29.なんなんだよ
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「そこをどけよ」
僕は無意識に腰に差していたククリナイフを抜いていた。
「シゲル!気を付けなさい。その男はバロッティよ」
シルヴィアの声が背中に響いた。
バロッティ――?公国北部のノクトの村に閉じ込められているっていう?
「そこの麗しいご令嬢はエスクード侯爵家の御方かな。初めまして。私の名はアンジェロ」
綺麗な顔に笑みを浮かべて軽く会釈をする。まるで今日の天気の話をしているような口調には敵意も悪意も感じない。
でも、この男の魔力はアーノンさんの脇腹を貫いたあの氷の槍と同じものだ。
「なぜアーノンさんを攻撃した」
アンジェロの足元にいるパージの肩が揺れている。まだ息をしている。早く治療しないと。
「氷の魔法は私が長い間かかって見つけた術式だと言うのに、君は一度見ただけでやってみせた。それも、土の魔法と同時にだ」
アンジェロは紫色の瞳に憐れみを込めて目の前に横たわるテオ・オヴィー達を見つめた。その後ろから、残ったリーダーのテオ・オヴィーが近寄り、アンジェロに甘えるようにアンジェロの体に頬を擦り付けた。
そうだ。もう1体残っていたんだ。それもパージのすぐそばに。
魔法を撃とうと身構えたけど、アンジェロは僕の事なんて構わないとでも言うのか、僕も見ようともせずにテオ・オヴィーの顔を優しい手つきで撫でた。
「可哀想に。お前の仲間は全て死んでしまったよ」
アンジェロの言葉に答えるように、テオ・オヴィーが「グルル」と唸り声を上げたと思ったその時だった。
突然現れた氷の槍が、最後のテオ・オヴィーの体を貫いた。
氷の槍に貫かれたテオ・オヴィーは、串刺しのまま悲しそうに眼を見開いてアンジェロを見ると、力なく項垂れて絶命した。
「なん――で」
僕はわけがわからず、思わず呟いた。
「なんで?君だってこの子を殺そうとしただろ?」
相変わらず抑揚の感じられない声でアンジェロは続けた。
「この子達はね、私が幼生から育てた特別な個体なんだよ。だからこの群れ以外に仲間はいない。仲間がいないのに一人だけ残っても、命も継ぐ事もできずに孤独に生きて死ぬだけだ」
慈しむように自分が殺したテオ・オヴィーの顔を撫でると、アンジェロはしゃがみこんでパージを覗き込んだ。
「やめろ!パージに近付くな!」
叫ぶより早く、僕はナイフを構えて地面を蹴っていた。
アンジェロは僕を見もせずに、手を振るうと僕の目の前にアンジェロとパージを囲う用に氷の壁が現れて、僕の足を止めた。
――こんなもの……!
僕は魔力をククリナイフに集中させると、氷の壁に突き立て、突き刺さった切っ先から壁の中で魔力を爆発させた。
コンクリートの爆破の時にアンカーで爆薬を埋め込んで爆発させると、内部から爆発させることができるんだ。
それと同じ原理で、氷の壁は勢いよく爆発して飛び散り、パージの姿を見る事ができた。
でも、その傍らに屈みこんでいたアンジェロがいない。
「パージ!」
アンジェロがいるかいないかはこの際どうでもいい。パージの安全が一番先だ。
僕が駆け寄ると、パージの傷は綺麗に治っていて、頬には赤みがさして、ただ意識を失っているだけだった。
どういう事?アンジェロがやったの?あの一瞬で?でも、なんで?どうやって?
「シゲル!――あの男は」
アーノンさんの治療を終えたシルヴィアが駆け寄ってきたけど、アンジェロはいない。あの一瞬の隙に姿を消したみたい。
「――ひいおじい様に魔力を飛ばしたわ。しばらくしたら迎えが来ると思うわ」
シルヴィアは溜息をつくと、僕の隣に座り込んだ。
「私は動けなかった」
膝を抱えるように、小さくなってシルヴィアは自分の膝に顔を埋めた。
「二人が危なくなったらなんて言っておきながら、あながた飛び出した後も私は結界から出る事ができなかったのよ」
くぐもった声が潤んでいるように聞こえる。
「ぼ、僕も必死だったから――それより、結界を張らないと」
テオ・オヴィー達の血の匂いに、樹海の魔獣達が集まってくると厄介だってパージが教えてくれた。
僕は立ち上がると、アーノンさんを抱えてパージの隣に寝かせた。そして、テオ・オヴィー達の死骸を一か所に集めると、周辺に結界を張った。
「私は騎士になりたかったのよ。守る側でありたかったの。魔獣とも戦ったわ。町でならず者をやっつけた事もあった。なのに、私は何の役にも立たなかった」
僕が戻ると、自失気味にシルヴィアが言った。
勝ち気で、いつもキラキラした女の子なのに、とても憔悴しているように見える。
「でも、シルヴィアがいなかったら、アーノンさんかパージのどちらかを諦めなきゃいけなかったかもしれないよ。シルヴィアの魔力じゃなかったら、あれだけの傷を治療なんてできなかった」
僕の言葉にシルヴィアは唇を噛んで下を向いている。
「唇……噛まない方がいいよ。――その、せっかく綺麗な唇なんだし」
いや、断じて唇をずっと見ていたわけじゃないからね。実家の姉ちゃんが唇を噛む癖があって、いつも荒れて大変だって文句言ってたんだよ。
「お前、口説くならもう少し雰囲気のいいことを言えよ」
横たわっていたパージから、いつも通りの皮肉めいた言葉が聞こえた。意識が戻ったんだ!
パージはゆっくりと体を起こすと、すぐに隣に寝ているアーノンさんを見つけて無事を確認して安堵の溜息をついた。
「傷が深かったから、もう少し眠ったままだと思うよ。魔力もかなり持って行かれてる」
この世界の人達は怪我をすると魔力量が減少する。多分血を流すからかな。生命力と魔力が均衡なのもそのせいかもしれない。
脇腹は氷の槍のせいか、出血はそれほどでもなかったけど、テオ・オヴィーにやられた箇所からはあり得ないほどの出血があったから。なのに――。
「俺は起きてるぞ。動けないだけだ」
絞り出すようなアーノンさんの声がした。体は動かせないようだけど、首だけはこちらを見て唇の端を上げて笑顔を作っている。
――よかった!
バロッティの詳細は侯爵家の婚約者をお読みいただければと思います。
よろしければ…




