50.アベル王子1
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「兄上が慰問に――?」
使者の報告に、アベル王子は小さく微笑んだ。
「何故こんな時期に。危険だ」
アベル王子の魔法の師であり、世界で初めての魔法使いと名を馳せたジュノアが眉間に皺を寄せた。
「ジュノア師。俺はもう2年も兄上にお会いしていない。妻が生んだセツの話も聞きたい。兄上の身は私が何をもっても守るから」
アベル王子はジュノアの青い瞳を見つめて、兄に甘える弟のように微笑んだ。
ジュノアを凌ぐ魔力を持つアベル王子は、幼少の頃からジュノアに師事し、長い時間を過ごしていた。
60を超えると自称するジュノアは、依然として若者のような姿をしており、アベル王子がまだ文字を覚える前から、魔法について教えていたが、アベル王子が子を持つ年齢になった今も、その当時から風貌は変わっていない。
その為、アベル王子は師匠として尊敬しながらも、友人や兄弟のような親愛をジュノアに感じていた。
そして、ジュノア自身それを厭っていなかった。
「トバル王子が来るのは7日後。それまでに帝国兵をある程度散らしておかねばなりません。トバル王子の安全が確保されないと判断した場合は、慰問は中止していただきます」
4年間続く帝国との戦争で、王国は疲弊していた。
しかし、2年前に各地を飛び回っていたアベル王子が、この前線の砦を守ると申し出てから、戦況は大きく変化した。
2万の兵を率いて、帝国の侵攻を食い止めていたアベル王子は、王国の英雄であり、帝国の最大の障壁だった。
王国は崩れた兵力を立て直し、各地の砦や領地を奪還する事ができた。
「戦争が終われば、兄上はいよいよ王位に就かれる。私は兄上と一緒に王国をより強大な国家にしてくのだ」
2万もいた兵は今では数えるほどになっていたが、砦は依然として王国防衛の要であることは変わりなかった。
しかし、戦況は大きく変わっていて、王国と帝国の和平協議の席が設けられるのではないかと、どこかしらから噂話が聞こえていたほどだった。
アベル王子とジュノアは籠城という手段を取らざるを得なくなっていたが、この時ばかりはアベル王子自ら敵陣に乗り込むと、数多いる帝国兵三日三晩かけて殲滅して見せた。
「魔力の使い方がとても上手になられた」
ジュノアの言葉にアベル王子は、無邪気な笑顔を浮かべた。
そして、いよいよトバル王子が慰問に訪れる日がやってきた。
周囲の敵は殲滅した。帝国と言えども兵を立て直して攻め込むのは一朝一夕では無理だろう。
アベル王子は、自身の功績に満足していた。
名声を増やしたことにではない。兄を無事に安全に迎え入れられた事にだった。
アベル王子は兄のトバル王子こそ王にふさわしく、素晴らしい治世に導いてくれるのだと信じて疑っていなかった。
「トバル王子が到着なされました」
伝令の言葉に、アベル王子は弾かれるように立ち上がった。
ジュノアは万一の襲撃に備えて、砦に見張りに立ってもらっている。
砦にさえ到着したら安全だ。
トバル王子の為に用意した王族用の部屋は、アベル王子が手ずから準備した部屋だ。
豪華な装飾品はないが、魔法で空調を整え、居心地のいい部屋に仕上げている。
やがて、質素だが堅牢な馬車が砦の前に到着し、中から絹の衣に身を包んだ美しい青年が降りてきた。
「兄上――我が王よ」
アベル王子は従者に囲まれた青年に向かって、両手を広げた。
アベル王子は3つ離れたこの兄が大好きだった。
逞しさと美しさを兼ね備え、そしてとても賢かった。
トバル王子の立てた作戦通りにすれば、戦に慣れていない王国の兵も、帝国兵を追いやることが出来ていた。
自分には魔力しかないが、兄はそれ以上のものを持っている。
我が王と呼ぶアベル王子の言葉は本心だった。
絹の衣に身を包む兄とは対比的に、アベル王子の姿はみすぼらしかった。
安いが丈夫な植物の繊維で織った衣は、度重なる戦いですっかりボロボロになっていたし、風呂に入って清めはしたが、埃舞う戦場を駆け回っている皮膚は日に焼けて硬くひび割れていた。
トバル王子に似た美しい外見がなければ、その辺の物乞いと思われても不思議ではない。
しかし、そんなアベル王子を見て、トバル王子はアベル王子と同じように両手を広げて、その美しい顔を綻ばせた。
「我が愛しき弟アベルよ」
懐かしい美しい声がアベル王子の鼓膜を揺らした。その時だった。
アベル王子の視界に入ってきたのは、従者の一人が剣を振りかぶってトバル王子に斬りかかろうとしていた瞬間だった。
咄嗟にトバル王子を抱きかかえ、刺客の刃を腹に受けたアベル王子は、魔力を練って刺客を一瞬で焼き尽くした。
「兄上を安全な場所に!ジュノア師!」
兄の衣に血が付いていないだろうか。アベル王子は、咄嗟に魔法で止血をしたが、従者に連れられて砦に駆け込むトバル王子の衣を見て、美しいままだと安心した。
私も砦に戻って治療しなければ――。
しかし、アベル王子の体は王子の意思とは反対に、動かなかった。
刃に毒が塗られていたのだとすぐにわかった。
体が痺れて視界が霞んでいく。
大丈夫。周囲に敵はいない。ここで倒れてもジュノア師が治療してくれるはずだ。
アベル王子はその場に膝をつくと、ゆっくりと目を閉じて倒れ込んだ。
次回から少し残酷な描写が続きます。
苦手な方は読み飛ばしてください。




