56.僕がやるべき事なんだ
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アダムという魔法使いがいた事は、ジュノアさんの書き残した本にも、王国の伝えた昔話にも、どこにも記されていなかった。
記されていたとしても、それがバロッティの祖先だなんて追いかけられるわけがない。
セツ王の側近ではあったけど、文明が滅んでからは貴族も平民もなく、皆生きる事に精一杯だったんだ。
そんな中辛うじて、王家だけはセツ王とジュノアさん、そしてアダムの尽力によって存続させることが出来た。
三人の優秀な魔法使いが100年以上かけてやっと守れたくらい、当時は生きる事が難しい時代だったんだ。
ジュノアさんはセツ王子の死後もエスクード侯爵としてそのまま王国に根付いたけど、アダムは元が平民だった為、いつの間にか城からいなくなっていた。その頃には優秀な魔法使いも増えていたし、年老いたアダムがどうなったのかなんて誰も気に留めていなかったに違いない。
ジュノアさんの本にも書かれていなかったのは、ジュノアさんはセツ王の代わりに王国中を飛び回っていて、長い間内政には関わっていなかったから、アダムの存在自体を忘れていた可能性もある。
ジュノアさん自身、アベル王子への負い目から王家の為に人生を費やしたと言っていいほど、王家の事しか考えていなかったし。
「アンジェロが魔法陣もなしで魔法を使えるのは、アベル王子――いや、アダムか。その血筋だからなのか」
パージが口を開いた。
「いいや」
僕が答える前に口を開いたのは、カインさんだった。
「若い頃に対峙したパウロは魔法陣を使っていた。血筋というだけではないだろう」
当時を思いだしているのか、カインさんの口調は重かった。
「その通りです」
僕も続けた。
「アベル王子が言うには、アンジェロは僕と同じように科学――じゃない、えっと……理を理解しているんです」
「理?」
アーノンさんが眉根を寄せる。
「例えば、火が燃えるには火が燃える事を知っていないといけません。そして燃え続けるには酸素が必要な事も」
僕の説明が下手くそなのはわかるよ。でもそこはスルーしてね。
「魔法陣には、その仕組みが古代語で書かれているんです」
僕はポケットから火のスクロールを取り出して右手に持ち、左手で魔法陣を描かずに火をつけてみせた。
「この魔法陣には空気中の酸素と水素――目には見えない小さな小さな粒子を高速で振動させて熱を作り出して発火させるっていう仕組みが書かれています。ここに魔力を通すと、その仕組みが発動して火が着くわけですが、僕はその仕組みを理解しているから、魔法陣を使わなくても魔法が使えるんです」
息をするのと同じだ。
わざわざ空気を肺に取り込んで、肺胞から血液に、血液から細胞になんて意識をしながら呼吸する人間なんていないのと同じで、生まれてへその緒を切り取られ、口で息をする事を覚えてから勝手に息をするように、一度そうだと知ると意識するだけでできるようになる。それが魔法なんだ。
あの時、アンジェロが言った「観測によって成り立つ」というのはそう言う事なんだろう。
「理を知っているからこそ、それが可能なんです」
この世界の技術力は決して低くない。でもそれはアベル王子が残した魔法陣があってこそだ。この世界の科学力自体は、錬金術のおかげで低くはないけど、あくまで基礎レベルだし、限られた人間しか知らない事だ。だからみんな魔法陣を使うことはできても、魔法そのものを使うことはできない――まあ、元の世界でも科学者なんて一部の中の一部だけども。
「だから、私は魔力が有り余っていても魔法を使う事ができないんだな」
カインさんは自分の手をじっと見つめて、そう呟いた。
その言葉に、僕は少しだけ申し訳なくなった。
いや、僕の中にいるアベル王子が申し訳なさを感じていると言っていい。
「あの野郎はそれができるって事か」
パージの言葉に怒気が含まれている。怒ってるのは顔を見なくてもわかる。
「なんであんな野郎が」
「気持ちはわかるが落ち着け」
パージは吐き捨てるように言って、アーノンさんに窘められている。
「でも、アベル王子の目的はあの野郎なんだろ」
パージは胡坐をかいた膝の上に肘をついて、手に顎をのせて小さく息を吐いた。
「うん。アンジェロはバロッティの中でも先祖返りと言っていいほど、アダムの要素を色濃く継いでいるんだ。だからかもしれない。あいつは、アベル王子の魔力を自由に使う事ができる」
「魔力を――」
カインさんが小さく呟き、思い出したように僕を見た。
そうだ。魔力にはその相手の感情が乗る。もっと近い存在で深く繋がっていれば記憶だって見る事ができる。
もし、アンジェロがアベル王子の魔力を取り入れて、その記憶や知識を垣間見たとしたら、理を理解する事だって可能だったに違いない。
「アベル王子はアンジェロを止めなきゃいけないって言ってる」
「あの野郎が何かするつもりだって言うのか」
パージの言葉に僕は頷いた。
「アベル王子が危惧する程の事なのか」
アーノンさんが口を開く。腕を組んだまま目線だけを僕に向けている。
「アンジェロはアベル王子の魔力を自由に使えるんです。それによって、アベル王子自体が弱体化する程に」
僕の言葉で、全員に緊張が走ったのがわかる。
この世界の魔力の根源はアベル王子だ。アベル王子の魔力がこの世界を満たし、アベル王子の魂を核にして循環して人々は魔力を得る事ができた。今はその役割を手放したけど、それでも全ての魔力はアベル王子のものだ。そのアベル王子が弱体化する程と言われれば、どれだけ恐ろしい魔力をアンジェロが得たのか考えなくてもわかるものだ。
「アンジェロは僕らよりもずっと以前にアベル王子の元に辿り着いてたんです。たった一人で。そこで、アンジェロはアベル王子と繋がる事に成功したんです。取り込まれる寸前で、アベル王子は抵抗して、アンジェロを跳ね返すことが出来た――でも、一度繋がってしまったものは解除できず、仕方なく残った力を振り絞って僕をこの世界に連れてきたんです」
僕が言うと、アーノンさんは荒々しく拳を地面に叩きつけた。
「なんでお前なんだ」
「え」
アーノンさんの言葉に、僕はとても間抜けな顔になったと思う。
「魂が同じかもしれないが、お前はお前なんだろう。アベル王子とは別の人間だ。何千年もそうしてきたたというのに、自分が危なくなったからってなぜ今更呼び寄せた」
予想していなかった事を言われて、僕は言葉を失った。
なんでって、僕はアベル王子の魂で、魔法が使えて、バロッティはアダムの子孫で――
答えを探していると、我慢できないと言った風に、カインさんが噴き出した。
「アーノンはシゲルを心配しているんだよ」
カインさんの言葉にアーノンさんは慌てて顔を背けたけど、耳の先が赤くなってるのがわかった。髪色が淡いから余計目立つんだ。
それで緊張した場の空気が一気に和んだのがわかった。
こんな状況でも僕を一番に考えてくれてるなんて。
胸の奥が温かくなるのがわかる。
なぜお前がと言われて、うまく答えられなかったけど、今なら堂々と答えられる。
「僕はアーノンさんやパージ、そしてカインさん達を守りたい。みんなが住むこの世界を守りたいです」
直後、アーノンさんの手が伸びて僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。
いつもの大きな手だ。
「お前だけにやらせん」
「俺だって」
「私も微力ながら手伝わせてもらいたい」
三人が口々に言って、僕の頭を撫でたり肩を抱いたりして、もみくちゃにされながら、僕は心の中でアベル王子に話しかけた。
――アンジェロは絶対に僕が止めてみせる。いや、僕達が。
僕の中でアベル王子が微笑んだのがわかった。
やっとシゲル君に芯が入った気がします。




