第二十七話「嚆矢が鳴り響いた後に」
どうするのが最善だったのか、とシラハは暗闇の中で考える。
カブート達を退けた後、シラハ達は深夜まで移動を続け、そうして辿り着いた藪の中で野宿をしていた。まさかあのまま廃村で一泊する訳にもいかなかったからだ。
「すぅ……むぅ……」
ファスが旅人用の毛布にくるまって眠っている。寝苦しそうだが、疲労が溜っているのか、途中で目覚めそうになることはなかった。
火は焚いていない。食事や傷の手当ての間だけランタンを付けたきりだ。
――カブートの弓は壊した……はずだ。あれだけの強弓、スペアはねぇと思いたいが……
とはいえ、カブートが新たな弓を手にシラハ達を追跡していると言う可能性が全くゼロという訳ではない。それを思えば居場所を悟られるような真似は避けたかった。こんな藪の中で野宿をしているのもそのためだ。
「あいつらを逃がしちまったってことは、俺達の居場所が敵にバレたってことになるよな」
「いいえ。それは正しい認識ではありません。あの二人は私達を尾行していました。もうその時点で私達の所在は報告済みでしょう。あの場でカブート殿と『使用人』を殺しても口封じは出来なかったと言うことです」
レゼーレはファスを起こさないよう小声で、淡々と述べる。夜は深く、その表情までは窺い知れない。
「あの場ではこれ以上の結果は望めなかったでしょう。『流星群箭』を相手に、よく私達を守り抜いて下さいました」
彼女の言う通り、シラハ達は何かを失った訳ではない。
ただ、敵に戦果を許してしまった。
居場所とシラハの存在について知られたのはもう仕方がない。時間の問題だった。シラハが考えているのは、
――俺についての情報を持ち帰られた。
シラハは手の内の多くをカブートに見せてしまっていた。音越えの疾走、反応速度、打撃の威力、そして『雷勁』。あれで全部という訳ではないが、「敵」にとっては価値のある情報だ。
――やっぱり、あいつらをただで帰す訳にはいかなかった。
手足くらいはもぎ取っておくべきだった。そうすればカブート達も死なないよう生き延びるだけで手一杯になる。情報の伝達は遅れたはずだ。いや、もっと言えば、
――殺しておくべきだったのか?
シラハが殺意をもって戦っていたのなら、このような事態は避けられたのか。
彼が守る「不殺」が、仕事に支障を来したのか。
――いや……意味のねぇ仮定だ。
あの場にカブートとキュラ以外の伏兵が潜んでいた可能性だってあるのだ。シラハが二人を殺したとして、その伏兵にシラハの戦いを盗み見られていたらどうしようもない。
それにそもそも、
――殺ろうとして殺れたかっつうと、自信がねぇな。
確かに、カブートに打った『雷勁』入りの『日月拳』は威力が不足していた。だがそれは手加減の結果ではない。間合いや隙の小ささゆえに踏み込みが浅くなったためだ。あれ以上の威力は出そうと思っても出せなかっただろう。
つまり、そもそもカブートを殺そうとしても殺せなかった。
――いや。違うな。奴を殺す方法はあった。
その答えはカブート自身が言っていたではないか。シラハはカブートの言葉を思い出す。
――忠義立てをする割に、信用していないのだな。
――違う! お前が真っ先にすべきは、俺を確実に殺すことだ!
あの時ファス達を助けに行くのではなく、あのままカブートに追撃を加えていたのなら、殺し切れた可能性は十分にある。
もしレゼーレがキュラを退けられるという確信……信用がシラハの中にあったのなら、カブートを、さらに続けてキュラを殺すことは可能だったのだ。
シラハは試しに聞いてみる。
「レゼーレ。あのキュラとかいうのは強かったのか?」
「彼女は隠密です。強さ、という評価軸で判断をするのは難しいですが……精神面での未熟があるように感じました。奇襲を仕損じて、さらにその後も正面からの戦闘にこだわったり……年相応といった所でしょうか」
キュラはファスよりはいくつか年上で、シラハやレゼーレよりはいくつか年下といった風に見えた。たった数年の違いではあるが、若者の数年は大きい。シラハも冒険者になってから五年で『明けぬ夜』を倒した。
「じゃあ短剣一本で十分潰せる相手だったってことか」
「もちろんです。……と言いたい所ですが、断言は出来ません。あの少女、精神は未熟でも技術はありました。隠密である以上、初見殺しの搦め手くらいはあったはずです。それを使われれば後れを取った可能性はあります」
「……ふぅん、そうか」
「ですから、私を助けたあなたの判断は妥当なものと言えるでしょう。歯がゆいですが」
レゼーレはこう言っているが、一体どこまでが本音なのか。
ファスとレゼーレ、彼女たちとの関係は極めて複雑なバランスの上に成り立っている。シラハとしては「面白そうだから仕事として手を貸そう」と思っているだけなのだが、向こうにとってはそう単純な話ではないのだ……と言うことも理解している。
当然と言えば当然だ。まだ二人と出会って十日程度。いくら「腹を探り合ってる場合じゃない」と言った所で、行うは難しだ。
――何せ、この二人が何のために、何から逃げてるかも分からねぇ。
考えたくはないが、この二人が悪事を企んでいて、そのせいで逃げているという可能性もある。それが分からない以上、手の内を隠すためだけに不殺を破ることは出来ない。
――善とか悪とかは分からねぇが、とんでもねぇ大事なのは間違いねぇからな。
元々分かってはいたが、今日の一件で確信した。『流星群箭』のような強敵がやってくる以上、並大抵の事態ではないのだ。
やめだ、とシラハは思考を切り上げる。考えるべきことが多いせいか、どうも思考が無軌道になっている。この手の脈絡のない思考はひらめきを生むこともあるが、今はむしろ混乱を招くだけだ。
こう言うときはもっとわかりやすい所から片付けていくべきだ。シラハはそう思い直して、レゼーレに別の質問を投げる。
「レゼーレ、あんたキュラのことを『使用人』って言ってたよな。その『使用人』ってのが、あんたらの「敵」の名前なのか?」
「そうですね……『使用人』というのは『十騎聖』第四席、デシデリウス・バルドーの私兵集団の名です。兵というより間諜、隠密と呼ぶべきでしょうか」
第四席、と聞いてシラハは目を細めた。つまり武人の国、ロカマドゥール王国にて五指に入る達人ということだ。レゼーレやカブートよりさらに格上の存在。
「そして第四席が「敵」であるのは確定済みです。従って彼の手駒である『使用人』も「敵」となります」
レゼーレの言い方は若干の回りくどさを帯びていたが、シラハはその意味を正確に汲み取った。
「デシデリウスと『使用人』は間違いなく敵だが、それ以外にも敵がいるかもってことだな」
「おそらくは。正直な所、私達にも「敵」の全貌は掴めていないのです。分かっているのは、デシデリウスがファス様を「生死問わず」欲しているということだけ。ファス様を連れて逃げるので精一杯で、「敵」の正体を探ることは未だに出来ていません」
「デシデリウス……第四席か。よく逃げ切れたな」
「私の師が殿に立ちました」
レゼーレの師についてはカブートも言及していた。「弟子であるレゼーレによって斬られた」と。
だがレゼーレ曰く、それは流言飛語らしい。彼女は自身の言い分を続ける。
「師もかつては『十騎聖』の一人、『柄斬り』として名を馳せた人物です。デシデリウスに勝つ可能性もあったはずですが……カブート殿の発言を鑑みるに、師は敗れたようです。武人としての最期を遂げたか、敵の手に落ちたか、あるいは敗走したか。いずれにせよデシデリウスの手で「消され」、そしてデシデリウスはその罪を体よく私になすりつけようとしているのでしょう」
「……」
シラハは黙した。師弟の関係は時として血よりも濃い。真剣に武を求道する武人であればなおのことだ。シラハ自身もそうである。彼が師匠に抱く感情は、言葉では言い表せないほどに複雑で、強いものだ。シラハが不殺を求めるのも、師への強い反骨感情のためである。
だがレゼーレは自身の師の敗北に対し、一切の感情を見せなかった。それはレゼーレが感情の自制に長けているからなのか、つながりの薄い師弟だったからなのか、それとも述べた内容が偽りだからなのか。
やはりシラハにはその真偽は見抜けない。シラハに出来たのはただ話を合わせるように、
「せめて納得のいく戦いだったって信じてぇな」
と言うことだけだった。するとやはり話を合わせるように、
「はい」
と、乾いた返事が返ってくる。それで会話は切れた。
言葉が交わされなくなると、普段は気にならないような音がやけに大きく聞こえる。すぅすぅと眠るファスの寝息、草木のざわめき、虫の羽音、どこか遠くの獣の足音。普段なら聞こえていても気にならないが、今宵はどうにも気にかかる。
単に暗いからだとか、沈黙に気まずさを感じているからだけではない。
――もういつ襲われてもおかしくねぇから、だろうな。
これまでも警戒を怠っていた訳ではない。だが敵に見つかっているのといないのとでは、やはり心持ちが違う。
――気張らねぇとな……
シラハはカブートを退けた。もし敵が次に仕掛けてくる時は、カブート以上の刺客を送り込んでくるに違いない。
――それこそ『十騎聖』が出てくるのかもな……『十騎聖』か。最低限の話は聞いたけどよ……
最も手強い仮想敵である『十騎聖』のメンバーとその戦い方については当然前もってレゼーレに確認済みだ。件のデシデリウスについてもである。
だが、その時彼女はこう言った……「あくまで稽古場や『騎聖戦』においての話です」と。
つまり『十騎聖』が実戦の場で本気でファスを狙いに来た時、彼らがどんな手を使ってくるかはまるで分からないと言うことだ。カブートのように正々堂々と戦う者ばかりではないだろう。
あらゆる手段を、あらゆる策を講じて目的を達する。それもまた、武の一つの形であるのだから。
そのようなことを考えながら、シラハは浅い眠りに滑り落ちていく。次に目覚めるのが朝であることを祈りつつ。




