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第九話「護衛」

 ばちばちと焚き火から火の粉が舞い上る。晦冥の名の通り真っ暗な森の中では火の粉の一つ一つまで見て取ることが出来た。


 焚き火から少し離れたところでファスが寝息を立てている。落ち葉をかき集め、その上に外套やらなんやらを敷いて作った即席のベッドである。『晦冥(かいめい)の森』においては最高級の寝床だったが、ファスにとっては寝苦しいようで何度も寝返りを打っていた。だが先ほどからは動く気配がない。夜が更けてようやく熟睡に入れたのだろう。


 ファスの側にはレゼーレが控えている。木の幹に背中を預けて座っている。立て膝なのはいつでも立ち上がれるようにするためだろう。レゼーレはその姿勢のままで寝入ったり目覚めたりを繰り返している。今は起きているようだ。


「横になっても良いと思うがな」

「それは私が判断します」

「ふぅん。まぁいいけど」


 レゼーレの言い分も分かる。本職の護衛であるレゼーレはシラハへの警戒を解くことが出来ないのだ。

 この状況ではシラハを信用するしかないと分かっているし、シラハの方に害意がないことも薄々分かってはいるはずだ。

 だがそれでも警戒を怠って良い訳ではない……とでも考えているのだろう。


 レゼーレとファスは焚き火の反対側だ。何を言うでもなくこの配置になった。


「シラハ。この「護衛」について、ファス様からどれだけのことを聞きましたか」

「まだ詳細な指示は受けてねぇな。ファスを守って目的地までに辿り着けば良いって事ぐらいしか」

「「守る」というのがどういう意味かは?」

「まだだな」

「そうですか。では私から説明しましょう」


 顔を上げたレゼーレの頬に焚き火の光が当たる。この夜の中では、レゼーレの表情までは読めず、顔の白さのみが見て取れるのみだ。


「第一に、ファス様には傷一つ負わせてはなりません」

「ま、護衛なんだから当然だな。で、「傷」ってのはどこからどこまでだ?」

「どんな些細な傷であっても、どんな僅かな痛みも許容できません。……と、言えない己の無力が腹立たしい」


 レゼーレは幾重にも固定された自身の右腕にそっと指を這わせた。


「状況が状況です。軽微な擦り傷や逆むけのような、自然に放っておいても跡が残らず治るような傷については除外します」

「あんたの魔術で治せる範囲、とは言わないんだな。治療も一応は出来るんだろ」

「言葉通りに捉えて下さい。それ以上の条件は知らない方が上手く動けるはずです」

「分かった。で、次は?」

「第二に、私とファス様が離れる状況を作ってはいけません」

「それは例えば「お花摘み」に行く時もか。森の中はともかく、宿屋のトイレまで一緒に入るのか」

「まぁ。そんな言い回しを知っているとは思いませんでした。ですがこの場においては不要です。そう。ファス様、あるいは私が厠に行くときでも、私たちが離れることはあってはならない。個室の厠でも一緒に入るのが最善です。恐れ多くも」


 冗談のつもりの質問にとんでもない返答が帰ってきてシラハは閉口した。


「徹底してるな。扉一枚隔てるのもダメなのか」

「その場合は会話を絶やさないようにします。とにかく、私がファス様の無事を確認できない状況を一瞬足りとも作らないで下さい」

「あぁ、分かった、分かったよ」


 意識を失ったレゼーレを運んでいる最中のことを思い出す。シラハが少しでもファスに近づくとレゼーレの左手が動くのだ。ファスが転びそうになっても助けられないので杖を作ってやる羽目になった。

 レゼーレは無意識でも、寝ているときでもファスに注意を向けている。


「要は本当の意味でファスを守るのはレゼーレに任せりゃ良いって事だろ。あんたが盾で、俺が剣。それで、次はどんな難題だ?」

「はい。そして第三に……ええと」


 少しの間、レゼーレの声が途切れる。なんだ、説明に困るほど複雑な条件なのか。とシラハが渋面になりかけたとき、


「私のことも守って下さい」

「……へ?」


 一瞬、シラハはレゼーレお得意の諧謔かと疑ったが、それにしては冴えがない。


「そうか。ところで体調はどうだ。骨折もあまり酷いと熱が出るからな」

「あら、ご心配どうも。私は魔術で解熱していますのでお気になさらず。それよりあなたの判断力低下の方が心配です。夜も遅いですし、おねむの時間でしょうか」


 レゼーレは咳払いをして、


「もう一度言います。私のことも守って下さい。これも護衛の条件の一つです。さっきも言ったでしょう。ファス様と私は離れてはならない。つまり、私も無事でなければならないのです。けれど丁重に扱っていただく必要はありません」


 ――そりゃ、今更お姫様扱いしたところでな。


 既に右腕を粉々にしておいて丁重も何もないだろう。そう思ったシラハだったが、レゼーレが続けた説明は予想を上回っていた。


「最悪の場合、私がレゼーレとして他者と意思疎通出来る状態でさえあれば、それ以外はどうなっていても、例えば四肢を全て失っていてもいい。顔が崩れて私であることが分からなくなっていても構いません。言葉で私であることを証明します。喉や耳が潰れて口が利けなくとも、筆談が出来ればそれでいい」


 レゼーレが語る「最悪」にシラハは息を呑む。


「今まで第一、第二、第三と条件を述べましたが、これは優先順位でもあります。私はこの左手一本でもファス様だけは死守する。ですが、ファス様の悲願を達成するには私の生存もほぼ必須条件です。ですからどうか、私が私を守りきれないその時は、シラハ。あなたが助けて欲しいのです」

「そうか。茶化して悪かった」


 レゼーレとは今日会ったばかりだ。だが戦いや会話を通じて分かったこともある。


――こいつは滅茶苦茶プライドが高い。


 ファスは貴族と思われるが、護衛であるレゼーレ自身もそうなのかもしれない。あるいは騎士階級か。ともかく、立ち振る舞いと自尊心が平民離れしている。ただレゼーレはその自尊心に見合うだけの実力を持っている。だから虚栄ではない。誇り高い、ということだ。

 その誇り高い彼女がかつての敵に対して守ってくれと懇願する言葉は、一体どれほど重いものなのか。


――しかも「レゼーレ」を守るって言うよりかは、「ファスの駒」を守ってくれって言い方だ。


 必死なんだな、とシラハは思う。

 一瞬焚き火が揺らぎ、大きく燃え上がった。それによってレゼーレの顔が僅かの間だけはっきりと見えた。硬く、張り詰めた表情だった。

 日中のレゼーレはもっと柔らかく、どこか余裕すら感じられる顔だった。

 だが今はその必要がない。ファスが眠っているからだ。


――あいつに不安を与えないようにしていた訳だ。筋金入りだな。


 レゼーレはファスと「ファスの駒」を必死に守ろうとしている。それが何のためかまでは分からない。堂々たる正義のためかもしれないし、言い訳のしようも無い私利私欲のためかもしれない。

 ただ一つ言えることは、シラハは何かに必死になれる人間のことが嫌いではない。


「分かったよ、俺はあんたのことも守る」

「……どうか、お願いします」

「あんたはぶちのめしがいがあったからな、ちゃんとその腕治して、五体満足で復活して、それでもう一度俺にぶちのめされてくれ。そのためにもあんたは守るさ。もちろん優先するのはファスだが」

「言われずとも、もし「もう一度」があればその時こそあなたを斬ります」

「そうしろ。出来るもんならな。……もう少し寝ておけ。あんたの方がおねむだろ。適当なタイミングで起こすから、そしたら不寝番を代われ」

「分かりました」


 レゼーレはそう返事をしたのを最後に微動だにしなくなった。眠ると決めたらすぐに眠る。戦士の心得だが、こうも徹底できる者は少ない。護衛という仕事の過酷さが垣間見えるようだった。

 だがシラハはその上で、


――なんだかこいつが寝てると絵になるな。


 などとどうでも良いことを思うのだった。


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