第二十二話「嚆矢」
過去話で誤字報告を頂いたので修正しました。ありがとうございます。
シラハが賊の死体を検分した結果、彼を殺した武器を「弓」と断定すると、レゼーレはある名前を口にした。
『流星群箭』カブート。レゼーレの知る限り、ロカマドゥールの射手の中で最強の男であるらしい。その早撃ちは剣の間合いでさえ一矢を報いる神速だという。
「『格』を言うなら『十騎聖』にも匹敵するほどの猛者です。彼ならばあるいは」
「まぁ、あんな死体作れるヤツが何人もいるとは思えねぇし、あんたがそう言うならそいつなのかもな。……で、そいつはあんたらにとって都合が悪いと」
シラハが振り返ると、レゼーレが頭巾の下で顎を引いて頷いた。
「はい。彼は私の顔と肩書きを知っています。他人の空似でやり過ごすのも不可能でしょう」
彼女はプリュノールで買った変装用の頭巾を、今までも必要に応じて身に付けていたが、ここまで目深に被っているのは初めてかも知れない。顔見知りの気配がするからなのだろうか。
「なんだ、知り合いだったのか」
「いえ、一度会ったことがあるだけです。しかし、あちらはきっと忘れてはいないでしょうね」
レゼーレは澄ました顔をしているが、この台詞からするとそれなりの因縁があるように思える。
「……恨まれてんのか?」
「さて、そのような方には見えませんでしたが。……が、怨恨があろうとなかろうと、警戒を怠るわけにはいきません。もし彼が敵に回っていて、無警戒のまま遭遇してしまったら、その時点でほぼ詰みです」
「まぁ、飛び道具だもんな」
並の射手ならシラハもレゼーレも余裕を持って対処できる。が、『十騎聖』に迫る『格』の射手が相手となると話は別だ。
「あの『格』なら多分矢は音より速く飛んでくる。不意打ちされたら防げるか怪しいところだ。となると、殺気で反応するしかねぇか?」
「それより前に、まず射線を――」
シラハとレゼーレは対応を話し合い始める。するとファスが、
「うむ、頼もしい限りだ。……が、そもそもカブートとやらが敵と決まった訳でも、出くわすと決まった訳でもないのだろう? 必要以上に恐れれば、今度は別の敵に対しての隙が生じはしないか?」
「まぁ、そうだがよ。なんつうか……」
シラハは続けるべき言葉を飲み込んだ。代わりに空を見上げる。
今朝方に街を出た時よりもさらに雲が分厚くなっている。白というより灰色の雲が空を覆っている。一雨来そうなくらいの曇天だ。
こんな天気の日は嫌な予感が良く当たるような、そんな気がしてしまうのだった。
◆
その後しばらく、シラハ達は狙撃を警戒して移動を続けた。周辺に射手が姿を隠せるような場所はないか。射線を確保しやすい高台などはないか。
シラハは人間に狙撃される側に回ったことはほとんどないが、仲間の工学者が狙撃手でもあったために全くの無知という訳でもない。彼女の行動を思い出しながら、レゼーレと警戒を続ける。
街に入れば遮蔽物が多く比較的安全ではあるが、それでも鐘楼や市壁等からなら射線が通る。それに人間を木っ端微塵に出来る射手だ。使う矢の品質次第では薄い壁など貫通してくるだろう。だから宿の中でも安心は出来ない。じわじわと神経をすり減らすような時間が続いた。
◆
その日は徒歩で街道を移動していた。
「残念ながら、今日は野宿になりそうだぜ」
「気にせずとも良い。もともと無理のある旅程だった」
とファスは言うが内心では気落ちしているようだ。表情には全く出さないが、明らかに足取りが重くなっている。それでも何とか杖を突いて歩くも、ふうふうと息を吐いていた。
順調に行けば何とか次の街の門限に間に合うはずだったのだが、魔物が何体か出てきたために時間がかかってしまったのだ。
「悪いな。瞬殺しとけば良かったんだが……あいつらどうにも妙な動きをするもんで、様子を見たかった」
「妙、ですか。冒険者であるあなたがそう言うのなら、無視は出来ませんね」
「うーん、なんつうか、怯えてる、みたいな? 何かに追い回されて逃げ出して、その先で俺達に出会ったみたいな……」
まるで先日出会った賊のようだな、とシラハは思っていた。
「……いや、それよりも今日の寝床だな。噂によるとこの先に廃村があるらしいぜ。廃村って言っても、旅人や商人が寝床に使ってるって話だからまだ朽ちてはないはずだが……どうする?」
狙撃のリスクについて考えているのか、レゼーレは長く沈黙した後、単純な答えを出した。
「立ち寄りましょうか。どうにもここ数日は雲が多いですから、雨が降るかも知れません」
「? 雨が降ろうとも天幕があるではないか。プリュノールで用立てたであろう?」
「ファス、覚えとけ。普通、天幕は雨漏りする」
「むぅ、そうなのか」
話している間に、件の廃村が見えてきた。素朴な小屋がいくつかばらばらと点在している。それらの建物に損傷はほとんど見られない。そうなると打棄てられた原因は人災の類いだろうか。賊に襲われたのか、人口減で移住したのかは判別は付かなかったが。
「とりあえず、手頃な小屋を間借りさせてもらおうぜ。例えばアレとか……?」
ぴたりとシラハの足が止まる。
「シラハ?」
とファスが問うてくるも、シラハ自身にも足を止めた理由が分からない。
少し遅れて後付けの理由が思い浮かぶ。
――この村に入るのはマズい。よく分からねぇが、とにかくマズい。
この手の感覚をシラハは軽視しない。レゼーレの方を振り返ると、彼女も同様の感覚を覚えているようだった。口元の微笑こそ絶やしていないが、短剣の柄に指を触れさせている。
「良くない予感がします。引き返しましょう」
「気が合うな。俺もそう思って」
全身の産毛が逆立つ。
「ッ!!」
「それ」は雲間から陽光が漏れるが如く、あまりにも自然に、しかし速やかに、そして音も無く飛翔してきた。
シラハは反射的に「それ」を掴み取る。孤王を殺した後のシラハだから反応できた。その前だったのなら間に合わなかったかも知れない。
しかも「それ」はシラハの握力に握られて尚、完全には停止しなかった。込められた途方もない威力が摩擦の熱に転じ、それがシラハの掌をかすかに焼き、ようやく動きを止める。
掴み取った「それ」の正体は見るまでも無い。それは一本の
――矢だと!?
それを理解した時、ひょう、と風を切る音が聞こえた。二本目の矢では無い。一本目の矢の音が、矢に遅れて届いたのだ。
音越え。ごく限られた武人のみが立ち入れる領域。
しかも恐るべきは放たれた矢の軌道だ。もしシラハが掴まなくても、この矢は誰にも「当たらなかった」。そもそも当てる気がない矢だったのだ。
牽制ですらない。この音越えの矢はただの挑戦状なのだ。
嚆矢。
「子連れの獲物の動きは読みやすい」
風に乗って声が聞こえる。落ち着き払った男の声。
「子供が付いてこれる速度でしか歩めない。成獣だけの時よりも多くの休息を必要とする。子が疲れた所に良い寝床があればそこで休まずにはいられない。危険が伴うと分かっていながらそうせざるを得ない。親に出来るのはただ側を離れないことだけだ」
人影がある。おおよそ五十から七十歩の距離だ。近くはないが、シラハやレゼーレにとってはそう遠い訳ではない。シラハには彼の人相まで見て取れた。
何かに耐え忍ぶように口元を引き結んだ男であった。左手に弓を握っているが、構えてはいなかった。
「いいのかよ。次の矢を番えておかなくて」
シラハの声は特段大きなものではなかったが、あの男には聞こえているはずだった。シラハは先刻掴んだ矢を握り折りながら、
「この「御挨拶」もそうだが、随分余裕じゃねぇか」
この廃村には遮蔽物が多くある。それが射手に味方するかというと場合によりけりではあるのだが、今回の状況ではむしろシラハ達の方を利すると言えた。「余裕」というのはそれも指してのことだった。
「それともまさか、この距離を弓の独擅場だと思ってるんじゃねぇだろうな」
「否。だがこの距離でなくては意味がない。そこのレゼーレ卿ならば知っていよう」
男の炯々とした眼光がレゼーレの方へと向けられる。頭巾の変装などこの男には一切通用しないようだった。
レゼーレは「カブート殿」と男を呼んだ。やはりこの男が件の『流星群箭』カブートなのだ。
「まさかこのような場所で再会するなんて。以前お会いしたのは……そうそう、一年ほど前になるでしょうか。壮健なようで何よりです。ところで」
レゼーレは既に短剣を抜剣し、ファスが完全に隠れるように庇い立っている。長身の線の細い女が、嫋やかな笑みを浮かべ短剣を構えている姿は、まるで一幅の絵画のようだった。
しかしどんな巨匠であっても彼女が放つ凄絶な殺気を描ききることは不可能に違いない。レゼーレは吹雪のごとき声色で、
「あなた、今一体誰に矢を向けたか分かっていらっしゃるのでしょうね」
『十騎聖』の殺気を受けて、男……カブートはなおも揺るがない。
「ああ。噂によると『十騎聖』第八席と自身の師を斬り捨て、さらには拐かしまで働いて王都より逃亡した女がいるらしい。矢で射られても仕方のない罪だとは思わないか」
――待て、自分の師匠を斬っただと!?
レゼーレが同僚の『十騎聖』を不意打ちで斬ったというのは、ファスが言っていたので知っている。拐かしというのも分からなくはない。ファスを連れて逃げていることがそう取られたのだろう。だが師匠をも斬っていたという話は聞いていない。
師匠すらも敵だったのか。あるいはカブートが虚言を述べているか、虚言に騙されているか。それか、レゼーレ達が事実を言わなかっただけなのか。
真実を見極められるほどの材料はない。シラハはレゼーレ達のことをまだほとんど知らないのだ。その一方で、彼女たちが多くのことを隠していると言うことだけははっきりとしている。
当のレゼーレは「師を斬った」と言われても全く動じる様子はなく、
「まぁ。素晴らしい義侠心ですこと。惜しむらくは洞察力の欠如かしら。もしそれがあれば、そのような流言飛語に踊らされることもなかったでしょうし、『騎聖戦』の砂の味を知ることもなかったでしょうし……あなたが今犯している大罪にも気付けたでしょうに。あなたが矢を向けた御方は」
「無意味だ」
カブートがレゼーレを遮る。
「その少女の素性に興味はない。また、お前がその少女について何を語ろうとも、俺は敵の言葉を信用するつもりはない。……重要なのはただ一つ。お前が罪人として追われているという一点のみだ」
これにはレゼーレも理解が及ばなかったのか柳眉をひそめた。
「どういうことです」
「レゼーレ・フォレ・ベルラファール。お前に『騎聖戦』で敗れた日、俺は雪辱を誓った。またいつか必ず『騎聖戦』に再び挑むのだと。武人の頂点を決めるあの戦場で、お前か、お前を破った武人と戦い勝つのだと」
カブートはこの時初めて感情らしきものを見せた。まなじりを決したその目の奥に、山火事の如く燃え上がる戦意だ。
「だが、事実はどうあれお前は追われる身となった。それも子供連れでだ。いかにお前が堅守を誇る『十騎聖』であろうと、多勢を相手に少女を守り切ることは不可能。いつか必ず敗死する。それは許しがたいことだ」
カブートの裡に燃える炎は言葉を重ねる毎に増していく。
「俺を負かした武人が、子守で力を出せぬ中で数の暴力に削られ、名もなき雑兵に討ち取られるなど! そうなるくらいなら、もはや『騎聖戦』の場にはこだわるまい。たとえこの弓と技が政争の道具に成り果てようとも、雑兵共に討たれるより先に、俺がお前を狩る! そう思って、お前を追っていたのだが」
カブートの目がレゼーレの右腕へと向いた。添え木と包帯で固定された腕だ。
「一足遅かったようだな。長剣を封じられていようとは。お前が片翼である時点で全て無意味だが、せめて負傷が短剣であればまだ万に一つは勝機があったものを。俺がここで見逃してやった所で、腕が癒える前に別の刺客がやってくる。もはや尋常な決闘は叶わず、俺の雪辱は永遠に果たされないという訳だ。……それとも」
カブートの戦意がようやくシラハへと向けられる。
「お前が俺の雪辱の相手なのか? 徒手の武人よ」
「そうだ」
シラハは歯を剥いて笑う。やっと俺の出番か、と。
「こいつと一対一で戦り合って、腕を砕いてやったのはこの俺だ。レゼーレに用があるなら、俺が代わりに聞いてやるよ――俺が素手で戦うってことももう知ってるんだな。もしかして、さっきの魔物共はあんたがけしかけてきたのか?」
息を呑む音が聞こえた。ファスだ。常人である彼女はカブートの声が聞こえていないかも知れないが、シラハの声は聞き取れる。
「まさか、魔物を意のままに操るなど……」
「造作もないことだ。追い立てた獲物がどこに逃げるか分からぬようでは森番は務まらない。だが、あれは無意味だったな。お前は全く力を見せなかった」
いよいよカブートは右手を下ろし、腰の矢筒より二本目の矢を取る。
「やはりこの矢で確かめる他はない」
応じるように、シラハも半身になって構える。
「俺はシラハだ。短い間だろうがよろしく頼むぜ、『流星群箭』」
「……クレイユの森番ドニの不肖の子、カブート。これよりシラハ、お前を」
カブートが弓を引き絞り、鏃をシラハの眉間へと向け
「狩る」
音越えの矢を殺意と共に放った。




