63.やっと帰還
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「ゴブリンが毛の短い猿だったなんてなぁ……」
『言葉の違いさ』
僕の独り言にアベルが答えた。
『君の世界とこちらとでは言葉の解釈が違う。水や鉄のように共通するものはそのまま君の頭に届くが、君の世界に存在しないものはこちらの世界の言葉のままで届く。ゴブリンはたまたま似たような言葉だったのだろうね』
なるほど。確かに、ガーグやサイノスなんて僕の世界にはいない。でも、水や鉄はここの世界にも僕の世界にもあるから、普通に単語として翻訳されているってことか。
『まあそのようなところだ』
なんだか無駄にファンタジーだな。
釈然としないながらも、小屋の中から食事の支度ができたとパージが声をかけてきたので、僕は小屋に入って行った。
「村長から返事は?」
夕食後、剣の手入れをしながらアーノンさんが尋ねると、パージは無言で首を横に振った。
アーノンさんは少し考えるように手を止めたけど、すぐに作業に戻った。
「戻るという連絡だけですから、特に返事をしなくてもいいと思われたのかもしれません。何かあったなら連絡をくれるはずですし」
パージが言うと、アーノンさんは黙って頷いた。
カインさんも部屋の隅に立膝で座り込んだまま動かない。
「僕、風呂の用意をしてくるよ」
沈黙に堪りかねて立ち上がり、小屋から出る。
風呂は小屋の横にある、さらに小さな物置のような建物にあった。
扉に描かれた魔法陣に魔力を流すと、中に灯りが点いて隙間から光が漏れる。
扉を開けると、薄暗く灯りが点いた浴室があった。
この世界は電気がない代わりに、灯りの魔法がある。
LEDみたいなもんで魔力を直接灯りに変換してる。
扉の魔法陣から壁にかけられた灯りの魔法陣まで魔力を流す回路を伝って魔力が供給されて灯りがつくって仕組みだ。
木でできた浴槽は、大人の男が軽く膝を曲げて入るくらいの大きさで、覗き込むと汚れなどはなく水を張ればすぐに使えそうだった。
狩猟小屋は共有で使うから、必ず掃除をしてから出るのが決まりだ。
三の小屋は使う人がほぼいなくて、アーノンさん達くらいだから埃ぽかったけど、ここは他の人も頻繁に使うから時々ちゃんと掃除しない人もいるんだってパージが文句を言っていた。
水は村みたいに貯水タンクがあるわけではなくて、川から直接水道を引いているらしい。蛇口に魔力を通すと水が出てくる。蛇口には温度を移動させる魔法も込められていて、適温のお湯が出てくるのがありがたい。
村長の家もこのタイプだから、この世界の風呂は大体こんな感じなのかもしれない。
それでも、魔法陣を仕込むのはとてもお金がかかるから、平民にはとても手が出ない。
アソンの村では共同浴場は2つある。ひとつは村の中央にある一般用のもので、もうひとつはハンターの集落にあるもの。僕たちはそこを使ってた。
ハンターは基本集落を離れない。いつ何時魔獣が漏れ出てくるか分からないからだ。
もちろん、シニストロの時みたいに依頼で長く村を空けることもあるけど、他のハンターがカバーしてくれるからね。
それでも、今回のアーノンさん達の不在は村に大きな負担になったんじゃないだろうか。
アソンの村には15人のハンターがいる。
アーノンさんとパージを除けば13人だ。
もし、前のエイクのように大怪我をしてしまったらハンターが足りなくなる可能性だってある。
村には専任の治癒師はおらず、数人の治癒師が周辺の村を巡回してくれている。
だから軽い怪我なんかはスクロールで治すのだけど、大怪我をした時に治癒師がいなかったら――いや、いたとしても治癒師の技術が不足していたら――
『考えすぎだ』
溜まっていくお湯を見つめながら考えていたら、アベルが声をかけてくれた。
『彼らは君が思うより強いさ』
「でも――」
僕はエイクのことを思い出した。
あの時はたまたま僕がいたからよかったものの……。
『君は神様になりたいのかい?』
「なんだよ――」
『確かに君は私の魂を持つ者だ。その分他の人間よりできることも多い。だからなんでもできる気になっているんじゃないか?――けれど私だって神じゃない。できない事だってある。人の運命なんかは特に私にだってどうともできない』
アベルの皮肉めいた声が突き刺さる。
『君がいようがいまいが、起きるべき事は起きるべき時に起きる。そしてそれをどう選択するかはその者次第なのさ』
「なんだよ、いきなり。何か知って――」
「シゲル?風呂はどうだ?」
様子を見にきたパージに遮られて、アベルとの会話は中断した。
翌朝は早くに出発した。
あれからアベルは何も答えてくれないし、僕も話しかけなかった。
アーノンさん達の表情が暗いことが気になって仕方がなかったからだ。
「村に着いたら、お前は家にいろ。村長には俺達が報告に行く」
村まであとひと刻と言うときに、ようやくアーノンさんが口を開いた。
「僕も行きますよ」
「いや――」
カインさんが首を横に振った。
「アンジェロの目的がわからない。あいつはまた来るに違いない」
「だったら、より僕がいないと」
「あいつの狙いはお前だ」
アーノンさんの声がいつもより低い。
「お前をするつもりかはわからないが、お前を狙っている事は間違いがない。あいつの目的がはっきりするまでは、お前をあまり人前に出したくはない。幸い俺の家はあいつには知られていないはずだ」
アーノンさんはそう言って僕の肩に手を置いた。パージを見ると、唇を噛んで俯いている。カインさんも表情が暗い。
昨日の夜、空気が重かったのはみんなんでその事を話していたからか。
「僕がいると、周りの人を巻き込む可能性があるから――ですね」
当然のことだ。
昨日のアベルとの会話が思い出される。
そうだ。僕は神様じゃない。僕1人を守ることはできても、その場に居合わせた全員を守る事はできない。
シニストロでも大森林でも、僕のせいでみんなが危ない目に遭ったんだから。ましてや、その周囲の人達までなんて――
「そういうことでは――いや。すまない」
カインさんが申し訳なさそうに言う。
「大丈夫です。実際、あいつは何をするかわからないですし」
少し考えればわかることだ。あいつはずっと僕に執着している――いや、僕にじゃない。アベルの魔力にだ。
あの時……シニストロでも大森林でも、あいつは僕の魔力だけしか見ていなかった。
そして、それ以外には用はないとアーノンさん達を――
あいつが何を望んでいるのかはわからない。でも、あいつはあの時言ったんだ。その力があれば宿願が叶うって。あいつは、その為なら他人の命だってどうだっていいと思っている。もし、村であの時と同じことが起きたら――そう思うだけで背中に冷や汗が流れる。
ただ、一つ気になる事があった。
あの時、あいつは言ったんだ。
『君達は先に進むといい。そこできっと私の力が必要になるだろう。そこで私を呼ぶといい。そうしたら助けてあげるよ』
僕はそれを、あの魔獣の群れに囲まれた時だと思っていたのだけど、違うのか?
夕方になる前に村に到着すると、見慣れた石垣で囲まれた家が見えてきた。
久しぶりに人の生活を感じることができて、やっと帰ってきたと実感が持てた。
「俺達はエイクのところに寄って草竜を引き取って村長の所に行ってくるから――」
「僕は家に戻ってますよ」
アーノンさんの言葉に、ニコッと笑って返事をする。アーノンさんの顔から緊張が抜けたような気がした。
「俺も一緒にいてやりたいんだけど、すまない」
パージが申し訳なさそうに言ったけど、気にしないでよ。
僕はパージ達のライオウの皮を預かり、3人を見送って石垣を右に進んだ。いきなり4つも持っていくと村長が驚くから、一旦家で保管しておくということになったんだ。
大荷物を抱えて歩いていくと集落の一番端、大森林に1番近い場所にアーノンさんの家はある。
集落から離れた場所に建っているから、誰にも会うことなく家に着いた。石垣に架けられた門戸をくぐり、裏庭を通って家に入る。
懐かしさと家に帰ってきた安心感が胸に広がってきた。
久しぶりの家は少し埃っぽくて、蒸し暑かった。
僕は家中の窓――と言っても、台所兼食堂の土間と、僕が使わせてもらっている部屋、アーノンさんとパージが眠っている部屋しかないのだけど、その3つを開けてベッドや床の埃を掃除した。
外が夕陽で赤くなった頃には、部屋中を綺麗にする事ができて満足していた。
みんなが帰ってきたらすぐに休めるはずだ。
だけど、帰ってきたのはアーノンさん達じゃなかった。
やっと大森林から帰ることができました…




