32.何者だって言われても
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「君の魔力は実に興味深い」
アンジェロ微笑を崩さずにゆっくりと僕に近寄ってくる。
背中を冷たい汗が流れるのがわかるけど、太腿に刺さったガラスの破片が痛くて動けない。
「可哀想に。酷く怪我をしているね」
お前がやったんじゃないかって言いたいけど、声が出ない。――怖いんだ。
魔獣が目の前に来た時みたいな恐怖とは違う、得体の知れない怖さを、僕は感じていた。
僕の目の前に来たアンジェロは、ゆっくりと膝を曲げると、その手で太腿のガラスを引き抜いた。
激痛と共に傷口から血が噴き出すのを慌てて抑えるけど、指の間から溢れるように流れ出す血が止められない。大きい血管を傷つけたんだろう。このままじゃ死ぬ――。
治癒の魔法をかけようにも、魔力がうまく纏まらなくて、焦れば焦るほど魔力が霧散するのが分かる。
「じっとして」
アンジェロは、そう言うと僕の傷に手をかざした。
魔力が傷に集中するのがわかる。見る間に傷が治っていく。
僕がエイクやアーノンさんにやった時よりも格段に早く、そして的確だ。
「驚いているね。古い術式に捉われすぎているからだよ。もっと魔法の――魔力の根本を感じてごらん」
まるで生徒に教えるように穏やかに、優しいアンジェロの言葉が気持ち悪い。
なんなんだこいつは。
「僕達を吹き飛ばして怪我をさせたのはお前だろうが」
やっと口を開くことができた僕は、それだけ言うのが精一杯だった。
「嫌だなあ。挨拶だよ。君達から僕の話を聞いて、ご老人が復讐の恐怖に怯えるんじゃないかって心配してね」
アンジェロはカイン様を振り返って微笑んだ。
なんで気持ち悪いのか分かった。
前もそうだったけど、この人からは憎悪も悪意も何も感じないんだ。
「ミケロの母と僕のご先祖は姉妹だったそうだよ。二人はよく似ていたそうだ。どちらか一人ではなく、どちらも妾にするなんて悪趣味なバロッティらしい。君もそう思わないか?」
アンジェロはカイン様に向かって自嘲気味に笑うと、すぐに真顔に戻った。
「私はね、エスクード侯爵家には何の興味もない。――あったなら既にエスクード侯爵家はあなたを含め末端まで死に絶えているさ」
「随分な自身だ。私を相手に勝てるとでも?」
カイン様はあくまで穏やかだったけど、静かな怒りが籠っているのがわかる。
「勝てるさ――あなたは自分の魔力を過信しすぎている」
言葉に苛立ちを込めているものの、その表情は変わらない。
「ほら、無理に魔力を練ろうとするから、溢れているよ」
今度はカイン様にゆっくりと近付くと、その手を伸ばしてカイン様の陶器のような頬に触れた。
アンジェロの言う通り、カイン様の魔力が乱れていて、この世界に来た時の僕のように魔力が周囲に霧散している。魔力が溢れるといけないのか?
けど、二人の間には緊張した空気が包み込み、尋ねる事なんてできない。
アンジェロの手がカイン様の頬に触れた瞬間、カイン様は大きく目を見開いた。けど、その間もカイン様は身じろぎもせずにされるがままになっていた。
「はは――パウロの手記にあった通りだ。あなたの魔力はとても面白い。だが、その少年とは比べ物にならないな」
カイン様の頬から手を離すと、アンジェロはカイン様の耳元に唇を寄せて、そう囁いた。
囁くほど小声だと言うのに、カイン様とは離れた僕の耳にも届いたという事は、魔力を込めた声だからだとすぐに分かった。アンジェロはカイン様と僕にだけ聞かせたいんだ。
「お前のその能力――」
「あの魔獣はね」
カイン様の言葉を遮るようにアンジェロは口を開いた。
「私が魔力を与えて育てた特別な個体だ。安心していい。そこの少年にも伝えたが、あれはの子たちしかいない」
芝居かかった仕草で両手を広げて、アンジェロは僕を見た。
「さて、そろそろ魔力も戻る頃だ。さすがの私もこの人数を相手にするのは分が悪い」
カイン様から飛び退くように庭に躍り出ると、アンジェロは以前と同じように小さく手を振り、氷の壁をガラス戸があった場所に張り巡らせた。
アンジェロの言った通り、魔力が戻った僕とカイン様が氷の壁を叩き割るも、当然のようにアンジェロの姿はそこにはなかった。
「一体どうやって――パウロ……だと……」
カイン様が綺麗な顔を悔しさに歪ませて、小さく呟いたのを聞き洩らさなかった。
パウロって誰?
使用人さん達によって別室に移された後、パージ達、シルヴィア、辺境伯、町長の順に意識を回復した。
なんと、僕以外の全員があの場では身体強化をしていたらしく、壁に打ち付けられた衝撃よりも、アンジェロの攻撃によって魔力を乱されたことが一番のダメージになっていたらしい。
「初めての人間や場所なら身体強化は基本だろうが」
パージがバカにするように教えてくれたけど、平和な世界で生まれ育った僕にとっては、知らない人を警戒するなんて事、全然常識じゃないんだからね。
「ノクトの村にはあそこまでの見事な黒髪を持つ者はアンジェロだけだったと聞いています。あの者はアンジェロ本人で間違いないと思われます」
町長がまだ痛む体をさすりながら言った。
全員の怪我は僕が治癒魔法で治している。特に、シルヴィアは顔をガラスで切っていたので、特に丁寧に魔法をかけたよ。まだ上手く魔力が練れなくて町長の傷は痕が残っちゃうけど、男の人だしいいよね。
「アンジェロの目的がわからない」
襲撃後の出来事を、僕とカイン様で全員に説明した後、カイン様は顎に手をやって眉間に皺を寄せて小さな声でそう言った。
その意見にはとても同意だし、やたら僕の事を気にしていたのも気になる。
「あの者が言う通り、私の魔力は乱されて制御ができなくなっていた。魔力溢れを起こしそうになっていたのだが――」
そう言ってカイン様は、アンジェロが触れた頬に手を当てて「魔力吸収――」と、小さく呟いた。
「あの者がですか?――しかし、ノクトの村からはそのような報告は――」
町長が慌てたように言うと、辺境伯も血の気の抜けた顔色で頷いている。
「しかし、あの者が触れた途端、溢れていた魔力が消えた。あれは魔力吸収の能力に違いない。――それに、あの魔獣もあの者が魔力を与えて育てたと言っていた」
そう言えば確かにそう言っていたけど……。
「魔力吸収の能力は人の命を奪いかねない。だから発現した場合は国への登録が義務付けられている――と、言っても魔力を吸収できるのは自身の魔力量を超える事はできない。――それができたのは我が亡き妻のジルダだけだ」
僕が何のことかわからないという顔をしていたのに気が付いたのか、カイン様は優しく微笑んで教えてくれた。
そう言えばシニストロの樹海に出発する時、シルヴィアが言っていた。
「魔力が溢れるといけないんですか?」
それならここに来た時の僕はだだ洩れだったわけで。
「魔力が溢れると、魔力の制御ができなくなる。そうすると、魔力が暴走してしまうんだ」
「それをお亡くなりになった奥さんが吸収してい安定させていたんですよね。――じゃあ今はどうやって?」
魔力が暴走って、アベル王子の話で聞いた。本人もだけど、周囲一帯を巻き込んでしまう程の破壊力だっていうじゃないか。そんなの放置してたら大変でしょうが。
僕の質問に、カイン様は少し驚いた表情をしたものの、すぐに優しい表情に戻って胸元から手のひら程の古ぼけた草竜が刺繍された可愛い袋を取り出した。
「妻が作ってくれたこの魔道具で抑えられているから大丈夫だよ」
カイン様の見た目に比べると随分可愛いその袋を、カイン様は愛おしそうに見つめた。奥様の事を思い出しているんだろうか。
「この魔道具の存在はね、王国でも一部の者しか知らない極秘事項だ。この事を教えたのだから、君にも教えてもらおう。――君は何者だ」
カイン様の目に鋭さが帯びた。




