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第三十四話「誰を信じるか」

 おそらくクネヒト自身は特別守勢を得意とする戦士ではない——とシラハは見立てていた。


 攻撃に対する防御や回避の精度はむしろレゼーレの方が僅かに優っていたように思う。「完璧に防がれた」。そう感じる回数がレゼーレと戦った時より少ない。

 にもかかわらずシラハが攻めきれないのは、クネヒトが槍という武器の長所を存分に引き出しているからだろう。 

 戦いの現況を簡潔に表すなら、雷を孕んだ竜巻のようだった。


 雷はシラハだ。左右に建物が立ち並ぶこの地形はシラハにとっては有利といえる。『晦冥(かいめい)の森』にいた頃は、木々を蹴って縦横無尽の移動により敵を撹乱して戦っていた。

 それと同じことがここでもできる。四方に上下を加えて六方。あらゆる方向にシラハは跳べる。移動を目で追うことさえ不可能に近いはずであった。シラハ自身はそう喩えられることを好まないが——まさに枝分かれした雷のようだ。


 だがその雷をクネヒトという竜巻が巻き取っている。身の丈を超える槍を軽々振り回す姿がそう見えたし、実際にクネヒトは強風を纏っている。


「『疾風無槍』ォ!」


 砂埃が巻き上がり、付近の天幕やら吊り看板やらが揺れている。クネヒトの派手な色の服がはためく。それだけ槍の回転が凄まじかった。ファスにはきっとクネヒトが素手に見えているはずだった。激しく回転する槍はその姿を霞ませ、ただ質量を持つ颶風のようにだけ見える。その颶風の壁を雷は貫き通すことができずにいた。


 クネヒトは見切りによってというより、槍の間合いと攻撃範囲によってシラハの攻撃を防いでいるのだ。


——回転が速い。真っ向から受ける掴むは出来ねぇな……遠心力が強すぎる。


 回転に逆らわず受け流すような形で防ぐことは出来る。が、その場合は回転自体は止まらないのでまたすぐに二周目がやってくる。これだけではクネヒトの懐に踏み入ることはできない。


——ファス達共々路地裏に逃げれば振り回しは封じられるが今度は突き技が面倒になる……


 『十騎聖』ほどの武人に隙らしい隙など存在しない。そんなことは分かっている。だが長々と時間をかけることは出来ない。


「はっ、はぁ……」


 眩暈がする。全身が嫌な熱を帯びている。重い風邪のような感覚だが、かつてはともかく今のシラハはそうそう風邪など引かない。


——毒、ってのはマジかもしれねぇな。


 胸元と耳の傷はもはや痛みというより痺れたような不快感を与えてくる。この傷口から毒が入ったのか。体の不調はもはや「気のせい」では済まない所まで来ている。


「どうだ、傷が痺れてきたかよぉ。なら効いてる証拠だな。まずは傷周り、次に手足。そして最後に心臓が痺れて止まる。「もし」、「万が一」、テメェがオレに勝てたとしても、テメェはもう死んでるんだよぉ」


 嘲るように笑うクネヒトの言葉を否定する人物がいた。レゼーレだ。


「見え透いたブラフですね、クネヒト卿。語りとしては聴かせるものがありますが。この戦いの後に命があれば吟遊詩人になられると良いでしょう」

「お褒めに預かり光栄だなぁ、レゼーレ……おっと、「今はまだ」卿をつけとかないといけねぇな、レゼーレ卿。そうなったらオレは真っ先にレゼーレ卿のことを歌にするよぉ。知ってるか、悲劇って結構ウケがいいんだぜ。誇り高き女剣士が手にした名誉も守るべき主も何もかも無くしてどん底に転げ落ちていく……最高じゃねぇかよぉ」


 クネヒトはひとしきり笑った後、


「で、何がブラフだって? 毒が嘘なら、なんでこいつは苦しそうなんだよぉ?」

「毒は事実。私も一瞬焦りかけました……ですがその毒ではシラハや私は殺せないのでしょう? シラハの傷は決して深くありません。刃に塗って浅く斬りつけるだけで人を殺せる毒、というのも存在しますがそれは常人相手に限ってのこと。増幅剤……俗に言う酔い薬を飲んでいる場合を除き、私達の『(レベル)』では毒も薬も効きにくい。そんな少量の毒ではせいぜい体調不良程度にしかならないはずです」


 レゼーレの言葉には説得力があった。シラハの知識からしても妥当な推論だ。だが、


「ダメだぜぇ、レゼーレ卿。大事なことを言い忘れてるぜ……オレも薬にゃ詳しいってコトを。馬車に乗っけた爆薬、コイツに食らわせた音響弾。どっちもオレ手ずから……ってわけでもねぇが、オレが指示して用意させた薬品から作ったものだ。オレ達『(レベル)』のヤツをさっくり殺せる毒についても知ってるんだよぉ」

「そう。あなたの愛人に錬金術師(アルケミスト)がいるという話は真実でしたか。胡乱な噂ゆえ捨て置いていましたが。……であれば、『極彩色』クネヒトは致死毒を使わないという噂も真実なのでしょうか」

「へへ、普段は、な。「これ」もそうだけどよぉ、強力な毒は本当に扱いがメンド-だ。そういう毒を使うんなら解毒剤は必須……けど戦場じゃ解毒剤なんざいつ無くすか分からねぇ。結局ちょっとした痺れ薬とかの方が使い勝手がいい。けどまぁ? こっちは同格相手……『十騎聖』をぶっ殺すつもりで来てるんでなぁ。多少のリスクは取るに決まってるじゃねぇかよぉ」


 そう語るクネヒトはいつの間にか小瓶を指に挟んでいた。


「で、こいつがその毒の解毒剤だ。増幅剤なしじゃ効きは悪いがよぉ、飲めば取りあえず死ななくて済む。ちなみにこれ、一本だけだぜ。オレがコイツを叩き割ったらシラハ、テメェは本当に死ぬしかなくなる」


 シラハは鼻で笑って見せた。


「そうか。……で、結局何が言いたいんだ、あんたは。聞くだけは聞いてやるよ」

「こっちに付きなよぉ、『雷拳』シラハ。そしたらこの薬はくれてやるし……それ以外の見返りだってあるぜぇ」

「断る。誰が敵の言うことを真に受けるって言うんだ?」

「じゃあ味方の言うことは信じるってのか? 分かってるたぁ思うがよぉ、オレと同じくらい、その女どもも信用できねぇぜ?」


 クネヒトの言葉に即座に反論し得た者はいなかった。シラハより弁の立つであろうレゼーレやファスでさえ口を開かない。

 クネヒトは指に挟んだ小瓶を弄ぶように揺らしつつ、


「テメェがどれだけ察しが悪い野郎だったとしても、その女どもが特大の厄ネタだってのは流石に分かってるよなぁ? たかが女二人護衛するだけ、なんて簡単な話じゃねぇんだぜ。そういうの、こいつらはちゃんとテメェに説明したか? してねぇよなぁ。この期に及んで「ファス」なんて名前を使ってるくれぇだしなぁ」

「傭兵の台詞とは思えねぇな。あんたは全ての情報が明かされてなきゃ依頼を受けねぇのかよ」


 シラハはそう言い返したものの、若干無理がある反論だとは分かっていた。案の定、クネヒトは


「んなもん時と場合によるだろうがよぉ。このネタに関しちゃ慎重になった方がいいって話だろ。こんな大事に巻き込んだ癖に隠し事ばっかしてるヤツらのために命捨てるのかよぉ? あ、ちなみに隠し事はまだあるぜ。例えば……レゼーレ卿はオレが毒を使うかもって話をテメェにしたか?」


――そりゃ聞いてねぇっちゃ聞いてないけどよ……


 クネヒトが傭兵でありどんな手段をとってくるか分からない、くらいのことは聞いていた。確かに毒を使うかもとまでは言わなかったが、


「不確かな情報だから言わなかっただけ、とか思ってるんじゃねぇよなぁ。レゼーレ卿は「ファス様」を守るためなら潰せるリスクは全て潰す女だ。にもかかわらずテメェに毒の可能性を伝えなかったってのには明確な意図がある。なぁ、シラハよぉ。もしレゼーレ卿がテメェをいつでも始末できるよう備えてるとしたら、どうするよぉ?」

「……は?」

「レゼーレ卿とファス様にとって最も厄介なリスクはテメェだぜ、シラハ。負傷したレゼーレ卿一人じゃファス様を守りきれねぇってことで雇われたんだろうけどよぉ。結局テメェは二人にとって得体の知れねぇ人間だ。もしテメェが「知りすぎた」り、裏切った場合に備えてテメェを始末する方法の二つや三つ、考えてねぇ訳ねぇだろうがよぉ。毒について言わなかったのもその一環。場合によっちゃオレと共倒れさせるってのも視野に入れてたから、言わなかったのさ」


 ここまで言われてはファスも黙ってはいなかった。


「シラハよ、耳を貸すでない! そなたを惑わす計略に……」

「ファス様」


 なんと、レゼーレは主の言葉を遮って、


「私達がこれ以上言葉を重ねても意味がありません。ここはシラハを信じるだけです」

「むぅ……」


 再び沈黙した二人を見てクネヒトは愉快そうに、


「殊勝だなぁ、レゼーレ卿。けど仕方ねぇか。レゼーレ卿が男を誑し込むにはそれしかねぇもんな? デケぇのはタッパばかりで乳もケツも貧相、ツラはまぁ観賞用には悪かねぇが結局入れ墨(モンモン)入りの傷物だしよぉ。あっちの具合の方は知らねぇがな」


 下品な品評を述べた後、急に真面目くさった顔になると、


「シラハ、騙されんじゃねぇぞ? レゼーレ卿は高慢ちきな女だが……下手に出たり演技をしたりが出来ねぇ訳じゃねぇんだぜ? 必要があれば何だってする。そしてファス様もあのお年にしては随分と腹芸が達者でいらっしゃるからよぉ……あの二人が今までテメェに見せてきた態度、ぜーんぶ嘘かもしれねぇぜ? その上で考えろよぉ、あの二人がテメェの命を捨てるだけの理由になるかどうか」


 クネヒトはいよいよ小瓶――彼曰く解毒剤――を危なっかしく揺らす。

 それを見て、シラハはクネヒトを本当に恐るべき男だと思った。


 槍術だけをとっても一級品であるのに、クネヒト自身はそれを一切過信していない。爆薬、部下、毒、言葉、持ちうる全てを使って状況を解決しに来る。それがクネヒトの「武」であった。


「もう一度だけ言うぜ。こっちの、そうだな、デシデリウスの旦那の陣営に付け、シラハ。そしたらこの瓶を割らずにおいてやるし……オレ達の目的についても教えてやるし、相応の報酬も約束してやるよぉ。十秒で決めろ」


 クネヒトが酷薄に数え始める。


「十ぅ、九……」


 シラハは手足に痺れのような違和感を覚えた。クネヒトが言っていた毒の作用だろうか。彼の言葉によればこの痺れは最終的に心臓にまで至るという。


 シラハは最後にもう一度だけクネヒトの隙を探す。もしかすると小瓶を持っている分構えが緩んでいるかもしれない。そうすればこんな交渉に乗らずとも瓶を奪うことが出来る。毒の正体、瓶の正体が何であろうと奪っておいて損はない。が、やはり隙など無かった。クネヒトの槍の圧力と来たら、向けられているだけで痛みを感じるほどだ。


 よってシラハは残り八秒で何を信じるか決断しなければならなかった。


「八、七ぁ……」


 クネヒトは露悪的だったが、彼が投げかけてきた問い自体はカブートとの戦いの時からあったものだ。

 レゼーレとファスを一体どこまで信用できるのか。あの時からずっとシラハは考え続けてきた。二人の言葉に嘘はないのか。今のレゼーレの能力をどこまで信じてよいのか。レゼーレに背中を刺される可能性はないのか。彼女たちの未だ明かされない目的は、シラハの信念に反するものであったりはしないか。


 「腹の探り合いをしている余裕はない」。その事は最初から分かってはいた。リスクを飲み込んで信用し合わなければこの仕事は成し遂げられないのだと。だから虎の子である『雷勁』を敢えて見せたりもした。


「六、五ぉ……」


 だがクネヒトの言うとおり、結局シラハは二人のことをよく知らない。二人と知り合って半月。だいたいの人となりは掴めたし、ひとまずは信用に値するように思えた。が、たった半月程度であればいくらでも演技で欺ける……と言うのもその通りだ。


 その意味では二人とクネヒト、どちらの言い分を信じたとしてもあまり変わりは無いのかもしれなかった。双方等しく、疑わしい。毒についての主張も、それ以外の言い分に関しても。


 だがそれでも今、決断する必要がある。


――その上で俺はどうするか。


 答えなどとっくに出ているのだ。問われているのは選択肢に対する答えではない。

 問われているのは覚悟だ。


 正解かどうか分からない答えを貫き通す覚悟。選択の結果を受け入れる覚悟。

 シラハは自嘲した。


――結局、足りねぇのは俺の覚悟でした……なんて、マジでダサすぎるぜ。


 シラハは拳を握り直した。思ったより力が入らない。汗のぬめりのせいではない。毒の痺れが四肢の末端にまで達している。


 しかし問われているのが覚悟だというのなら、こんなカウントダウン、最後まで待ってなどいられない――。


「四、さ」

「『中天槌』!」


 シラハは突っかけた。

 音を超え、気圧の急変により生じた白い雲を薄くまといながら、クネヒトに向けて鉄槌を振るった。

 シラハを迎え撃つクネヒトは笑っていた。


「へへへッ! 大した馬鹿野郎だぜテメェはよぉ!」


 彼は既に小瓶を持っていない。シラハが踏み込んでくる瞬間に上方へと放り投げたのだ。もしシラハが小瓶に未練を残していたのなら、小瓶を僅かでも目線で追っていたのなら、クネヒトはその隙を容赦なく貫いたに違いない。


 だがシラハは眼前の敵を打倒することにだけ集中している。その突撃に対し、クネヒトは守りを選択。槍の柄でシラハの肋骨を打ち据えようとし、それをもってシラハの『中天槌』を押しとどめる。


 再び槍と拳が交錯する。


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