第十三話「ようやく街へ」
シラハは「まぁまぁ栄えてんじゃねぇか」と呟いた。三人がプリュノールの街の中へ足を踏み入れた直後のことである。
視界が遮られる、と感じる程度には建物が多い。街を囲っているはずの市壁が町中からだとなかなか見えない。それより先に屋根だの庇だのが目に入る。
そしてほぼ全ての建物の外壁が漆喰やら膠泥やら――シラハには違いが分からないが――で固められている。木材が剥き出しになっているような箇所は少ない。火事対策だろう。それが必要なくらい家屋が密集していると言うことだ。
そしてそれは、そこに住む人間もまた然りだった。そこかしこから人の気配がする。
「そうなのよぉ。うちの子ほんとにかわいくって。きっとストラ姫にも負けないわよ」
「馬鹿野郎! てめぇは俺に怒鳴られながらじゃなきゃ包丁一つまともに打てねぇのか!?」
「だからぁ。ロカマドゥール、パルーデ、トゥオーノの三国が今まで均衡を保ってきたから平和が続いてる。だから俺達はこうして……ヒック……この時間から呑めるって訳よ」
「パーティメンバー募集中だ! 三級取ってる奴なら役割も立ち位置も不問だぞ!」
シラハは『格』によって高まった聴覚により、彼らの会話の内容まで聞き取ることが出来た。
しかし常人であってもこの街の活気を感じ取るくらいは出来る。先ほどまで押し黙っていたファスがにわかに息を吹き返す。
「おぉ、建物がある! 町民がいる! 何と素晴らしいことか!」
などと仰々しく手を広げて歓喜している。
まるで「おのぼりさん」である。シラハは思わず口元を緩めかけたが、
――いや、当然か。生きてこの街まで辿り着いたんだ。
命を狙われて『晦冥の森』に逃げ込んだ。魔物だらけの森の中で夜を明かし、ようやっと封鎖領域を抜けて町まで辿り着いた。その感慨は余人に推し量れるものではない。
「ええ。やっと一息つけますね」
「うむ……うむ。そうだな。いかに彼奴らでも北部辺境に手を回すには時間がかかろう」
「北部辺境?」
「えぇと、そうですね。シラハ、『晦冥の森』の地図はすぐに出せますか」
「ああ」
地図は出しやすいところに仕舞っておくのが冒険者のたしなみだ。シラハが地図を広げると、レゼーレよりも先にファスが指を出して地図の端の方を指さした。
「ここだ。この辺り、森の端が少し「尖って」いるであろう。この部分によって、ロカマドゥールは欠けたパイのような形をしておる」
シラハは丸いパイを思い浮かべた。丸く焼かれたパイは等分に包丁が入れられている。そのパイの四分の一か五分の一くらいを『晦冥の森』が食べてしまった……ロカマドゥール王国の国土はそんな形をしているらしい。
「この欠けた部分より北側を北部辺境と呼ぶ。隣国トゥオーノ寄りの地域だ。一方、森より南側には王都がある。私たちが元々いた場所だな。北部辺境と王都。直線距離ではそう遠くないが、封鎖領域によって隔てられておるゆえ、普通ならば往来するには時間がかかる」
「ですからファス様を狙う敵も、私たちが封鎖領域を抜けて北部辺境のこの町に逃げ延びているなどとは考えていない……いえ、考えてはいるでしょうが可能性としては低いと見積もっているはずです」
当然である。護衛対象を連れて『晦冥の森』を抜けようなど正気の沙汰ではない。
「向こうは順当に考えて、封鎖領域を迂回するルートを潰していくであろうな。私を捕らえるにせよ殺すにせよ、それはエールを突破しうる使い手でなくてはならぬ。そんな腕利きは数少ない。北部辺境などという僅かな可能性に遣わす余裕はないはずだ」
「あるとすれば、森の中まで尾行けられてた場合か。そしてそんな奴は俺以外いなかった。なるほどね。不法侵入……おっと。森に「迷い込んだ」おかげで、敵を出し抜けたって訳か」
「もちろん気は抜けぬ。伝書鳩や魔導共振器で命令を飛ばし、現地の者に私たちを捜索させることは出来るであろう。見つかればすぐにでも刺客が派遣される。しかし見つかるまでは安全だ。少なくとも今までに比べれば」
追われるばかりだったファスとレゼーレはここでようやく、時間の猶予を手に入れた訳だ。
本来であればこの一刻千金を生かし、すぐにでも目的地であるミュライユ伯爵領に向かうべきなのだろうが、
「まずはこのプリュノールで一度体勢を整えます。ほとんど着の身着のまま王都を飛び出してきていますからね」
とレゼーレは言うが、それは建前で本当はファスを休めるためだろう。
王都を出て何日逃避行をしていたかは分からないが、ファスは同世代の子供と比べても貧弱な部類に見える。
今は町にたどり着いた興奮で一時的に元気を取り戻しているようだが、
――呼吸のリズムが不規則。ガエルとかいうのを伸したぐらいからずっとだ。それに姿勢も大分崩れてんな。筋肉痛を庇って変な歩き方をして、それで余計疲れちまってる。
無茶続きが祟っているようだ。いつ体調を崩してもおかしくない。
――俺が抱えていければよかったんだが。
しかしシラハは有事に備え身軽でいなければならないし、そもそもファスの身を任されるほどには信用されていない。が、森の外で怪我人のレゼーレがファスを抱いていてはあまりにも目立つ。ファスには無茶をして貰う他なかったのだ。
だがシラハなどよりずっと忸怩たる思いを抱えているはずのレゼーレはそれをおくびにも出していない。
ゆえにシラハも素知らぬ顔で、
「そうか。じゃあとりあえず宿を探すか」
と歩き出す。
宿といっても様々な選択肢がある。
酒場が馬小屋の寝藁を貸すようなのもあれば、雑魚寝の大部屋のみの場所や、簡素なベッドを一部屋にぎっしり詰めたようなところもある。町の外に行けば門限を逃した旅人用の簡易宿泊所があるし、教会に頼み込めば長椅子を借りたり、奉仕を手伝えばもう少しまともな寝床にありつくことも出来なくはない。
が、ファスを休めるためにはやはり専業の宿屋でなければならない。ベッドに布が張ってあるのが最低条件だ。
幸いプリュノールにはそうした宿も複数あるようだった。シラハはその内の一つには入ると、宿の主人らしき中年の男に声をかける。
「よう。空き部屋はあるか?」
主人は「どうだったかねぇ、ちょっとお待ち下さいよ」と言うと、机の下から帳簿を取り出した。帳簿などつけている時点で既に「きちんとした」宿であることは確定だ。問題は泊まれるかどうか。
「あぁ、多分大丈夫そうだ。三人なら一部屋でも入りますが、どうします?」
「あー、どうなんだ……?」
ファスの護衛という観点からすれば同じ部屋に泊るべきだと思う。それに旅の連れ合いが別々の部屋に泊るというのはいささか不自然だ。しかしああいう育ちの良い人間を男女相部屋にしてよいものか。
等と悩んでいるうちにレゼーレがつらつらと
「二部屋でお願いします。可能ならば横並びで。そしてもっと言うならば突き当たりの部屋が望ましいです。三泊程度のつもりですが……念のため七泊を見込んでおきたいです」
「えぇー。そんな都合よく空いてたかな……あ、運が良いな。一応全部ご希望に添えますわ。でも角部屋でね、ちょっと広くてね、その分ベッドもね、それを一週間ってなると……」
主人が突如として言葉を失ったのは、レゼーレが片手で器用に財布の袋を緩めて見せたからだ。
「高い要求水準には、高い報酬があって然るべき。もちろん弁えています。これだけあれば足りるでしょうか。それとも逆に、両替をしておいた方がよろしかったかしら」




