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第二十五話「矢尽く」

「なるほど」


 『流星群箭』カブートが呟く。


「まるで雷だな」


 彼の比喩は的確だった。地を走る雷。それはほんの一瞬のうちに何度も不規則にジグザグと折れ曲がり、その上でカブートへと肉薄しようとする。『雷拳』シラハの疾走である。


「止せよ」


 とシラハが返した言葉は、速すぎる疾走により響きが歪んでいる。


神鳴(かみなり)なんて言葉、軽々しく吐くもんじゃない。その魔術は元々トゥオーノのものだったんだろ。あんたのじいさんから魔術と一緒に教わらなかったのか?」

「ハ、生憎と俺も父も祖父も「叢雲知る(トゥオーノの)民」ではないからな。雷への畏れはない」


 言葉通り、カブートの双眸に怯懦の色は見えなかった。走り続けるシラハに照準を合わせ続けている。


 カブートは先ほどまでとは打って変わり、無闇な連射を控えていた。ファスとレゼーレが隠れたことで、シラハには矢を回避するという選択肢が生まれた。矢を腕でいなしたり叩き落したりするよりも避けてしまう方がずっと容易だ。


 そうなった以上、ただ数を撃っても圧力にならない。だからカブートはシラハが左右に走っている間は射撃を控え、間合いを詰めてくる瞬間に矢の連射を浴びせる。


――くそ、やっぱり前進するタイミングが読まれてやがる。


 シラハは舌打ちした。


 いかにシラハであっても急激な方向転換をする際には刹那未満だが足が止まる。それを見切って矢を合わせてくるカブートはやはり超一流の射手であった。


――けど、行ける。さっきまでに比べりゃこんなの――!


 シラハは前傾姿勢を取った。こうすることで被弾面積が小さくなる。矢を防ぎやすくなるのだ。だからその分、疾走の速度を上げても矢に対応することが出来る。徐々に全速力へと近づいていく。


 こうなればカブートがいくら飛び退ろうとも逃げ切れるものではない。『ドゥーラの歩幅』で五十歩あった距離が、四十五、三十と、みるみるうちに縮んでいく。


 だがその代わりに矢もどんどん「速くなる」。シラハの脳裏にある迷信がよぎる。


 曰く、流れ星に願えばその願いが叶うという。一時期流行った迷信だ。しかし流星は「見えた」と思った瞬間には燃え尽きるものだ。願いを告げる時間はない。


 カブートの矢はもはやこれと同じ。「見えた」と思った次の瞬間には手遅れになる。


 矢の流星群が頬を、脇腹を、頭を、大腿を、掠める、掠める、掠める――知ったことか。直撃さえしなければどうとでもなる。


 猛進するシラハを前にカブートが咆哮する。


「そうだ! 来い!」

 

矢筒から矢を引き抜いて、

「それでこそ挑みがいがある……! 行け――『飛蝗矢』!」


 『飛蝗矢』と称した矢を、魔術製の矢に混ぜて撃ってくる。


――矢筒から抜いた矢……特別製か。


 確かに他の矢より一回り太いように見えるが、


――んなもん見てる暇あるか! 避けろ……!


 どんな矢か分からない以上、回避に徹するのが最善とシラハは判断した。が、『飛蝗矢』はそれを嘲笑する。


 シラハは見た。矢の群れの中で一際太い『飛蝗矢』が空中で「ばらける」。


 おそらく、もともとそのように作られた矢なのだ。空気との摩擦で、矢自体が複数の破片に分かれる。破片は広く、しかも無作為に拡散し、シラハに向かって飛びかかる。


「クッ!?」


 避けきれず、指先大の石粒が肩口に食い込んだ。当然だ。スピードを緩めないために回避の動作は最小限。こんな風に矢が拡散しては避けきれない。


 結果、シラハは数滴の血液を失うこととなったが、たった数滴だ。追撃に放たれた通常の矢を捌きながら前に出る。


 この程度の石つぶてで怯むようでは、『明けぬ夜(ムルケティド)』の蹄が巻き上げる石塊だけで死んでいる。


――威力は大したことねぇ。けど、顔に食らうのだけはマズい……!


 シラハは『飛蝗矢』の狙いを理解した。これは目潰しだ。拡散する破片のどれかが運良く眼球に当たれば失明させられるし、そうでなくとも額などに当たれば出血で視界を制限できる。


 かといってそれを嫌って顔を防御すれば、それも目潰し成功だ。顔を腕で覆っている間は他の矢が見えない。


 となると選択肢は二つだ。一つは回避。それも紙一重ではなく大げさに。矢の破片がどのように拡散するかは運次第なのだ。避けるなら大きく避けなければならない。だがその場合は追い足が止まる。


――そんなの、つまらねぇ。


 シラハはそう断じた。せっかく詰まった距離が開いてしまうとか、そんな小賢しい理由ではなく、


――ビビってんじゃねぇぞって話だ。


 これは確かに負けてはいけない戦いだ。シラハが倒れれば「護衛」の依頼は失敗する。慎重さを欠いてはならない。


 だが……それでいいのか。


 この弓使いは超一流だ。専門が違うために純粋な比較は出来ないが、シラハやレゼーレと比べても劣っているということはないだろう。


 しかし彼は弓の利点を投げ棄て、七十歩前後……『ドゥーラの歩幅』換算では五十歩か……の距離から戦いを始めている。それも正々堂々と。この足枷付きのカブートはただの一流だ。


 そんな相手に消極的な戦いが果たして許されるのだろうか。


 シラハがするべきは「圧倒」ではないのか。


 弓使いのくせに、こんな近間から孤王殺しを狩ろうとしたその思い上がりを粉微塵にする。

 どんな小細工を仕掛けてこようとも、全て真正面から叩き潰す。


 ただの一流相手にそれが出来ないのなら、超一流である『十騎聖』が敵として現れた時にどうやって護衛を全うするというのだ。


 ロカマドゥールに来てまだ十日程度ではあるが、『十騎聖』を相手にファスとレゼーレを守れるよう、形稽古や手合わせなど色々試してきた。

 無論、まだまだ足りないのだろう。だがどれくらい足りないか。

 それを測るためにも全力で行くべきだ。必要なのは様子見ではない。この強敵に圧勝するくらいの気概だ。


 だからシラハは『飛蝗矢』に対し、回避ではなくもう一つの選択肢をとる。


「あんた決闘って言ってたな。あんたにとって、これは『ドゥーラの決闘』のつもりなんだな」


 シラハは足を折り曲げ、バネのように強く、強く力を溜めると、


「だったらお望み通り勝負してやるよ、『流星群箭』――!」


 それを一気に解き放ち、音の壁を踏み越えた。


 ――この日は曇天であった。乾燥したロカマドゥールでは珍しく、空気に湿気がある。


 こう言う日にはよくあることだ……音越えの際に、白い雲が生じることは。


「……!」


 カブートが驚愕するように瞠目している。それもそのはずだ。今、音越えに至ったシラハの背や手足から、白い雲のようなものが吹きだしている。


――そうだ、あんたは知らねぇだろ……。


 湿気た日に一定以上の体積がある物体が音を越えると、しばしば白い雲というか霧のようなものがその物体から瞬間的に生じる。工学者(セレイン)曰く、水蒸気の一種ではないかとのことだ。


 矢や、剣ではこうはいかない。人体で音の壁を破るシラハのような超一流だけが知る現象だ。

 そして、シラハはその白い雲さえ置き去りにする。雲は主を失い一瞬で消失した。


 カブートの矢が飛んでくる……『飛蝗矢』も含めてだ。連射の中程に差し込まれた『飛蝗矢』は、音越えに耐えられず分解し、拡散しようとするが、


「遅ぇ」


 シラハはそれより前に『飛蝗矢』を叩き落していた。これが『飛蝗矢』もう一つの攻略法。『飛蝗矢』は一定時間飛行した後に拡散する。その前に『飛蝗矢』との距離を詰め、叩き落すなりすれ違って避けるなりしてしまえば、ただ太いだけの矢でしかない。


「ふざけるなよ」


 カブートが顔を歪めた。凶相とも、笑みとも取れる表情だ。


「人間が、矢の速度で走るな! 怪物め、これならどうだ!」


 カブートは二十本を魔術で、五本を矢筒から用意し、流れるように放つ。


 残り、二十五歩。


 もはや矢は見えない。否、見えてはいるが、見えたという思考が発生しない。思考を介さず反射で対応しなければカブートを追い切れない。反射で対応が出来ると、シラハは信じた。


 上段外受け、下段払い、ありとあらゆる動きで矢を弾き落としながら疾走。


 十五歩。


 『飛蝗矢』が二本混じっている。一本は拡散の前に躱せたが、もう一本に拡散を許す。

 が、不十分。破片がまだ散らばりきっておらず攻撃範囲が小さい。

 これなら足を止めずに避けきれる……と身をよじったが、そこにさらに矢が次々に飛んでくる。これらもついでに躱してしまおうとしたが、


「――ッ!」


 躱せるはずだった矢のうち二本が突如軌道を曲げてシラハへと襲い来る。理解より先に矢を落とす。奇妙にねじくれた矢だった。空気との摩擦により軌道が曲がるように作られた矢だったのだと、この時初めて気付く。


 『飛蝗矢』と曲がる矢によって随分と体勢を崩された。が、カブートの矢も少ない。あと数本防げば拳の間合いだ。シラハは崩れた体勢のまま、さらに踏み込む。


 十歩。


 矢の本数はあと七本。だがどうせ罠くらいはあるだろう。


「そらみろ!」


 シラハが叫んだ通り、矢の中に二本の矢が同一の軌道で飛んでくる矢、継矢があった。

 しかし一度見た技だ。シラハは継矢に掌を向けるようにして、矢をはさみ取る。一本目は人差し指と中指、続く二本目は薬指と小指で。ただこの速度では完璧とはいかず、鏃が少しだけ体を傷つけた。一歩間違えれば死んでいたかも知れない……などと考える余裕はない。


 しかし、これでもう、


「っ! っとに油断ならねぇな!」


 とシラハは左肘を振り下ろす。叩き落された矢は緑色で塗られていた。緑色。草が覆いつつあるこの廃村では保護色として働く。カブートは矢の数を偽る手段を継矢と保護色の矢の二つ用意していたのだ。


 だが、今度こそ。

 残り二歩。一足一拳の間合い。


「拳骨握れよ、弓使い! 殴り合いの時間だぜ!」


 カブートの右手に矢はない。もし既に矢を手挟んでいたのなら番えるのがぎりぎり間に合うかも知れないが、今のタイミングで素手ならもう矢は撃てない。


 だからカブートは拳を握って、それを突き出すしかない。拳対拳。『雷拳』を相手に勝てる見込みのない勝負。だが、


「『雲貫の射に(フレッチェ)――」


 カブートにそのつもりはさらさら無く、


「――至らん(ヴィエニ)』!!」


 カブートが詠唱を終えると、シラハとカブートの中間点に一本の矢が生まれる。それはシラハに槍のように向けられており、カブートはその矢の後部を拳で殴りつける。


 それは音越えの矢に比べればずっと遅い攻撃だ。しかしこの一足一拳の間合いで、拳しかないと思わせておいてからの矢による奇襲は、目にもとまらぬほどに「速く感じる」一撃であった。矢による刺突がシラハの心臓に奔るが、


「これじゃあ孤王殺し(おれ)は」


 シラハは体だけで矢をいなし、両の拳を構え、


「殺せない」


 右の中段突きと、左の上段突きを同時に放つ山突き、『日月拳』でカブートを打とうとする。が、


「接近戦が出来ぬと思うか!」


 カブートは弓をシラハの右腕に叩きつけた。強弓の弾力に右の突きが押し止められる。

 左の突きもカブートの腕に止められる。弓使いとしての鍛錬を物語る、歪だが太い腕だ。


 一瞬の膠着。組み合う両者だが、すぐにシラハが押し始める。しかしそこにカブートは、


「『雲貫の射に至らん(フレッチェ・ヴィエニ)』!」


 再びの詠唱で、矢を生み出す。腕の半分程度の長さもない短い矢だ。それを何十本も、シラハとカブートを隔てる槍衾のように生成した。これに突っ込む訳には行かず、シラハは力を緩める。


 その隙にカブートが飛び退り、両者に五歩程度の距離が生まれた。


「仕損じたな、武人シラハ」


 カブートは既に弓を引き絞り、シラハの心臓に狙いを向けている。危険な状況だ。


 弓の利点の一つ。一度引き絞ってしまえば、どんな近接武器よりも予備動作が小さいということ。ただ指を緩めるだけで音越えの矢が放たれる。

 五歩という距離はシラハに圧倒的有利に見えるが、こちらの足が止まった状態で弓を向けられているということを考えると実際は五分か、シラハの方が不利ですらあった。


「まぁ、確かにだいぶ浅かったみたいだな」


 しかしシラハはこう告げる。


「けど終わりだ」


「何を言っている。俺はまだ……ッ!?」

 カブートの口元から血がこぼれている。その流血は決して激しいものではなかったが、止まる様子がない。カブート自身はシラハから目を離していないため血を目で確認できてはいないだろうが、口に広がる鉄の味だけでも流血を自覚するには十分なはずだ。


「何だ、これは……!?」


 いかに『流星群箭』カブートといえど、自身に起こった事態を把握出来るはずがなかった。


 シラハの『日月拳』の左拳をカブートは腕で受けた。カブートの『(レベル)』は高く、本来であればそれは防御として成立するはずだった。


 しかしシラハにはたとえ防御されようとも、衝撃波を浸透させることで敵の体内を破壊する奥義がある。

 シラハは『雷勁』を『日月拳』の左手に込めていた。

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