第十八話「本日最後の買い物」
「背の高い兄ちゃん」はこの場にはシラハをおいて他にいない。
「? 俺のことか?」
シモンに話しかけられたシラハは少し虚を突かれたような思いだった。
確かに彼らしき気配を感じてはいたが、まさか話しかけられるとは思わなかった。
振り返ると、確かに昼間の決闘で勝利したあの壮年の剣士シモンの姿があった。ただ、その時とは違い剣が新しくなっている。
「ああ、さっきの。剣、買えたんだな。よかったじゃねぇか」
「うん。ほんとにね。俺もこんなとこで黒檀鋼の剣があるとは思ってなかったからさ、ちょっと熱くなっちゃった。片手剣はこれくらいの重さが一番だと思ってるんだけど、世間的にはそうじゃないみたいでね。あの値段で買えることはあんまりないんだよ」
シモンは戦利品の剣の柄を叩いて見せた。無精髭の口元がほころんでいる。言葉通り本当にこの剣が欲しかったのだろう。しかしだからといって元々持っていた剣を手放した訳ではないようで、腰に差す代わりに背負っている。
「そうか。そりゃ何よりだな。……で、何の用だよ。勝利と幸運を自慢しに来た訳じゃないだろ」
「うん、幸運、そうだね。確かにあの風は俺に味方した。そのおかげであっさり勝てた。本当は実力で文句がつけようのないくらいにあの子をコテンパンにしてやるつもりだったけど、時の運がああだったのなら仕方ない。って、勝負が終わった直後は考えてたよ」
日の光が茜色に薄れつつある。日暮れが近い。シラハとシモンのいる通りも段々と暗くなっていく。
「でも、もしそれが運じゃなかったら? おかしいと思ったんだよ。普通の風はどこか遠いところから吹いてくるものだ。なのに、あの子を押し出したあの風は人垣の中から急に放たれたように見えた。誰かが魔術でも使ったみたいに」
鋭いな、とシラハは内心舌打ちをせざるを得なかった。
シラハの拳を視認できたのはレゼーレだけだろうが、拳が起こした風についてはそうではない。シモンは注意深い観察力によってあの風が人為によるものだと勘づいたのだ。自身は決闘の最中であったにも関わらず。
「あの風、ちょうど君の近くから発生したように見えたんだけど、何か知らないかな」
「さぁ、知らねぇな。もし知ってたらどうするんだ」
「まぁ、『ドゥーラの決闘』に水を差した訳だから、建国王の名において然るべき報いを受けさせないといけないかな」
「その「誰か」さんが、あんた達のやらかしから「証人」を守ろうとしただけだったとしてもか? 巻き添え食いかけた俺の……知り合いがめちゃくちゃキレてたぜ。あんたらのこと獣とまで言ってたよ。猪と猿だってさ」
「ははっ! それを言われると本当に耳が痛い。あの子の突進力を殺しきれなくて、あんな投げ技になったのは確かに俺の未熟のせいでもある。だからまぁ、「報い」云々は正直建前なんだよ」
「ふぅん。じゃあ本音は?」
「気になって仕方ないんだ。あんな風は魔術に違いないんだけど、魔力の漏出を感じなかった。並の術者に出来ることじゃない。そして何より、詠唱が聞こえなかった。聞き逃しただけかもしれないね……でも、もしかしたら無詠唱魔術かも知れない」
シモンの推測は全く的外れだ。だが、「無詠唱魔術」と聞いてシラハがかすかに眉を上げる。
――俺を魔術師って勘違いしてんのか。にしても、無詠唱? んなもんあるわけねぇ。魔術には絶対詠唱が……いや。確か魔術師が……
「もしあの風が無詠唱魔術によるものだとしたらとんでもないことだよ。無詠唱で魔術が使える人間なんて、かの『十騎聖』、『声無き唱』のクレールだけだ。もし彼女以外の無詠唱の使い手が実在して、しかもあの場に居合わせていたというのなら。手合わせの機会を逃すなんて出来る訳がないだろう?」
「……ほんっとに面白ぇ国に来ちまったな」
クレールなる『十騎聖』のことは後でレゼーレに聞くとして、それより今はこの男だ。
シモンの年齢は見たところ四十半ばか。老いている、というには早過ぎるが、若さと呼べるものはもうほとんど失っているはずの中年だ。
それがこうも「燃えている」。戦士がそうだったように。
こんなものを見せられてはシラハも帰るに帰れない。
シラハはシモンに向き直る。
「誰がどうやってあの風吹かせたか知りてぇんだったか。そうだな。俺はこの国の人間じゃねぇから、『ドゥーラの決闘』は出来ない。でも、ちょっとあんたと遊んでやることは出来る。楽しめたら、教えてやってもいいぜ」
本来なら日が暮れる前に宿に戻るべきだろう。あまり長時間別行動を取るのは望ましくない。
だが、ここでシモンと「遊ぶ」ことは護衛の仕事にもメリットがある。
――対人戦の『技能』で『十騎聖』に追いつこうとは思わねぇ。けどそもそも対人戦の経験自体がなさすぎるのはやっぱりマズい。
手合わせの機会を逃せないのはシラハも同じだ。いずれファスを狙う刺客がやってくる。そしてその中にレゼーレを上回る武人がいるというのなら、努力は惜しむべきでない。
シモンの長年の経験に裏打ちされた『技能』はシラハの糧になり得る。
――食わせてもらうぜ。
だがその思考は一種の傲慢でもある。シラハに対しシモンは不満をにじませながら呟く。
「遊び、ね」
「そう、ただの遊びだ。悪いが名誉とか全力勝負とか、そういうのは他を当たれ」
「あぁ、いいよいいよ。君が杖を出さなくても、なんかステゴロみたいな構えしてても、全然構わないよ。本気にさせるだけだから」
軽い口調のうちに熱情を隠し、シモンが抜剣する。真新しい黒檀鋼の剣が夕焼けを照り返し茜色に光る。
と、刀身を見ている間にも既にシモンは間合いを盗んでいる。地面を軽くなぞるような、静かで密やかな一歩。既に剣の間合いにシラハを捉えている。
だが起こりを消したところでこの程度の速度なら無意味である。出掛かりを潰すように、シラハは飛び込みと同時に突きを繰り出す。
――昼間の決闘であんたの『格』は見切ってる。
シモンがぎりぎり防ぎきれない程度の加減をした正拳突きだ。剣の構えをすり抜けてシモンの胴を狙う。
「ぬぉっ!?」
鈍い打撃音と共に、シモンの体が後方へと吹っ飛ぶ。否。
「受け流したか。やっぱり防がれちまったな」
シモンは胴への一撃を左手を盾にして受けていた。その上で、衝撃に逆らわず後方へ飛んだのだ。
シモンは風を切って後方へと飛んでいく。が、石畳を足でこすりながら勢いを殺して、立ち止まる。
「ゲホッ……な、なんて打撃だ」
シモンは激しく咳き込み、拳を受けた左手に至っては痙攣しているが、片手剣の構えは崩していない。
「技の起こりが皆無じゃないか……パンチのくせに無詠唱魔術みたいだ。無詠唱を警戒してなきゃ防げなかったかも。なるほど、体術も一流ってことだね」
シモンはシラハの一撃に驚愕しているようだ。まだシラハを魔術師と考えているらしい。だがそれよりシラハの思考を占めるのは、
――ぎりぎり防げないはずの一撃を、ぎりぎり防いだ。つまり、俺は読まれた。……何でだ?
疑問を確かめるように拳を振り上げる。形としては『昏落槌』の動き。
『昏落槌』はもっとも単純な鉄槌打ちだ。すなわち握った拳を振り上げ、脇を締めつつ振り下ろす技。
だがこれも、
――やべっ。
振り下ろす寸前、シモンが剣の刃をシラハの手首に向けていた。
刃を向ける、シモンはそれだけで精一杯といった様子ではあったが、このまま鉄槌を振り下ろせばシラハ自身の力で手首が斬れてしまう。
本気になればいくらでも対処のしようはあるものの、それでは手合わせの意味が無い。シラハは鉄槌を諦め、反対の手でシモンを押し出すように掌底を打つ。
距離を取るための一撃だが、受け損なえば悶絶する程度の威力はある。しかし、これもシモンは凌いだ。体幹を捻るようにして掌底を流し、直撃を避けている。
「ぐぅっ!?」
それでも再び仕切り直しになるくらいに距離が生まれた。
シモンが歯を見せるように笑う。虚勢だ。それくらいはシラハにも分かった。額の脂汗を見れば一目瞭然だ。しかし、それでも壮年の剣士は笑って、
「まったく、遊びか。それが言葉通りの意味だとはね。こんな屈辱は久々だよ。この体術でさえ、これっぽっちも本気じゃないんだろ。ワクワクしちゃうね」
「気が合うな。俺があんたでも同じことを言うと思うぜ。で、本気にさせられそうか?」
「そうだね、君の動きは凄まじいけど、付けいる隙はありそうだ」
隙。シラハはそれを突き止めなければならなかった。己にある隙とは一体何なのか。手を抜いているとはいえ防がせるつもりのない打撃が、なぜ防がれるのか。




