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第三十二話「槍持つ聖」

 シラハが尖塔に向かう一方で、レゼーレはファスを抱き上げてアシェノールの街を駆け抜けていた。爆薬や炎が使われたせいか、辺りには人気が無い。遠くから市民達の叫び声や慌ただしい足音は聞こえてくるが。


 レゼーレが走る目的は敵の包囲網を乱し、逃走経路を見出すためだ。だがそもそも伏兵の数も気配もまるで分からない。これまでの敵の配置や動きから推測する他無かった。


 炎と砲丸の魔術は飛んでこない。狙撃手達はレゼーレ達を見失ったのだろうか。魔力切れの可能性もあるがレゼーレは考慮しない。それはあまりに希望的観測に寄りすぎている。


 シラハがいない今、敵が現れた場合レゼーレ自身が対処しなければならない。ファスを抱えたまま振り切る、あるいは応戦する。左手しか使えないので両立することはできない。

 極めて不利な状況だ。だがそれだけならレゼーレは微笑みを絶やすことはなかっただろう。ファスに不安を与えないためというのもあるが、そもそも彼女自身が窮地でも優雅に振る舞わんとする性質だ。


 ならばなぜ、彼女は張り詰めた面持ちであるのか。

 単純な理由だ。自身達を猛追する、圧倒的な強者の気配があるからだ。


 レゼーレは自身の想定のうち、限りなく最悪に近い事態に陥ったことを知った。


「やはり彼らは……」


 戦い方からして、敵の正体は『使用人(サルヴィタール)』ではなく傭兵だろうとは思っていた。そしてサンデ大陸屈指の実力を誇る「染槍傭兵団」の噂も聞いていた。

 だがそれでも断定は出来なかった。レゼーレは染槍傭兵団を目で見たことは……知らずのうちにはあったかもしれないが……なかったからだ。たった一人を除いて。


 その「たった一人」の気配が近づいてくる。今までの敵達とは比べものにならない速度だ。いくらレゼーレの脚力が超人的とはいえ、同格以上の超人からファスを抱えて逃げ切ることは不可能だ。シラハが戻るまでのたった数秒、それすら稼ぐことが出来ないとレゼーレは判断し、


「ファス様」


 レゼーレは靴底で石畳をこすりながら減速、立ち止まってファスを下ろした。


「レゼー……」

「敵が来ます。動かないで下さい」


 端的な指示はそれだけ状況が切迫しているということの証左だ。ファスの不安を解く言葉を発するだけの猶予がないということだ。

 事実、「敵」の初撃はその直後のことだった。


「――クッ!」


 レゼーレが一瞬前までいた場所を槍の穂先が貫いていた。建物の屋根上から飛び降り様に、振り落ちる落雷のような刺突。

 ただ落下の勢いを使っただけではこうはならない。それに加えて超人的な脚力で壁面を蹴って加速しなければこの速度には達しない。


「二十秒、だったかよぉ?」


 通りの中央に一人の槍兵が着地する。足を折り曲げ着地の衝撃を吸収している、のではない。足を折り曲げ、身を低く屈めたのは二撃目を不可視の速度で放たんがため。


「ナメすぎだぜ、オレをよぉ」


 つむじ風を巻き起こす程の猛烈な突進に乗せて振るわれたのは薙ぎ払いだ。槍を大きく振りかぶって横に薙ぐ。

 逃げることは出来ない。敵の勢いが速すぎる。槍の間合いが広すぎる。そして何より後ろにはファスがいる。

 受けることは出来ない。槍のフルスイングは柄の部分でさえ致死の威力。到底短剣で受けられるようなものではない。


 だからレゼーレには二つの選択肢しかなかった。薙ぎ払いを上に避けるか、下に避けるか。


「ッ!」


 彼女は低く伏せて薙ぎ払いを躱す。頭上のすれすれを槍が通り過ぎた。ごう、と後から吹いた風が彼女の髪を乱す。本当に紙一重の回避であった。

 当然だ。「屈む」という重力依存の動作は速度が出にくい。彼ら『(レベル)』にもなればかなり遅い動作と言える。相手の攻撃の動き出しの時点で反応していなければ成立しない回避だ。


 それを成したレゼーレは確かに『十騎聖』の名に恥じぬ武人だった。


――しかし、この場に聖は一人のみならず。


「あばよぉ」


 槍兵は振り抜いた槍を既に上段に構え直している。

 低く屈んだせいで回避の効かないレゼーレに向けて槍を思い切り叩きつけようとし――


「『中天槌』……!」


 それよりも速い一撃がそれに割り込んだ。

 槍兵は驚くべきことにその鉄槌打ちを躱した。槍の柄で相手を牽制することで相手の踏み込みを鈍らせたのだ。それによってバックステップが間に合う。

 あまつさえ、


「オラッ!」


 返しに槍を振るう。それは有効打にはならなかったものの、その拳法家の鎖骨付近を浅く切り裂いた。


「チッ」


 舌打ちは槍兵のものだ。


「テメェ、いくら何でも速すぎだろ。あと一秒ありゃ全部終わらせられたってのによぉ。……ま、いいか。あいつらも最低限の仕事はしたみてぇだしな」


 そう言って、槍兵は槍を拳法家に向けて構えた。


「テメェを殺せばあとはどうとにでもなる。……つぅわけで、死ね。『雷拳』シラハ」



 シラハは自身の呼吸が乱れていることを自覚していた。は、は、と荒い息が口から漏れる。

 孤王殺しが息を切らすなどただ事ではない。が、息が切れて当然なだけの力をこの十秒足らずの間に使ったのだ。


「無事だな、二人とも」


 シラハは声だけをレゼーレとファスに向ける。残りは全て、眼前の槍兵に注ぐ。


「……ええ。助かりました。約束通りですね」

「うむ。私も傷一つ無い。そなた達のおかげだ」


 耳鳴りが酷かった。彼女たちの返事は何とか聞き取れたものの、十秒前に食らったあの爆音の残響が未だに耳にこびりついている。


 平衡感覚の狂いもまだ消えた訳ではない。他の感覚で何とか狂いを修正しているだけだ。

 それでも食らった直後に比べれば随分とましになったといえる。今よりもずっと酷いダメージを受けた状態で、五人の手練れを撃破し、さらに「もう一仕事」終えた上でこの場に駆けつけた。


 ここまでの全力疾走は久々だった。レゼーレやカブートと戦った時も全力ではあったものの、身体能力的にはわずかな余力を残していた。彼らが恐るべき反撃をしてきた際、それに対処するための余力である。

 となると『明けぬ夜(ムルケティド)』と戦ったあの日以来かもしれなかった。反撃に備えて余力を残す、等と言っていられないような状況になったのは。


 そして今対峙している槍兵こそ、この一連の状況を作り上げた張本人に違いなかった。浅いとはいえシラハに傷を与えた時点で武技の実力も確かだ。


――目眩が酷くなりそうな格好だ。


 とシラハは思った。それだけその槍兵の服装は奇抜だった。


 まずベースカラーだけで四色も使っているのだ。上半身は左右で赤と緑に染め分けられ、膨らみのついたズボンもまた左右で黄色と青に分かれている。随分と鮮やかに染まっている。これだけ発色のよい布地は高価なはずだが、それらを惜しげも無く無茶苦茶なデザインで仕立てている。


 しかも使われている色は四色だけではない。槍兵の服には切れ込みが何カ所か入れられていて、そこから裏地が見えているが、それもまた別の色であった。

 このけばけばしい色使いに加えてさらに装飾のベルトや金属のアクセサリー、さらには花孔雀の羽まで付けているので始末に負えない。


 道化師にすら見える格好だが、腰に帯びた剣が、構えた槍の隙のなさがそれを真っ向から否定している。

 聞いていたとおりだな、とシラハは思う。


「誰だ……って聞くまでもねぇよな」


 その男のことはレゼーレから聞いていた。

 染槍傭兵団を率いる歴戦の傭兵にしてロカマドゥール屈指の成り上がり者、『十騎聖』第九席。


「あんたが『極彩色』のクネヒトだな」


 槍兵は口元を歪めて笑った。


「そうだ。オレがクネヒトさ。あぁ、テメェの自己紹介も要らねぇよぉ、『雷拳』シラハ」


 槍兵クネヒトはすらすらと、


「第三孤王封鎖領域の冒険者で本拠地はミナツールのケヴェル支部。資格の等級は一級……それもただの一級じゃなくて、『特務立案及び指揮権限付』、俗に言う『特級』だろぉ。サンデ大陸全土で十人ぐらいだったか? 最強の冒険者つっても過言じゃねぇよなぁ。『超人(ユーバー)』ファルケと合わせて特級が二人もいた訳だ、『射干玉狩る七曜(カールスヴォグナ)』とやらには」


 シラハは額に冷や汗が浮かんでいないか心配しなくてはならなかった。


 冒険者の経歴というのは何も秘匿されている訳ではない。重要な依頼の契約の際には依頼人に通知されるし、そもそも冒険者認定証には大体の情報が書いてある。封鎖領域内で認定証の提示を求められた場合には断ってはならないという規則があるので、シラハについて知られていると言うこと自体はあり得ることだ。


 驚くべきはその情報収集の早さだった。カブートに見つかってからまだ一週間も経っていない。にもかかわらず『晦冥(かいめい)の森』を挟んで向こう側のミナツールの冒険者であるシラハについて調べ上げている。


 クネヒトは『十騎聖』に列せられるほどの武人でありながら、情報収集を怠らない油断のなさを持っていると言うことだ。それはとても恐ろしいことだとシラハは思う。


「……よく調べてるじゃねぇか」

「そうでもねぇよぉ。テメェの一番重要な情報についちゃ裏が取れてねぇしな。「『明けぬ夜(ムルケティド)』は『射干玉狩る七曜(カールスヴォグナ)』に討伐された」……流石にコトがコトなもんで簡単には鵜呑みにできねぇんだが、確かにテメェを見ればあり得るかもと思っちまうぜ」

「そうか。なのに(孤王殺し)を殺せる気でいるのかよ」

「テメェなら分かってるだろぉ。孤王の討伐が不可能と言われてきたのは、数の暴力をぶつけられる状況が作れねぇからだ。万単位の兵力を思い通りに当てられるのなら、孤王とは言えケダモノ一匹殺すぐらい出来るはずだ」


 孤王と戦ったことのない者に言われたくはない、と感情では思いつつも、シラハはクネヒトの言を否定はしなかった。シラハも同じ意見だからだ。


「テメェも同じようなもんさ。音より速く走るヤツに数をぶつけるなんて出来ねぇ。……けどよぉ、今のテメェはバカほどハンデをしょってる。女子供を守りながら、不慣れな対人戦をこなさなきゃいけねぇ。それに、テメェは人を殺さねぇんだろ? だったら数で押す状況も十分作れる。どうだったよぉ、オレの『色有り(ファルプシュトフ)』共は」

「躾がなってなかったよ。街中で火なんか使いやがって、やりすぎじゃねぇのか」

「問題ねぇよぉ。この辺りの領主様は自由都市アシェノールをあんまりよく思っちゃねぇしな、多少焼いた所でお叱りもねぇだろうよぉ。それにあれはむしろ気遣いなんだぜ……ああやってわざわざ人払いをしてやったんだ。オレ達は犠牲出すのを恐れるグズじゃねぇが、たかだか武人二人殺すのに街の人間皆殺しにするほどバカでもねぇからよぉ」


――なるほどね、そういう野郎ってコトか。


 シラハは己を善人などと考えたことはない。そんな資格は子供の頃に捨ててしまった。

 だからこの苛立ちは義憤などではないのだ。単に好悪の問題だ。


――気に入らねぇな。


 だが、もう少しこの相手に会話で時間を稼ぎたい。爆竹や連戦によるダメージを回復しておきたい。


 ……というシラハの思いを汲んだのか、意外な人物が口を開いた。ファスである。

 彼女は


「クネヒト」


 と槍兵の名を呼ぶ。堂々と、物怖じの一つも見せない。威厳すら感じられる呼びかけだった。


「シラハは私が雇い入れたのだ。彼に槍を向けるということは、私に槍を向けると同じ。それを分かった上でのことか?」

「ファス様、それは……」

「分かっている。無意味というのだろう。……が、やはり問うてはおかねばなるまい。それで、どうなのだクネヒト」


 だがいかにファスの態度が立派であっても、無力な少女に怯むような男ではない。クネヒトは、「ファス様、ファス様と来ましたかぁ」と笑って、


「随分と安直な名前を付けられたもんですなぁ、ス――じゃなかった、ファス様。あなたに槍を向けるなんて誤解ですぜ。オレはただ、そこの女にファス様が拐かされたって聞かされたもんで連れ戻しに来ただけ。誘拐犯をブッ殺……退治するのは何もおかしなコトじゃないでしょうよぉ」

「そうか。それこそ誤解だな。私は拐かされてなどいない。ただ、故あって遠出をせねばならなかっただけのこと。無論一人で出歩ける身でもないゆえな、こうしてレゼーレとシラハを伴っているという訳だ。分かったのなら槍を収め帰るがいい。そなた達のアシェノールに対する暴挙は……すれ違いによる不幸な事故として処理できるように口添えておこう」

「そうでしたか。誘拐じゃなくて狂言誘拐だったわけですか。だとしてもオレのすることは何も代わりませんぜ。誘拐された娘だろうが、家出娘だろうがオレの任務はあなたを連れ戻すこと。あなたを心配こそすれ、害意なんてあるはずもねぇでしょうよぉ」

「……であるならば、レゼーレとシラハを殺すことに道理がないことは分かるであろう。やはりそなたは槍を下ろすべきだ」

「そうは行かないんすわ。誘拐については誤解だとしても、その女には第八席と『柄斬り』リシュー殿を斬ったつう嫌疑がありますので。やっぱり言い分を聞くために連行するか、それを拒むなら殺さなきゃいけません。そしてそっちの男は一介の冒険者。悪い虫の可能性もありますから……疑わしきは潰せで潰しといて損はないでしょうよぉ」

「むぅ……」


 反論が尽きたようでファスは唇を引き結んだ。

 やはりファスは大貴族の娘か何かなのだろう。今の会話は政治的な建前の応酬だったのだ。だがいくら建前を積み重ねた所で、クネヒトに追い詰められているという事実は覆しようがない。


 それを覆せるとすればシラハの拳のみだ。

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