第十話「パーティの前提、そして」
明くる日、シラハ達は朝食を取るとすぐに出発の支度をした。
「レゼーレよ、やはりそなたが私を抱えていくのは……いや。戦力上はこれが適切なのだな」
「はい。私が半端に片手を空けておくより、シラハを十全に戦わせられるようにしておいたほうが安全なのです。少し「乗り心地」は悪いかもしれませんが、どうかご辛抱の程を」
「辛抱など、この前乗った乗合馬車に比べれば……あれは酷かった」
ファスはそう言うとばんざいをするように両手を挙げる。レゼーレの肩につかまろうとしているのだが、途中で痛そうに顔をしかめた。昨日慣れない杖を持ったせいで筋肉痛なのだろう。ちなみにそれでもスプーンくらいは持てていた。
「き、気にするでないぞ。辛抱辛抱……さぁ、レゼーレ頼む」
「いえ、少しばかりお待ち下さい」
とレゼーレは制止する。視線は背後、木々の茂る暗がりの先へと向けられている。
「シラハ、どうするべきだと思いますか」
「ここで殺っちまったほうがいい。だから出発を急がなかった。正直逃げ切れるとは思うんだが、カサカサ追いかけられても落ち着けねぇしな」
「一体何の……あぁ、魔物か。ところでカサカサとはどういうことだ。まさかどんな魔物かまで分かっているというのではあるまいな」
「一応俺は五年近くこの森で冒険者やってるんでね。ところでファス、虫は好きか」
「う、よもや」
ファスの口元が引きつる。その答え合わせをするかのように落ち葉を踏む音が近づいてくる。
「Kishishi」
そうして現れたのは俗に言う「カマキリ」だ。ただし人間大の。ライトリーパーと呼ばれる魔物である。ライトリーパーは鎌状の前腕を構え、こちらを威嚇してくる。鋸刃のような棘を無数に備えた凶悪な鎌である。
「ま、またこやつか」
「また、ですね」
「なんだ。出くわしたことがあるのかよ」
「ある。不意を打たれたもので肝を抜かしたぞ……」
ライトリーパーの体色は煤けた茶色であり森の木々に紛れる。最悪の場合、遭遇したことも分からないままに殺される。熟練の冒険者や武人なら気配を察知して警戒することは出来るが、それでもライトリーパーの擬態を見破るのは容易でない。
「今回は正々堂々表れて下さり助かりましたね」
などと話している間にもライトリーパーは上体を揺らしながら少しずつこちらに近づいてくる。近づいてきているのに、保護色のせいで間合いが測りづらい。
「シラハよ。そなたにとっては相性の悪い相手であろうが……頼むぞ」
「ん? 相性の悪いってのは?」
「あやつはレゼーレでもまともには斬れぬほどに堅かった。剣で斬れぬ相手を拳で相手取るのは苦労するであろう」
「あー、そうか」
『雷勁』は既に見せているが、素人であるファスには何が何だか分からなかっただろう。直接『雷勁』の餌食となったレゼーレにはなんとなく察しがついているだろうが、それでも『雷勁』の性質を正確に把握するまでには至っていないかもしれない。
シラハはもう一度『雷勁』を披露してやることにした。
「まぁファスの言うとおり、こいつは細い見た目の割に堅い。拳で普通に殴っただけじゃ――」
「KiShi――!!」
ライトリーパーは人間達が会話している隙を見逃さず、その大鎌をシラハの背後から振り下ろした。
シラハはそこに、おもむろに裏拳を振るった。
爆発音と共にライトリーパーが吹っ飛ばされ、側の木の幹に激突した。一瞬の後、地面にずり落ちたライトリーパーはカクカクと震えている。
「――普通に殴っただけじゃあんまり効かねぇ。こんな風にな」
「すまぬ。ものすごく効いておるように見える」
とファスが目を丸くする一方、レゼーレの目は鋭い。
「ファス様。それは違います。あれはただ吹き飛ばされただけです」
レゼーレの言葉通り、ライトリーパーはすぐに立ち上がった。腹いせのように鎌を振るって木を薙ぎ倒しながら。腕力も健在であるようだ。
「そういうこと。まともに殴り殺すには今の俺でも十発必要だ。けど、レゼーレに使ったような打撃を、『雷勁』を込めれば、こうだ」
今度こそ獲物を刈り取ろうとライトリーパーが四本の足をせわしなく動かしてシラハに突撃してくる。
シラハはそれを迎え撃つ。拳の手の甲側を振るう打撃。また裏拳だ。だが今度はただの裏拳ではない。
――『雷勁』。
シラハの裏拳打ちがライトリーパーの大鎌を弾いた。凄まじい速度の拳ではあったが、あくまで当たったのは大鎌で、頭部や胴体ではない。あのしぶといライトリーパーはすぐにでも二撃目を振るってくるはずだった。しかし、
「――、――!」
どぉん、と遠雷のような音がした。裏拳の直撃からほんの刹那遅れてのことだ。ライトリーパーはまさに雷に打たれたかのように静止している。そして一瞬の後、全身の関節から体液を噴き出しながらひっくり返った。
「何がなんだか分からぬ」
ファスは恐る恐るライトリーパーをのぞき込む。どう見ても死んでいる。体液にまみれたカマキリの死骸をファスは少しの間眺めていたが、早々に目を逸らした。
「きも――なんでもない」
「なるほどね。生きてるのは良いが、死んでるのはダメか」
「なんでもないと言っただろう。忘れよ。それよりシラハよ、今何をしたのだ?」
「『雷勁』だ。普通に殴るんじゃなくて、衝撃波を相手の体内に徹した。体内に打ち込むものだから、相手がどれだけ固い殻やら鎧やらを着込んでても関係ない。そして衝撃波は体内を伝播する。だから今やったみたいに、腕を殴っただけで敵の内臓を潰せたりする訳だな」
「むぅ。聞いてもよく分からん」
ファスの潔い台詞に、そりゃそうかとシラハは苦笑いする。
「が、凄まじいのは分かる。一昨日にこのライトリーパーとやらに遭遇したときはレゼーレでも苦労しておった。可動部の隙間を狙って何とか首を落としたがあやつ、首を無くしてなお大鎌を振りよった……それを拳で即死させるとはな」
「専門性の違いさ。人間は首を斬ったり心臓を潰せばすぐに死ぬが、魔物は必ずしもそうじゃない」
獣型の魔物は心臓が損傷してもしばらくは戦えるし、ライトリーパーのような昆虫型の魔物であれば頭部を失っても残った体が攻撃行動を取ったりもする。
「俺は冒険者だからな。しぶとい奴らを殺しきるために威力重視だ」
「そうか。レゼーレ、そなたはこの『雷勁』をどう見る?」
ファスに話を振られ、レゼーレが顔を上げた。先ほどからずっと『雷勁』の考察を行っていたようだ。その考察を立て板に水が流れる如く語り出す。
「シラハの言葉は信じてよいかと。外形の破壊ではなく内部への衝撃を優先した攻撃、それ自体は珍しくありませんが驚嘆すべきは衝撃の浸透率でしょう。敵の装甲を無視しながらさらにそこから衝撃を体内の深部へ伝播させている。内臓を直接殴ったのと変わらない威力を実現しているのです。しかも今の打撃は気合も発声もなしに放たれた。つまりこの打撃は一切の魔術的要素を含まない純粋な体術だということです。それが一体何を意味するのかと申しますと無拍子でこの恐るべき打撃が――」
「分かった。分からぬが、分かった」
「そうですか?」
ファスに制されレゼーレが口を閉じる。一瞬残念そうに眉が動いたように見えたのはシラハの気のせいだろうか。
レゼーレが次にシラハに目線を向けたときにはもうお馴染みの、感情の読めない笑みを浮かべていた。その笑みのまま、レゼーレはこう問うてきた。
「シラハ、なぜこの技を見せたのです」
「は? 見せるも何も、もう一回見せてるだろ」
「一回と二回は同じ事だと? それはまぁ、ずいぶんと景気がよろしいのですね。そうは見えませんが。……一回と二回は違います。あなたも分かっているはず」
レゼーレは左手で剣を握るふりをして、その見えない切っ先をシラハに向ける。左と右とで差はあるが、突き技『翔け貫くは雨燕』の構えだ。
「あなたはこの技を三度目で躱しきった。一回、二回と観察することで技への理解が深まったからでしょう? それは私も同じです。その『雷勁』で右腕を打たれたとき、私は何が起こったのか分からなかった。ですが今は違います。今見た『雷勁』と、この右腕の負傷状況を元にして、その技のおおよその術理が理解できたためです」
「結構な事じゃねぇか」
「ええ。私にとっては。ですがあなたにとっては何のメリットもない。自分の手の内をわざわざここで明かす必要はあったのですか」
そういうことか、とシラハは納得した。
これも専門性の違いだ。
「必要はある。俺達は味方同士だろう」
シラハが言ってのけた言葉にレゼーレが固まった。
「冒険者ってのは基本的には馬の骨でな。認定証は最低限の脳みそと腕が無きゃ取れないが、逆に言えばそれだけでいい。それ以外は何も身分の保障とかはない訳だ。そんな中で、冒険者達はパーティを組む」
思い浮かぶのはケヴェルの冒険者ギルド、その酒場だ。よくもまあ、あんな狭い空間にあれだけいろいろな人間が集まっていたものである。
「当然互いに対して疑念は尽きねぇ。同じパーティの「仲間」がどんなヤツかまるきり分からないんだ。油断してると背中を刺されるかもしれない。そういう警戒は当然する。だがその上で互いに手の内を明かし合う。そうじゃなきゃパーティの意味がねぇからな」
封鎖領域は極めて危険な場所だ。そこで行われる仕事はどれをとっても容易ではない。
「難しい仕事をするならある程度は相手を信用しなきゃ始まらない。もったいぶって力を隠してたらいざって時に連携が取れないで後悔する。危険を冒してでもやりてぇことがあるからこその「冒険者」。そして俺は冒険者だ」
シラハは自分の胸を叩いた。
「ファス、レゼーレ。二人が危険を飲み込んで俺を信用するのと同じように、俺もあんたらを信用する。俺達の利害は一致してるはずだと取りあえずは信じる」
ライトリーパーの死骸を指さしながら、
「俺にはああいうことが出来る。それを考慮して今後の計画を立てろ。他の『十騎聖』が襲ってくるかもしれねぇんだろ。だったら無駄に腹を探り合ってる余裕はないと思うぜ。だから『雷勁』をもう一度見せたんだ。それがそんなに不思議かよ」
「ええ。不思議です」
レゼーレの即答を聞いて、シラハはまぁそうだろうなと思った。
対人の剣技を修め、護衛をやっているレゼーレはシラハとは全く違う考えを持っているはずだ。手の内は隠すもの。それを見せて良いのは主君か、殺すと決めた敵にだけ、とまで思っているかもしれない。専門性の違いとはそういうものだ。良い悪いではないがわかりあうことが出来ない。
しかし、それでもレゼーレは「ですが」と続けた。
「あなたなりの考えがあることは分かりました」
「はっきり言って良いぜ。考えなしに技を見せびらかすバカじゃなくて助かったってな」
「まぁ。そんな品の無い言い方出来ません。……というのは冗談として」
レゼーレがシラハと目を合わせてきた。レゼーレは女にしては背が高いが、シラハも長身なので身長差はある。なので少しだけレゼーレが上目遣いをする形となる。彼女の瞳は磨かれた銀に似て、シラハの顔を映し出した。
「頼らせていただきます」
「ああ。じゃあ、虫も叩き潰したことだし出発するか」
森の中を二つの風が走り抜けていく。シラハと、ファスを抱えたレゼーレだ。速さで言うと馬の駈足くらいだろうか。駿馬の全力疾走には及ばない。シラハが一人で森を駆けていたときよりは随分と遅いが、それでも驚嘆すべき速度だ。レゼーレは片腕が使えず、森に慣れている訳でもなく、さらにその上ファスを大切に抱えている。その上でこれだけ走れているのだ。シラハには及ばないにせよ、この『十騎聖』も超人である。
一方のシラハが楽をしているかというとそんなことはない。怪我人のレゼーレにファスを任せている以上、それ以外は全て引き受けている。三人分の荷物を背負い、感覚を研ぎ澄ませて周囲を索敵、地図を見ながら進行ルートを策定、先導をし続ける。それでも避けられない魔物は接敵と同時に瞬殺する。
それを昼頃くらいまで続けただろうか。
「そろそろ森の外だな」
シラハが停止の合図を出すと、レゼーレも滑らかに減速し、止まる。レゼーレに補助されファスが地面に降りた。
「おお、言われてみれば明るくなってきたな。木が減ってきたか」
「はい。ですので、ここからはまた歩いて行かなければいけません」
誰も見ていない森の中だから走っていたが、同じ事を森の外や街道でやれば大いに目立つ。「敵」に見つかる可能性も高まる。
森の外を目前にしたシラハは背後を振り返った。無数の木々と、その間にわだかまる暗がりだけが鬱蒼と広がっている。だがこの鬱蒼としたこの場所こそがシラハの青春だった。ケヴェルを後にし、今『晦冥の森』すらも後にしようとしている。
「ではまた体を動かすとするか。最高の乗り心地であったゆえ惜しくはあるがな――む、シラハ、どうした」
「大したことじゃない。気にするな」
シラハは前方へと目を向ける。背後の森とは対照的に、木々の間からこぼれた陽光がきらきらと輝く明るい光景だ。
程なくして、シラハはロカマドゥール王国に足跡を刻んだ。




