第二十八話「開戦の狼煙」
木曜日の投稿を忘れていました。お待たせしてすみません。
カブートを退けてから二日が経過している。
「『昏落槌』」
シラハが左拳を岩に向けて振り下ろす。シラハの拳は文字通り鉄槌のように岩を粉砕した。
岩を砕いたシラハは続けて辺りを見回す。他にも殴りがいのある的がないかと探しているのだ。
だが周辺には細い木々がまばらに立ち並ぶばかりで、今砕いた岩以上の手応えが返るような物体は何もなかった。
――魔物も、大物の気配はないしな……
若干の落胆はありつつも、
「まぁ、でも大丈夫だろ」
シラハはそう言って左腕を振り回した。側の倒木に腰掛けていたファスが、目を瞬かせながら、
「全くそなたには驚かされるばかりだ。もう治ったというのか?」
「多分な。若干痒みはあるけど、動きに支障はねぇよ」
シラハは自身の左腕を見る。カブートの矢に抉られた傷はもうとっくに埋まりかけていた。負傷直後はこの傷のせいで力が入らなかったが、今はもう岩を砕いても一切問題がないまでに回復している。
「レゼーレの魔術で治したのではないのだろう?」
「はい。私の魔術は元々「生理現象の制御」……痛覚、眠気、脈拍、発汗などを制御する程度のものです。擦り傷程度ならともかく、あれほどはっきりした負傷を治せるものではありません。他人の傷であればなおのこと」
事実、レゼーレの右腕は吊られたままだ。どうやら暇を見つけては魔術によって治療を行っているようなのだが、成果は芳しくないようだった。
――そうだよな。ちゃんとした治癒魔術が使えない……ってのは嘘じゃないはずだ。
もしレゼーレが一端の治癒魔術を使えるようなら、シラハとの戦いもまた別の結果があったはずだ。元々レゼーレの二刀の守りは堅かった。その上傷を治しながら戦われては泥沼化しただろう。
もっとも、どんなに損壊した肉体でも瞬時に再生させる聖職者のようにはいかなかっただろうが。
だから「レゼーレの右腕は使えない」。これはシラハの思い違いではないはずだ。
ダメだな、とシラハは内心で呟く。カブートに言われた言葉がやけに頭に残っている……「信用していないのだな」。
一番最初に割り切ったはずの話だ。それに、所詮は敵の言葉だ。真に受けるのは馬鹿馬鹿しい。だが二日経った今となっても、シラハはその言葉を無意味に反芻するのを止められずにいた。
曲がりなりにも同道できている以上、互いに最低限の信用はある。となると、
――「ない」んじゃなくて、「足りない」のか?
何かが足りない、とシラハはずっと思っていた。『十騎聖』を相手に護衛を全うするにはあと少し、何かが足りないと。
足りないのは武技の精度かもしれない、そう思って拳法の形をなぞり直した。
足りないのは対人戦の経験かもしれない、そう思って剣士シモンとの遊びに付き合った。
だが本当に足りていないのは、「信用」なのかもしれない。
最低限信用し合えている、では足りておらず、もっとお互いの力を限界まで使い切れるような、その次元の信用が必要なのではないか。
シラハ一人でどうこうしようと考えるのではなく、仕事仲間としての機能を高めなければならないのではないか。
――ってもこればっかりはな……
レゼーレとファスは多くの隠し事を抱えている。それは別によい、とシラハは考える。誰でも人に言えない事情くらいはあるだろう。
隠し事のあるままに信用を深めていくことは出来る。その事をシラハは知っている。
だがそれには年単位での時間がかかる。そんな時間はない。
シラハは横目に現在の仕事仲間を見やる。同僚が、雇い主に魔術の説明を続けているようだ。
「……つまるところ、私の魔術で出来る事というのは、武技の延長でも出来てしまうことがほとんどなのです。優れた武人の中には呼吸を起点に体内の現象をコントロール出来る者もいます。西国武術の習得者に多いでしょうか」
「ほう、シラハもそうなのか?」
「え? あぁ……ぼちぼちな。レゼーレの言った通り、呼吸を上手く使う。傷を治すんなら呼吸法と筋肉の操作で血流を調整して、それで止血したり自然治癒を早めたりだな」
シラハの拳法の形のうち『前の形・隠行』には呼吸法が、『陣の形・内縛』にはより高度な呼吸法と体内のコントロール技術が含まれている、というのが師の言い分であった。シラハは感覚でしか理解していないが。
「ともかく、俺はもう十分戦える。先を急ごうぜ」
シラハは方位磁石を取り出した。磁石は少しの間震えていたが、すぐに北を示した。
カブートに襲撃されてからというもの、シラハ達は街道を外れて林やら草原やらの道なき道を通って移動していた。
もうファスとレゼーレが北部辺境にいることは敵に知られてしまった。今まで以上に人目を気にしてミュライユ伯爵領に向かわなければならないのだ。
「ファス様、失礼いたします。御髪に……」
「む、おぉ……別に気にせぬぞ?」
と言いつつもファスはレゼーレに頭を差し出した。ファスの髪は本来は金糸のように美しいのだが、今はかなり煤けていた。後頭部でまとめたシニヨンももう何日か結い直していないようで、砂埃が入り込んでいる。
普段はファスに対し過保護なほどに気を遣うレゼーレも、頭に付いた葉を取ってやる以上のことはしなかった。まだ大自然の中の移動は続くからだ。
――これで多少は追っ手を苦労させられるといいんだが。
風が吹き、木の葉が目の前を横切った。木の葉はひらひらと迷うように宙を舞っていたが、やがてシラハの足下に落ちていく。
シラハはなんとなく、その葉を踏まずに避けた。
◆
――苦労させられなかったか。
シラハはそう嘆息しそうになるのを飲み込んだ。
ここ数日間、追っ手の追跡を遅らせるため街道から外れて移動を続けていたが、どうやら意味がなかったようだ。
尾行されている――シラハがレゼーレに目配せをすると、彼女は小さく頷いた。
ファスに聞こえない程度の声で、
(どこの誰だと思う?)
(気配から察するに、『使用人』だと思います)
尾行、といってもすぐ後ろにいる訳ではない。普通は遠眼鏡でも使わなければ見えないような距離から見張られている。遠くに小さく見える木が不自然に揺れ動いたり、地平線がもぞもぞと蠢いたり、そうしたことが何度も続いていた。
(よく分からねぇが、『使用人』ってのはこんな露骨な尾行をするような連中なのか? キュラの隠密技術はこんなもんじゃなかったぞ)
シラハ達はカブートとキュラの追跡に結局気付くことが出来なかった。それに比べればあまりにもわかりやすい尾行であった。
(はい。ですから、敢えて気配を気取らせているのだと思います)
(何のために? 精神攻撃でも仕掛けようってのか)
(そこまでは……)
(ぶちのめすか? それとも様子見か?)
(……様子を見ましょう)
二人でそう結論し、シラハ達は移動を続けた。『使用人』の気配はぴったりとシラハ達にくっついてくるが、いつまで経っても仕掛けてくる様子はなかった。
(参ったな、そろそろ街に寄りてぇのに)
そろそろ食料を買い足しておきたい所だ。しかし、露骨に見張られているのに最寄りの街へ向かうのも避けたい。
そこでシラハ達は『格』に物を言わせることとした。
「ファス様、お話が……」
ファスに事情を話し、走って移動をすることにしたのだ。幸い街道から離れているため人目はない。あるのは追っ手の『使用人』の目ぐらいだ。あとはその目が届かない所まで走ればよい。
シラハが先導し、ファスを左手で抱き上げたレゼーレが後をついていく。『晦冥の森』の時とは違い、ファスの姿勢が安定するよう紐なども用意してあるので、あの時よりはレゼーレも走りやすそうであった。
『使用人』の気配もシラハ達を追ってくるが、だんだんと引き離されていく。当然だ。『使用人』も相応の鍛練は積んでいるのだろうが、孤王殺しと『十騎聖』の足についていけるほどではない。しばらくすると気配が感じられなくなった。
そうやってシラハ達は当初の予定よりも一つ先の街へと辿り着いた。アシェノールと呼ばれるその街はプリュノールより一回り小さかったが、物資を買い揃えるには不足のない程度には栄えていた。
市壁の北門をくぐり抜けて街の中に入る。
「悪いが買い物済ませたらすぐに出るぞ。一晩も宿屋で寝てられるほど、追っ手との距離を離せちゃいないからな」
「私のことは気にするでない。まだまだ大丈夫だ」
大通りを通って市場のある方へと向かう。人も多いが、荷馬車が何台か行き来している。大通りは丁寧に舗装されているので荷馬車もあまり揺れずに往来できるようだ。
ありふれた都市の風景だ。だが何か違和感があった。
――そうか、匂いか。
ほんのかすかに、『格』が高くなければ気付くことすら出来ないほどにかすかな異臭がする。
どんな匂いかと言われると表現に困る。腐臭のような不快なものではない。どちらかというと酒や薬のような匂いだ。とにかく日常では嗅ぐことのないもので、なぜか胸騒ぎのする匂いだった。
ガタゴトと、一台の荷馬車がシラハ達の横を通り過ぎようとしている。
――この荷馬車からか?
シラハはなんとなくその荷馬車に目を向けようとし、
「――!」
その前にレゼーレが血相を変えるのが見えた。
「馬車から離れ――!」
爆薬を満載した荷馬車が、炎を膨れ上がらせる。




