54.僕は僕であり
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「そんな……酷い」
アベル王子はなんで当たり前みたいに言ってるんだ。
信じてた兄さんに裏切られたんだぞ。
『それは違うよ』
アベル王子は人形のような微笑みから、とても柔らかい微笑へと表情を変えた。
『戦場では死は無意味だ。毎日大勢の人間が無為に命を落とし、消えていく。私もそうなるはずだった。しかし、兄上のおかげで私の死は意味のあるものになった』
その表情は本当に満足気で、幸せそうだった。
「なんだよそれ。意味のある死とか――死んだら終わりだろうがよ」
死は死だ。どれだけの偉業を成したとしても、死んだら終わりなんだよ。
僕は無性に悔しくて、アベル王子を睨みつけた。
あの時、アベル王子は自分の体を再生する事もできた。けど、しなかった。
王国に帰らなくても良かったんだ。体を再生して、帝国の奴らをやっつけて、どこか誰もアベル王子を知らないところで静かに暮らす事だってできたはずだ。
そうだよ。あの時、そういう人生も一瞬頭をよぎったんだ。
でも、それは違うんだよ。自分だけが逃げてしまったら、それまでに死んだ兵士たちは――?
それこそ無意味なものになってしまう。
だからこそ、僕は魔力を暴走させなければならなかった。帝国を道連れにし、兄上の望んだ新しい世界の礎となるべく――え。
僕?――ちがう。アベル王子だろ。何を考えているんだ僕は。
『混乱する必要はない。君の記憶は私の記憶。君は私であり私は君であるんだよ』
またそれかよ。なんなんだよ。
『魔力を暴走させる瞬間、私は無意識に魂を分けていた。一つは兄上の望んだ世界を探しに。一つは王国に残した妻と子を守るために』
そうだ。魂は世界を抜けて、あらゆる次元を旅した。
時には肉体を持ち、時には魂のままで。どの世界も戦争が絶えなかった。人同士が殺し合い、奪い合う世界ばかりだった。
『そんな中、君の世界を見つけた。――戦争はあるが、それでも平和に向けて解決しようという試みが何十年もなされている世界。私はもっと知りたくなった』
アベル王子の手が僕の頬に触れた。あれだけ触れようと思っても触れられなかったのに。
『君の世界は温かかった』
アベル王子の手は冷たくも温かくもなかった。
「僕は――一体何なんだ」
アベル王子の別れた魂だとしたら、今の僕は?アベル王子と見た目も考え方も全く違う。僕は中津滋だ。これまで生きてきた記憶だってしっかりある。ブラック企業で擦り切れるくらい働かされて、速水先輩に今の会社に引っ張ってもらって、江坂課長の下でやりがいをもって仕事をして、みちるっていう可愛い彼女ができて――僕の人生だ。
『その通り。君は君だ。君の人格は君の世界で培われ、私とは違う。ただ、魂は同じだから君は私の記憶も持っているし、君の記憶も私にある。今は私の意識が君という人格に干渉しているから混乱しているんだろう』
よく分からない。でも、すごくよくわかる。不思議な感覚だ。
「もう一つの魂は――」
僕は口を開くのが怖かった。答えを聞きたくなかった。
なぜなら僕はその答えを知っているから。
「シゲル――目が覚めたか」
僕を抱きかかえていたのはパージだった。
パージの泣きそうな顔の向かいに、アーノンさんとカインさんの顔が見える。
よかった――みんな無事だった。
あれからどのくらいの時間が経ったんだろう。パージの背後に見える空は暗いままだ。
「なんて無茶をするんだ、君は」
カインさんの青い目が潤んでいる。
シルヴィアが涙ぐんだ時に似ている。シルヴィアが待ってますよ。ちゃんと帰らなきゃ――って言いたいけど、力が入らない。
魔力を使いすぎたんだ。でも、すぐに良くなる。すごい勢いで周りの魔力を吸収しているのがわかるから。
だから、もう少しだけ眠らせて。
目を閉じて、もう一度目を覚ました時には周囲は明るくなっていた。
夜が明けたらしい。
体を起した僕は、僕の周りを囲むように眠っている三人を見て胸が熱くなるのが分かった。
僕を守ってくれていたんだ。
僕の気配を察したのか、アーノンさんに続いてカインさんとパージも目を覚ました。
「体は?」
アーノンさんが跳ね上がるように飛び起きて、僕の体をあちこち触りって心配そうな顔で尋ねた。
「すみません。寝たら大分元気になりました」
嘘じゃない。だるさもないしどこも痛くない。
「シゲル――」
アーノンさんの横からカインさんが僕の顔を覗き込むように見つめてきた。
「すみません。カインさん」
僕が頭を下げると、カインさんは僕の肩を掴んだ。
「謝る事なんてない。――いや、むしろ私は君に感謝をしてもしきれない」
そう言ってカインさんは僕の肩を掴んだまま頭を下げた。
カインさんの魔力の中にあの黒い魔力は感じられない。あの時、根こそぎ引っこ抜いてやったんだ。
だから、カインさんには生来もって生まれた魔力しか残っていない。もう魔力暴走に怯えて生きる必要はないんだ。
教えてあげないと。
「本当にお前は何をやらかすかわかんねえよ」
パージもいつもの言い方だけど、声が湿っている。
顔は横を向いているから僕からは見えないけど、僕が目を覚ました時に泣きそうな顔してたの知ってるんだからね。
「それより、皆に話さなきゃいけない事があるんだ」
僕は、さっき見たアベル王子の記憶と、アベル王子との会話を三人に話して聞かせた。
「アベル王子の現身――どころか、本人だって言うのかよ」
最初に口を開いたのはパージだった。
「本人ってのはちょっと違うよ。アベル王子の記憶はあっても僕は僕だよ。少なくとも生きている間はそうだ」
「しかし――」
カインさんが躊躇いがちに口を開いた。
「この世界のアベル王子はちゃんといます。今は――僕と一緒に」
そう言うと、カインさんは目を大きく見開いて僕を見た。
うん。わかるよ。僕も一緒に行くって言われた時はびっくりしたもん。
「君……と――一緒に?」
カインさんが僕にどういう態度を取ればいいのか悩んでいるのか、言葉を詰まらせながら言った。
「僕はシゲルですから、これまで通りでお願いします」
僕がそう言うと、カインさんは何か言いたげにしていたけど、すぐに頷いてくれた。
急に態度変えられるとかね、嫌だしね。
「その――お前は大丈夫なのか?」
アーノンさんが眉をしかめた顔で僕を見たので、僕は頷いた。
「アベル王子は魂だけの状態で、大森林のアベル王子の魔力で満たされたこの地が体の役割をしていました。だから、この地を離れるには、別の肉体が必要だから僕の体を依り代に――あ、でも僕の意識とアベル王子の意識は全く別の物ですから、僕は僕に変わりないです」
「アベル王子は解放された、という事か」
小さく呟くようにカインさんが言って、アーノンさんもパージも何も言わずに僕を見つめた。
いくら僕は僕だって言っても、受け入れられないのか。それとも、どう接すればいいのか測りあぐねているのか。
「本当の意味での解放とは少し違いますけど」
肉体を持たないアベル王子はこの土地を離れる事ができない。縛り付けられるのがこの土地から僕の体になっただけで、自由を得たわけじゃないんだ。
「そこまでしてこの地を離れる理由とは?」
核心を突く質問だ。僕の中のアベル王子が細く笑って気がした。
「アベル王子がこの世界に放ったもう一つの魂。それ自体は目的を果たした後にアベル王子に還っています――でも、その魂が遺した子孫――」
カインさんは察したようだった。アーノンさんも、パージも。
それでも、はっきりと言わなきゃ。
「それが今のバロッティの血族です」




