直感全てを動員してクネヒトの攻撃を避けた。


 その後も両者はもみ合うように何度も交錯した。


「ぐ……!」


 シラハの拳が掠ることもあれば、


「……」


 クネヒトの槍が傷を作ることもあった。

 いつどちらが倒れてもおかしくないはずなのに、奇跡的な拮抗を見せている。


 そんな中で不意にシラハは懐かしい感覚を覚えた。


――この感じは確か……


 自分が忘れてしまった……というより、経験したが記憶に残らなかった何かに手が届きそうな感覚。


 シラハはそこに手を伸ばそうとする。そこがどこかは覚えていないが、分かるのだ。

 そこは一種の到達点だ。かつてそこに到達しながらも、その光景やそこまでの道順を覚えておくことが出来なかった。しかしシラハの無意識はそれを覚えていて、そこに再び届こうとしている。


 もしその境地にもう一度辿り着けたのなら、この戦いなど一瞬で片が付く。シラハにはそんな確信があった。

 だが毒によって開けた境地への道は、毒によって閉ざされる。


 ガクン、と足から力が抜けた。


――しまっ――


 毒で意識が弱まったからこそ、無意識に任せる戦いを選べた。だが毒が蝕むのは意識ばかりではない。そもそも体を麻痺させる効果もあるのだ。

 既にシラハはいくつも傷を負っている。毒を追加で打ち込まれている。それにより遂に動きに支障が出た。


 だが問題は無い。今、クネヒトとの間合いは離れている。クネヒトが踏み込んでくるより、体勢を立て直す方が速い――


「隙ありぃ」


 だがクネヒトには間合いを伸ばす手段があった。

 たった一度しか使えないが、槍の間合いを何倍にも伸ばす方法が。


「『二人貫き』」


 クネヒトは槍を投擲した。

執筆が間に合えば三連休も臨時で更新しようと思います。

第一章のラストまでお届けできるか……?

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