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第十九話「猿も木から落ちる」

5/4 微修正

 シラハは再び攻めに入る。両手で様々な形の拳を作り、打ち込む。


「フッ!」


 一撃必倒を狙うのなら体の中心線、正中線の上が良いということくらいは知っている。印堂、人中、顎、喉、水月、金的。これらは魔物相手にも効くことが多い、生物の弱点だ。


 だが魔物とは違い、人間相手に馬鹿の一つ覚えではすぐに見切られる。ゆえに狙いは常にばらけさせる。直接急所を狙うのではなく、腕や足を打って弱らせる策も考慮に入れる。


 その一撃一撃にシモンは顔を歪め、咳き込み、苦悶する。だが必ず防御を間に合わせ、直撃だけは回避してくる。少しフェイントを入れてみても結果は変わらない。


 思えば、レゼーレと戦ったときもこうであった。


――結局、普通の打撃じゃ倒せなかったもんな。


 『雷勁』以外の拳は全てあの長短二刀によって凌がれてしまったのだった。なぜだ。なぜこうなる。


 次はどうする――そうだ。武器を奪ってみようか。作る拳は一本拳。通常の握り拳から中指の関節を突き出した形だ。中指の関節を尖らせて打つので、威力が一点に集中する。これで相手の右手を打つ。そうすれば筋がしびれて剣を握ってはいられないはずだ。


「シッ!」

「クッ!?」


 この武装解除狙いの一撃さえシモンは読んでいたが、本当の意味で防ぐことは出来なかった。シモンの右手が素早く引っ込められ、確かにシラハの拳は空振った。ただし引っ込められたのは右手だけだ。剣は空中に置き去りにされている。

 つまり黒檀鋼の重い剣を持ったままでは手の回避が間に合わず、剣を捨てざるを得なかったのだ。


――ここまでか。随分粘った方だけどよ。


 黒檀鋼の剣が落下し、シモンの右手はそれを握り直すことが叶わず、むなしく空を切る。

 それをシラハは眺めつつ、既に準備していた『中天槌』を打とうとする。


 「遊び」といえど、これほどの隙を晒されてはとどめを刺すしかない。結局、己にある「隙」が何であるかは分からなかったことを残念に思いつつも、


――いや、違う!


 それは一度食ったことのある手であった。ゆえにシラハもこの一撃は「読み」が間に合った。

 水平に打つ『中天槌』を、振り上げる軌道の『昇陽槌』へ修正。ただし攻撃ではなく防御のため。シモンが頭上から左手を振り下ろしてくるのを、シラハは鉄槌にて受ける。


「チッ! これは読んでくるのか!」

 喚くシモンの左手は無手ではなかった。彼が黒檀鋼の剣を手に入れる前に持っていた、「一本目」の剣。背中に背負っていたそれの柄を、シモンは左手に握っていた。既に半分まで引き抜かれている。これを抜刀し、切り下ろすつもりだったのだ。シラハが先んじて止めなければそのまま「一本」だったかもしれない。


――レゼーレが二段階の抜刀術使ってくるの見てなかったら引っかかってたな。


 シモンの策はほとんど成功していたということだ。それはつまり、シラハの動きが今までより高い精度で読まれていたということになる。


 だがシラハはすっきりとした思いだった。


「やっと分かったぜ。あんたのいう「隙」が……なんで俺の攻撃が防がれるか」

「ハァ、ハァ……くそっ、もう腹も立たないな。君、俺のことを練習台にしてたね。本気を出さない訳だ」

「だから「遊び」だって言ったろ。悪いとは思ってるんだぜ」

「気にしないよ。負けるヤツが悪い。武に生きるってそういうことだ。でも、まだ俺は負けた訳じゃない」


 シモンは剣を利き手に持ち替えていた。左手はあくまでこうした奇襲の時にだけ使うようだ。レゼーレのように二刀使いという訳ではないらしい。


「さて、何が「分かった」のか教えてもらうよ。……来い」

「参る」


 シラハは正拳を、シモンに見せるように構えた。そしてそのまま真っ直ぐに突きを打つ。狙うのも胴。何の捻りもない単純な順突きだ。今までの打撃と同じ速度、いやむしろ遅くすらあった。


 にもかかわらず――シモンは全く防御の構えを取れなかった。


「ぐぅううううう!?」


 シラハの拳は、シモンの腹部を打ち抜くのではなく皮一枚だけを叩くようにして命中した。加減をした結果だ。それでもなおシモンは衝撃を堪えきれず、地面にうずくまる。


「正解は目付、だろ」


 あまりにも初歩的な隙だ。シラハは自分が恥ずかしくなった。

 先ほどのシモンの奇襲。なぜあれを食らいかけたか。簡単なことだ。シラハの視線がシモンの右手と、彼が手放した黒檀鋼の剣に誘導されていたからだ。だから背中の方の剣と左手は目に入っていなかった。


 視線。そう、視線だ。目付とも言う。そこで自身の行動を省みると、シラハは自身の視線が素直すぎたことに気付いた。狙っている場所をあからさまに注視していたのだ。


 シモンはそれを見てシラハの狙いを予測していたのだ。ある程度予測が立っているのなら、あとはその近くに構えを置いておくだけで良い。そうすればぎりぎり防御が間に合う。シラハはそのぎりぎりの速度に抑えた拳を振るっているのだから。


――あの師匠(クソじじい)が生きてたら殺されてるな。何度も言われたじゃねぇか。


 拳の間合いは短い。間合いが短いがゆえに、敵に接近しなければならない。すると相手の全身が視界に収まりきらなくなるのだ。それでもなお視界から情報を得ようとするのなら、せめて視野を広く保つ必要がある。


 だからどこか一点に目線を集中させることがあってはならないのだ――ということについては忘れたつもりはない。

 だが「目線で狙いが読まれる」という意識はほとんどなくなりかけていた。魔物ばかりと戦ってきた弊害だ。


 戦い慣れない人間を相手にして、さらに圧倒的格下を殺さぬように加減するという困難の中で、つい次に打つ場所を注視してしまっていたのだ。

 レゼーレ相手のときは手加減が不要な分、もう少しまともな視線遣いが出来ていたと思うが、彼女にとってはそれでも「分かりやすかった」のだろう。だから『雷勁』以外の技を悉く凌げたのだ。


 ともあれ、視線を集中させないように気を付ければこの通り、シモンの力では防げない。


 シモンは膝を着いたままだ。衝撃で五体が言うことを聞かないのか、顔だけでシラハを見上げている。


「ハハッ……ほんとに、嫌になる。あんなにも起こりがなくて速い動きが出来るくせに、こんな素人みたいなミスするヤツに負けるなんて。冒険者上がりかい、君」

「やっぱり分かるんだな、そういうの。……うん、ありがとな。あんたには「遊んで」もらったし、あの風を誰がどうやって吹かせたか教えてやるよ」


 シラハは辺りを見回して、周囲に誰もいないことを改めて確認する。

 日はもう沈んでしまっている。紫色の空の端に残る残照が消えてしまえば完全に夜だ。早く帰らなければならない。


 シラハは宿の方角を向くと、


「シモン、俺はシラハだ」


 そう言い残し、全力で走り出す。

 暴力的な加速に大気が悲鳴を上げ、ぐるぐると渦を巻く。それは竜巻の子供のようにシモンを蹂躙する。


「う、うわっ!?」


 シモンは膝だけでなく両手も地面について風に耐えている。

 これが「無詠唱魔術」の正体である。魔術もへったくれもない単なる力業だ。これで答えになっただろうか。


「じゃあな」


 シラハは去り際にそう言ったが、風に揉まれるシモンがきちんと聞き取れたかは怪しい。『雷拳』シラハの疾走は音すらも歪める神速なのだから。



 全力疾走はもちろん最初の数歩だけだ。それ以上は人目に付いてしまう。適当な所で足を止め、人混みに紛れて歩く。それでもすぐに宿へと着いた。


 ファスとレゼーレの部屋へと向かい、決まった回数だけ扉を叩く。合図を確認したレゼーレが扉を開けて顔を出す。


「戻りましたか。成果はいかがです? まさか遊んでいたなんて、そんなことはないでしょうけれど」

「色々聞いてきたぜ。ミュライユ方面行きへの馬車とか、周辺情勢とか。あぁ、でも遊んでたってのも嘘じゃない」


 シラハがそう言うと、案の定レゼーレは微笑みながら白い目をするという器用なことをして見せた。彼女は銀灰色の目を細めつつ、


「正直は美徳です。失わないようにして下さいね。……では詳しいお話を聞かせていただきましょうか。正直に。もちろん、それが婦女子に聞かせられるものならば、ですけど」

「いや、あんたがいうところの「害獣」が絡んできたから戯れてただけだよ。けど、やっぱり害獣呼ばわりは可哀想だぜ。戦うのが好きなだけのノリが良いおっさんだったし。あいつらの戦いにファスが巻き添え食いかけてキレてんのは分かるけどよ」

「怒ってなんていません。だって彼、まだお元気だったでしょう?」


 シラハもようやく理解したことだが、ロカマドゥールの武人は実に血気盛んだ。思えば、この女からしてそうであった。

 シラハは苦笑いをしながら、


「まぁとにかくだ。これからの予定を立てようぜ。ファスは起きてるか?」

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