第三十話「三十六計よりも」
アシェノールの街に立ち並ぶ家屋は三階建てのものがほとんどだ。
炎の壁はそれに並ぶかという高さまで燃え上がりながら、大通りを真っ二つに隔てようとしている。
その軌道はシラハと護衛対象を分断しようとするものだったが、いかんせん速度が遅すぎた。シラハは軽いステップ一つでファス達の側へと跳び寄る。程なくして揺らめく炎のカーテンが閉ざされるも、シラハ達に痛手を与えることは一切出来なかった。
だが、シラハの顔は険しい。
――面倒だな……炎の魔術と来たか。
もちろんシラハの疾走を捉えるには範囲も速度も全く足りない。さらにいうなら温度も足りない。ごく短時間であればこの炎の中に突っ込んだ所で大した負傷にならないだろう。
しかしファスを守ることを考えるなら、極めて厄介な魔術であった。先の爆薬と同じだ。炎の熱を拳で防ぐことは出来ない。ファスを連れている以上逃げる以外に手立てがないのだ。
そうか、とシラハは気付く。これは「見せ札」だ。敵としてもこの程度の魔術でシラハ達を分断できるなどとは考えていないのだろう。だが炎を操れる魔術師の存在はシラハ達の行動を制限する。警戒を強いることで思考力を削る。たとえ魔術師が二発目の炎を放たずとも、ただ存在するだけでシラハの戦闘力は削がれる。
肥満体の剣士がシラハに向かって跳躍してくる。剣を振り上げているようだが、同様に持ち上げられた盾のせいで軌道が見えない。
「うぉおおお!」
鋭い風切音とともに剣が振るわれる。盾の裏から現れた剣、それが狙うはシラハの胴。
「遅ぇよ」
シラハの拳はもちろんこの男の剣よりずっと速いが、
「そんなのは、知ってるんだなぁ!」
男はそれを読んで盾を構えている。
盾ごと砕くつもりで打ち抜くか、盾を避けて打つか。どちらでもいいが、もっといい選択肢もある。
このように露骨な防御であれば呼吸が読める。それはつまり、
――『雷勁』が通る。
シラハはそう判断し『雷勁』の構えに入るが、そこに
「チッ……」
砲丸の狙撃が飛んでくる。最悪のタイミングだ。難なく防げはしたものの、呼吸が僅かにずれてしまい『雷勁』が不発。ただの打撃になってしまった『中天槌』は
「うぐぅううううう!」
盾ごと男を吹っ飛ばすものの、まだ倒しきるには至らない。シラハは舌を巻いた。
――クソ、腹立つぜ。パーティのお手本みてぇな戦い方しやがって……!
肥満体の剣士も、砲丸の魔術師も、炎の魔術師も、シラハに比べればずっと弱い。だがシラハの動きにぎりぎりで反応出来ている。
もちろん「反応できる」からといって「対応できる」とは限らない。彼らがシラハの一撃を死に物狂いで見切った所で、シラハはそれを何百何千と放つことが出来る。一対一であれば彼らのうち誰一人としてシラハの敵にはならない。
が、彼らはそれを戦略とチームワークでカバーしている。シラハがファス達を守らねばならないという状況を最大限に利用した上で、炎の魔術師がシラハの注意を削ぎ、砲丸の魔術師がシラハの動きを妨害し、その上で肥満体の剣士が戦う。そうすることで『雷拳』との戦闘を綱渡りで成立させていた。
もっとも、それはシラハが守りに徹する限りの話であるが。
――とっとと終わらせちまおうか?
ほんの少しでいい。ほんの少しリスクを取って攻めに転じるだけでいい。そうすればこの三人はすぐに潰せる……もしこれが本当に三対一であれば。
炎の壁の火勢が弱まっていく。炎が薄れ、大通りの向こうが透けて見える。新たな人影があった。フランベルジュを担いだ女、一対の短剣を弄ぶ男。
シラハが攻めに回れなかった理由はここにあった。肥満体の剣士との戦いの最中、シラハは伏兵の気配を多数察知していたのだ。見えない伏兵に隙を晒さぬよう、消極的な戦いをせざるを得なかった。
事実、現れた新手も相応の手練れだ。片手でファスを守るレゼーレを背後から刺せる程度の力はありそうだった。そしておそらくはこの二人で終わりではない。
「悪いんだが」
シラハは淡々と、
「あんたらと遊んでやる暇はねぇんだよ。仕事中なもんでな」
と告げると短剣の男が
「仕事ぉ? コブ付きの女と街をお散歩するのが? くぅー、うらやましいぜ!」
「よしなよ」
とフランベルジュの女。
「僻みにしか聞こえないよ。まぁ実際僻みか、アハハ! あんたのツラと性格じゃヒモなんか出来やしないんだし! それとも何かい、よっぽどデカいアレでも生えてんのかい?」
「言っとくが、テメェ基準でデカいブツ持った野郎なんてこの世にゃいねぇよ。いくら寂しいからってその剣の柄で遊ぶのは止めた方がいいぜ。ガバガバになるからよ」
下品な言い争いをしながらも、彼らの陣形には綻びらしいものが見当たらない。圧倒的格上を前にして、臆することも彼我の実力差から目を逸らすこともない。
その様子を見ればシラハにも分かる。彼らはこうして多勢で強者を削り殺すことに慣れているのだ。
――こりゃ、まともに戦るのは止めた方がいいな。
シラハは躊躇なく即断した。
レゼーレに目配せ。彼女も同意見のようだ。
つまりは戦略的撤退である。
シラハ達は襲撃者達に背を向け走り出した。
「へぇ、ケツ掘らせてくれるってのかい!?」
無論彼らも黙って見逃しはしない。フランベルジュの女が大剣を腰だめに構えてシラハ達を追ってくる。
「ガキと女の前でブッ刺してあげるよ!」
「無理無理。テメェの短足じゃ一生かかっても追いつけねぇよ」
「あんたにも無理だよ、チビ!」
「かもな! だからこうするんだよ!」
ヒュン、と鋭い音。シラハが振り返ると、高速で回転する短剣が飛来しているのが見えた。レゼーレの背を狙っている。
シラハは短剣を反射的に掴み取った。もちろん無傷でだ。この程度の投擲であれば掴み損ねて指を切られることなどあり得ない。
しかし敵の判断自体は的確である。レゼーレはファスを抱き上げているので防御が出来ない。攻撃は全て避けるしかないのだが、そうすればレゼーレの足は鈍る。こうした妨害を積み重ねることでシラハ達に振り切られまいとしているのだ。
そして妨害は背後からだけではない。
「――隔てよ、軍用焼壁』!」
行く手を遮るように火の手が吹き上がる。
が、火を見て即座にレゼーレは方向転換。路地裏へと飛び込む。その出足に砲丸の狙撃。シラハが打ち落とす。砲丸は石畳にめり込み、レゼーレはファスと共に路地裏を駆け抜けていく。シラハも後に続く。
が、
「読めてるんだなぁ」
路地裏の先は既に肥満体の剣士に回り込まれている。建物に挟まれた路地裏の幅は狭く、シラハより先行するレゼーレは無防備に肥満体の剣士と向き合うこととなる。
が、レゼーレは
「お気を付け下さい……舌を噛まれませんよう」
とファスに言うと、上方へと跳び上がった。タンタンタン、と左右の建物の壁を蹴って屋根付近の高さまで到達すると、さらに壁を蹴って前進する。まるで壁面を走るかのような急制動にファスが「むぅ!?」と声を漏らす。
肥満体の剣士は呆然と頭上のレゼーレ達を見上げることしか出来ない、というわけでもなく、
「俺だってそれくらいは出来るんだなぁ!」
と跳躍する。ボールがぼよんと壁で跳ね返るような動きでレゼーレの後を追うも、そこには、
「よぉ」
建物で言うと二階の天井くらいになるだろうか。その高さの空中でシラハと肥満体の剣士の目が合った。
「!?」
肥満体の剣士は慌てて盾を構えようとするが、
「まずは一人」
シラハの正拳が直撃した。
「ぐわぁあああああああ!」
吹っ飛ばされた男は路地裏を抜けた先の建物の壁に叩きつけられる。一瞬の間、叩きつけられたままの体勢で壁にへばりついていたが、すぐに重力の存在を思い出したかのように落下していく。打撃と落下の二段構えだ。死にはすまいが流石に戦闘不能だろう。
「クソ、間に合わなかったか!」
短剣の男が路地裏に飛び込むと同時に投擲を放ってくるが、シラハは滞空したまま悠々と短剣を摘まみ取る。
シラハは摘まんだ短剣をすぐには手放さず、タイミングを見計らってから放り捨てる。
すると短剣はちょうど持ち主の頭上へと落ちていく。
「ちぃ!」
短剣の男は何とか躱すも足が鈍る。
「のろま! こんなんで足止め食ってんじゃないよ……!」
フランベルジュの女はあわや短剣の男に追突するかに見えたが、
「肩貸しな!」
まずは地面、次に短剣の男の肩を蹴って跳躍。シラハを……厳密にはレゼーレを追ってくる。咄嗟の判断力は敵ながらあっぱれだったが、
――よし。いい感じだ。
シラハは内心で呟く。狙い通り、敵の連携が乱れ始めている。
速度で勝る獲物を追いながら包囲網を維持することは難しい。シラハ達は逃げることによって襲撃者達の連携を少しずつ崩し始めていた。
――このままやれればいいんだが。




