第二十話「プリュノール発、色々経由、ミュライユ行き」
乗合馬車、というものがロカマドゥールには存在するらしい。
旅客を乗せて定期的に決まったルートを周回する馬車のことだ。馬車は普通、貴族と商人と貨物以外を乗せないものだが、この乗合馬車は旅人を乗せて金を稼ぐのだ。
ただ乗合馬車はかなり新しい商売であり、限られた場所でしか見られない。
「やっぱり路線? とやらが少ねぇみたいでな。乗合馬車はあるにはあるが、あんまり遠くまでは行けないってよ」
シラハが調べてきた情報を報告すると、レゼーレは細い顎を引いて頷いた。
「やはりそうですか。王都周辺のようには行きませんね。となると、その先は徒歩になってしまいますか」
馬車はあまり速い乗り物ではない。場合によっては歩きの方が速いこともある。ただ、それは一般人程度の体力があればの話だ。並の子供と比べてもなお貧弱なファスを連れて行くと考えると、馬車に乗れるならその方が良い。
大人達の思考を読んだかのようにファスは、
「遠慮は要らぬぞ二人とも。ここまでの道のりで私も少しは健脚になった。あの森を歩くことに比べれば、街道を行くことなど何の問題も無い」
そう言って、側にあった杖を叩いて見せた。『晦冥の森』でシラハが適当に枝から作った杖である。どうやら愛着が湧いたようで、森を出た後もファスはこの杖を捨てていなかった。
いくら杖を突いた所で二週間以上の旅を歩きのみで踏破するのは困難なように思えたが、シラハはあまり心配していなかった。
「安心しろ。一応、手がないこともない。とにかく、まずは乗合馬車でプリュノールを発つってことでいいよな。馬車の出発は明後日だとよ。明日一日羽を伸ばして、旅に備えようぜ」
その翌日は休養と荷物の準備に当てられた。ファスは少し退屈そうに見えたが、それは休息がもう十分であるという証拠である。
物資も必要な分は買い揃えた。火口も買ってあるので、『十騎聖』殿の腕力にものを言わせた原始的な火起こしから脱却できる。ただわざわざそんなことを口には出さない。シラハが火口を見つめていると、レゼーレが「何か言いたいことでも?」といった視線でこちらを見てくるからだ。
そしてさらに翌日、シラハ達は四日間滞在したプリュノールを発った。それは束の間の平穏の終わりを意味していると三人共が理解していた。
シラハ達は北部辺境を南下し目的地のミュライユ伯爵領に向かう。一方、ファスを狙う敵は王都より北上してくる。つまりこの旅は敵に向かって歩く旅でもあるのだ。
◆
がたがたがたと音を立てて、馬車が新しい轍を街道に刻んでいく。だが、その馬車は乗合馬車ではなかった。プリュノールを出発して三日が経過している。乗合馬車に乗っていたのは最初の二日だけだ。隣町に着いてしまうと、もう既にそこから先の路線がなかった。
この馬車は荷馬車だ。荷台の空いた場所にちんまりと座り込んだファスは、幌のない後方から外の景色を眺めながら、
「うむ……思ったより……悪くは、ない。悪くはないぞ……」
とぶつぶつ呟いている。が、言葉とは裏腹にしきりに座り直したり、深呼吸を繰り返したりしている。完全な虚勢だ。
だが、表立って乗り心地をこき下ろすことが出来ないのも確かだ。御者席にはこの荷馬車の持ち主が座っており、二頭の馬を御している。彼は上機嫌に、
「なかなかいい荷馬車でしょう? 四輪の幌付、軸受けも良く滑る。そりゃまぁ、人を乗せる設計ではないですがね。最近購入したばかりでして、失う訳にはいかない。護衛も欲しくなるってもんです。そこにあなた方が来てくれた」
と語る。
護衛とは言うまでもなくシラハのことである。シラハ達は荷馬車の護衛を引き受ける代わりに馬車に乗せてもらうという取引をしたのだ。冒険者が馬車旅をしたいときによく使う手であった。
「冒険者ギルドに依頼出したのはダメ元だったんですよ。あの街は『晦冥の森』からも距離がありますし……そしたらまさかまさかの一級冒険者様ですよ。本当に運がよかった」
シラハ自身は歩きで馬車に並んでいる。あの窮屈な荷台に乗るくらいなら歩いた方が楽だからだ。レゼーレもきっとそうだろうが、彼女は護衛――馬車ではなくファスの――の都合でファスの側に控えている。
シラハは御者席の商人に頷きを返しながら、適当に話を合わせる。
「こっちも運が良かった。お子様連れなもんでね。肩車より上等な乗り物が必要だったんだ」
「いやぁ、あなたの肩車は見晴らしが良さそうですけどねぇ。その子、学者の家の子なんでしたっけ? 『晦冥の森』の見学に行って、その帰りって訳ですか」
「そのつもりだったが、河岸を変えようと思ってな。やっぱり今一番お勉強になるのはパルーデだろ」
「そうですよねぇ。孤王が近年まれに見る大暴走をしたって聞いてます。魔物も封鎖領域外に出てきて大変だとか」
「領域内の魔物は外の奴らより強いからな。この街道にも魔物は出るらしいが、『晦冥の森』の奴らに比べりゃ大したことないと思ってる。賊も大概は何とかなる。安心して走らせろ」
「お願いします。あ、あと車輪が嵌まったりしたときも頼みます」
「ああ」
商人は初対面のシラハ達にも気さくである。商人らしい処世術とも言えるが、既にシラハに一定の信用を置いているのだろう。
冒険者ギルドは封鎖領域の管理を第一義としながら、資金獲得の手段としてこのように一般人からの依頼を斡旋したりもする。ギルドは冒険者の実績を事細かに把握している。傭兵などとは違って、ギルドが紹介する冒険者には最初から最低限の信用があるというわけだ。
ただシラハの実績についてはこの商人には明かさないようにしてある。孤王殺しと知られたら目立つためだ。幸い、実績自体を明かさずとも資格がある。ギルドの紹介した一級というだけで信用して貰えたようだ。正確にはただの一級ではなく仰々しい肩書きが付いた一級なのだが、一般人にはさして意味のないことだ。
等級がどうあれ結局、この場においては荷馬車を守り切れればそれでいいのだ。
ガチャリ、と金属の擦れる音がした。荷台のレゼーレが動いたのだろう。
「エール? どうしたのだ」
「……これは……」
「ああ、さっきから付いてきてるな。飽きてどっか行ってくれるかとも思ったが、余程腹が減ってるらしい」
平然と言うシラハとは対照的に、商人は冷や汗をかいている。
「ど、どういうことですかシラハさん」
「大したことじゃねぇ。ちょっとデカいトカゲが三頭、俺達に近づいてきてるってだけだ」
確かに「ちょっと」大きい。シラハが地面に伏せたくらいの体躯をした緑色のトカゲが、シラハたちを追跡している。ただ常人の視力では見えにくいだろう。シラハは延々と広がる草原のとある場所を指さして、
「ほら、あそこだ。なんかが動いてるのが見えるだろ」
「あれはグラスリザード!? ひぃ、護衛雇ってる時でよかった」
グラスリザードの狩りは非常に地味なものだ。ひたすらに獲物に這い寄っていくだけ。保護色と低い姿勢で接近を誤魔化しつつ、気付かれぬうちに獲物を追い詰めていく。逆に言えばそれ以上のことはない。近づかれる前にグラスリザードの姿を発見できれば、一般人でも五分五分の確率で逃げ切ることができる。だが馬車の速度では逃げきれない。そこで馬車を捨てることができずに食われてしまう商人は決して少なくないのだった。
「ど、どうしますかシラハさん」
「どうもしなくていい。普通に走らせろ。もうちょっと近づいてきたら始末する。そうだ、あんたトカゲの尻尾は入り用か?」
「し、尻尾ですか? 馬車の後ろにぶら下げとけば、こう言う時に役に立ちますかねぇ、あはは……今日のところは間に合ってます。しばらくトカゲ革を商う予定はないもので」
「なんだ。いらねぇのか。結構食えるぞ」
「え」
商人が絶句する一方、荷台のレゼーレは、
「随分と健啖でいらっしゃるのね」
と皮肉ってくる。
「冒険者の食文化ってやつだ。そういうあんただって花孔雀を……おっと、そろそろトカゲ潰してくる」
グラスリザードの姿が、一般人の目にも見えるほどはっきりと近づいてきている。ファスが「おお、あれか」と声を上げた。
この距離ならばシラハは瞬きの間に詰められる。シラハは地を蹴った。グラスリザードのうちの一頭、その頭上目掛けて飛ぶ。
――取った。
グラスリザードは頭上を取られてなお、シラハに気づいていない。狩る側が狩られる側になるなど想像していないのか。
――せいぜい楽に殺してやるよ。
もしこのトカゲの尻尾が必要なら多少いたぶってやる必要がある。彼らは勝てないと悟ると尻尾を自切し、それを身代わりに逃げようとする。刃のついた武器を持っていなければこの手段でしか綺麗な尻尾は手に入らない。だがクライアントは尻尾はご所望ではないらしい。シラハたちもお荷物はいらない。
よって狩りは一呼吸のうちに終わる。着地と同時に一体目、流れるように二体目、三体目。普通の打撃でも一撃だが、今回は鍛錬も兼ねて『雷勁』を打つ。孤王すら打ちのめすシラハの切り札ではあるが、小型の相手に対するコントロールにはまだ改善の余地がある。人間に近い大きさのグラスリザードはいい打ち込み台だ。
どぉんと遠雷のごとき打撃音の三重奏。果たしてグラスリザードはぐったりと地面にへばりつき、末期の痙攣を始めた。トカゲの絶命を確認したシラハは風のように馬車に戻る。
「終わったぞ」
「え、もうですか!?」
◆
「いやぁ助かりましたよ」
街についたシラハは商人から護衛の報酬を受け取る。馬車に乗せてもらった分、額は少なめだがそれでも十分路銀の足しになる。
「そっちのお嬢さん方もね。華やかな時間でしたよ」
レゼーレに手を引かれ馬車を降りたファスはまだ気分が悪そうだった。しかし流石というべきか、商人へ返したお辞儀は完璧だった。
「うむ。なかなかの道行きであった。感謝するぞ」
そのままシラハ達は別れの挨拶をしようとしたが、商人が思い出したように
「ああそうだ、シラハさん。一応伝えておきます。パルーデ……というかミュライユ伯爵領方面に行くんなら馬車はないかもしれないですよ」
「? なんでだ?」
「賊が出てるらしいんですよ」
賊、と聞いてレゼーレの目が細まる。
「並の賊であれば武術修行者達の試し斬りに使われて終わりでしょう。でも、商人さんの様子からすると、そうではないのですね」
「ええ。なんでもそいつら、傭兵崩れらしいんですよ。他の商人も襲われたって。私、シラハさんにこの馬車の護衛をお願いしたでしょう。でもこれ、本当は傭兵を雇うつもりだったんです。この手の仕事が得意な奴らに伝手がありますんで、既に話をつけてたんですが……あいつら、予定の日になっても来なかった。ただのすっぽかしか、それとも……」
「何かのトラブルに見舞われたかだ。例えば、他の商人の護衛をしくじって賊共に殺されたとかな」
一同が沈黙する。護衛付の商人を襲う、傭兵崩れの盗賊。もしそれが事実であれば侮れない。
「憶測ですよ。ただの。でも噂がある以上、馬車を出したがる人は少ないと思いますよ。徒歩で行くのも出来れば控えた方がいいと思いますねぇ。シラハさんなら滅多なことはないと思いますけど、お嬢さん方に何かあっちゃいけない」




