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第二十三話「猟矢」

 戦いにおいて、武器の速度を競うことに意味は無い。敵を殺せる威力があるのは前提として、重要なのは物理的な速さでは無く、相手が「速く感じるか」である。


 例えば片手剣を手首を起点にくるくると振り回したとする。なるほど、確かに回転運動によって加速された切っ先は相応の速度に達するだろうが、振り回すという大きな予備動作があるゆえに見切られやすい。相手が「速く感じる」攻撃では無いのだ。


 それよりも予備動作の小さい攻撃の方が「速く感じ」られる。例として、刺突は斬撃よりも武器の速度は出にくいが、予備動作が小さく回避することが難しい。レゼーレの突き技、『翔け貫くは雨燕(マーティネット)』がそうだったように。

 

 ゆえに、ここで拳と矢の速度を論ずることにはあまり意味が無かった。そんなもの、矢の方が物理的には速いに決まっているのだから。


「――シッ!」


 シラハは眉間を射抜きに来た矢を外受けに払った。どっ、と土が巻き上がる音がした。軌道が逸れた矢がシラハ達の遙か後方で地面を抉ったようだ。


――ハハッ、やっぱり速ぇな!


 恐るべき速度だ。もしシラハが全力で正拳突きを放っても、これほどの速度は出ないかも知れない。

 だが今の時点では問題にはならない。シラハとカブートの間には五十から七十歩程度の距離があるからだ。


 いかに音越えの矢であっても、五十歩の距離を進むと相対的に「遅く感じる」のだ。命中までに若干の時間を要する。それはもちろん一瞬ではあるのだが、シラハやレゼーレほどの高みにある武人であれば、矢の軌道や速度を見切るには十分なのであった。


 逆に言うと初撃だけは危なかった。向こうに当てる気がなかったから良かったものの、先手を打たれたために矢を十分に見切るだけの時間がなかったからだ。


 だがこうして五十歩先の相手を視認した今、シラハは十分にこの矢を捌くことが出来た。


 一射目が凌がれたのを見て五十歩先のカブートは


「フッ!」


 一息のうちに三本の矢を放った。

 右目、心臓、首。いずれも急所狙い。だが、


「小手調べのつもりかよ?」


 シラハは両腕をそれぞれ上段と下段に払って矢を逸らす。上段の払いは二本の矢を防がなければならなかったので、橈骨側と尺骨側で二回払った。


「まどろっこしいのは抜きにしようぜ。こんなので『流星群箭』なんて呼ばれてる訳じゃねぇだろ」

「それはこちらの台詞だ。とっとと踏み込んできたらどうだ。お前が真にレゼーレ卿を破った武人であるのなら」


 シラハは言われなくともそうするつもりであった。

 『雷拳』シラハ。彼は疾走と拳速において音を越える。武器が音を越えるのではない。肉体そのものが神速に至っているのだ。斬撃や射撃で音の壁を破るよりもっとずっと、困難なことを実現している。彼ならば五十歩など瞬きの間に詰められる。


 だが、


――猪みてぇに全力で突っかける、訳にはいかねぇよな。


 シラハが全速力で真正面から突っ込めば、カブートも必ずそこに矢を合わせてくる。五十歩はシラハが矢を見切るのに十分な距離であると同時に、カブートがシラハの疾走を見切るのに十分な距離でもある。


 そうやって音越えの突進に音越えの矢を合わせられては、純粋にその相対速度は音の二倍以上。いかにシラハといえど矢を見切れる保証はない。一工夫必要だ。


――まぁジグザクに走って、あいつの狙いがブレたタイミングで間合いを詰めればいいだろ……いや、馬鹿、良くねぇよ!


 飛び道具相手に横移動を絡めながら接近するのは定跡だが、その方法は取れなかった。もしシラハが横に走ればファス達が無防備になる。カブートの気まぐれ一つでファス達が射られてしまう。


――レゼーレなら矢の一本くらいは片手だけでも防ぐか? あいつに勝ったことがあるみたいに言ってたしな……いや、駄目か。どうしたって短剣一本じゃカバーできる範囲が狭すぎる。


 「尋常な決闘」だの「雪辱」だのを口にし、正々堂々姿を現して挑みかかってきたこの武人が、シラハを差し置いて怪我人と子供を狙ってくるとは思えない。


 だが一方で、シラハ達を気取られないよう追跡し、魔物を小手調べに嗾けた上で、この廃村で的確に待ち伏せた、狡猾な狩人でもある。追い詰められれば何をするかは分からなかった。


――となると結局じりじり正面突破しかねぇのか。


 ファス達を庇える位置に常に立ちつつ、矢を見切れる限界の速度で真っ直ぐに疾走する。そしてカブートを殴り倒す。それがこの場の最善だと判断したシラハは、


「行くぜ」


 と軽やかに地を蹴った……と同時に眼前に矢が迫り来る。シラハは反射でそれを叩き落すが、内心では舌を巻いている。


――俺が動く一瞬前にもう矢を放ってやがったな。先の先ってヤツか。


 相手が動く寸前に先手を打って攻撃する技術だ。遅すぎれば逆に先手を取られるし、速すぎても今度は相手に「後の先」、カウンターを許すことになる。高度な技術だ。

 だが成功すれば見返りは大きい。「自分が先手を取る」、そう思い込んでいる相手の出鼻を挫いて優位に立つことが出来る――


――って、師匠(クソじじい)が言ってたっけ。


 そんな駆け引きをシラハを相手に当たり前のように仕掛けてくる。やはり尋常の相手ではなかった。だが、それでも問題はない。見てから反応が出来る。現時点では。

 矢をものともせず突っ込んでくるシラハに対し、カブートは


「ハッ!」


 飛び退りながら連射。一瞬の内に十本の矢を放った。常軌を逸した連射によりカブートの握る弓が「消える」。凄まじい振動で霞んだのだ。

 そうやって放たれた矢が全てシラハに向かって殺到する。


 眉間、右鎖骨、左肺、首、水月、右大腿心臓左目頸動脈肝臓。

 払い、弾き、落とし、いなし、跳ね上げ、さらに弾き払い払い押さえ落とす。


 十本の致死の矢はシラハが竜巻の如く振るう両腕に全て軌道を逸らされた。だだだだだ、と地面に着弾した矢が激しいリズムを奏でる。


――ったく、この連射が人力だってんだからな。とんでもねぇヤツもいたもんだ。


 矢を取り、番え、引き絞り、狙いをつけ、放つ。本来踏むべきこれらの工程が極限まで圧縮されている。カブートはただ、「放つ」のだ。その一挙動は近接武器の速度に限りなく近い。正気で至れる境地ではなかった。


 『流星群箭』カブート。神速の連射を成す射手。だが彼の恐るべきは弓の技術のみではない。


――しかもこれで矢が尽きねぇときた。


 カブートが右手で空を撫でながら何事かを呟いているのが見えた。


「『雲貫の射に至らん(フレッチェ・ヴィエニ)』」


 すると虚空より計十二本の矢が現れた。魔術である。唱えた文句は詠唱だった。

 彼は魔術によって矢を作り出すことが出来るのだ。それも彼の連射に見合う量の矢を。


 生み出された十二本の矢は重力に従って落下する。が、それらが地面に触れることはない。その前にカブートの指が矢を摘まみ取り、撃ちきってしまったからだ。


 その連射もシラハは防ぐ。が、カブートとの距離はまだほとんど縮まっていない。普通は退がる者と追う者では後者の方が速い。だが防御を優先したために足が鈍ったのだ。


――まぁそれはいい。これからテンポを上げてきゃいいだけの話だ。


 疾走の速度を上げる前に一度カブートの魔術を見ておきたかったのだ。レゼーレから事前に聞いてはいたが、やはり百聞は一見にしかずである。


――にしても、一流の弓使いが魔術まで使うとはな。


 一般的に、武人は魔術を使わない。それには二つの理由がある。


 一つ、そもそも魔術の習得が容易でないこと。武術とは全く別の技術体系を学ばなくてはならない。武術と魔術の二足のわらじは困難なのだ。

 出来るとすれば、単純な魔術を丸暗記するくらいだ。理論は無視し、丸暗記と感覚に頼れば、一つか二つの魔術を使うことくらいは出来るだろうか。

 一例として、レゼーレは魔術を使えるようだが、『十騎聖』の要領の良さを以てしても使えるのは「生理現象の制御」というたった一つの術だけらしい。


 そして武人が魔術を使わない二つ目の理由は


「カブートあんた、早撃ちしながら早口言葉なんて随分器用なんだな」

「お前こそ無駄口が達者だな。舌を噛んで自滅などすれば許さんぞ」


 魔術には詠唱が必須であると言うこと。

 言うまでもないことだが、敵を目の前にして長々と詠唱する暇などない。専業の魔術師であれば詠唱を調整して短縮することも出来るが、魔術を丸暗記しているような人間には不可能なことだった。


 だがカブートは「矢を作る」という単純な魔術とは言え、たった二句で十数本の矢を生み出し、その二句の詠唱も一瞬だ。


「俺の知り合いも似たような魔術を使うが、そんなに速く沢山は作れねぇぜ」

「射手達の国、トゥオーノの魔術だ。俺の祖父が彼の国の射手に腕を認められ、伝授された。矢を作るしか出来ぬ魔術だが、鍛錬で効果が向上するよう作り上げられている――『雲貫の射に至らん(フレッチェ・ヴィエニ)』」


 再びの詠唱で生み出された矢は十五本。先ほどより増えている。そしてきっとまだ増える。そうシラハは確信していた。


「どうやらお前は見た目より慎重な獲物のようだ。時間をかけて狩るとしよう」


 飛来する矢の群れにシラハは臆さず飛び込んだ。


――ヤツの連射は確かにやべぇ。


 カブートの右腕は矢を放つというより宙を何度も殴りつけるかのように動く。それ程までに速い。


――だがあいつは一本の矢を撃つのに両腕を使う。俺はその矢を片腕で落とせる。


 ゆえに『流星群箭』の連射がいかに圧倒的でも、シラハの防御速度を上回ることはない。

 『騎聖戦』とやらでレゼーレがカブートに勝ったというのはその辺りの理屈もあるのだろう。レゼーレは長短の二刀使いだ。二本の剣を防御に回せばシラハの連打をも捌く。同様にカブートの矢も凌げただろう。

 

 シラハは矢を薙ぎ払いつつ徐々に疾走の速度を上げる。


――やれる。


 このまま行けばファス達を庇ったままカブートとの距離を詰めることが出来るはずだ。


 だがシラハは忘れてはいなかった。

 退がるカブートを追い詰めようと速度を上げれば上げるほど、彼我の距離が縮まれば縮まるほど、矢は「速く」なるのだと。

 矢の物理的な速度は変わらずとも、自身との相対速度は上がる一方、矢が着弾するまでの時間は減る一方だ。


――上等だ。

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