モノリス
『“E6、N2” の岬に、“災禍の日” の英雄たちを称えて建立した碑があります。行ってみるとよいでしょう』
会談の終わりにベルキ陛下から告げられた座標に、足早で向かっていました。
その場所には覚えがあります。
地底湖に向かって二区画ほどの陸地が伸びている場所で、“真龍の試練” の際には探索に疲れたあの人がよく釣り糸を垂らしていた所です。
歩を進めるごとに潮騒が強まります。
懐かしい響き。
心癒される調べ。
ですが今のわたしの耳には入りません。
今は世界が滅びたと伝えられる一〇〇年前の運命の日に、わたしの近しい人たちがどのような決断を下しどのような結末に至ったのか。彼らの軌跡を確かめたい焦燥に突き動かされていました。
微かな潮の香りの中を、岬の突端を目指します。
やがて記憶にはない “オベリスク” が見えてきました。
地から天へと鋭い穂先を向ける尖塔状の記念碑。
鼓動の高鳴りが、ついにわたしを駆け出させました。
近づくほどに巨大なシルエットが視界を圧します。
それはとりも直さず “災禍の日” で命を散らした勇士・英傑たちの人数を物語っていました。
碑は夜のように輝く黒曜石で造られていました。
触れられるほどに近づくと、肌を刺すような冷気が伝わってきます。
漆黒の氷のような表面には、予想どおりびっしりと人名が刻まれていました。
碑の中心に他の名前と同じ大きさで、
“マグダラ・リーンガミル”
……の名前があります。
この碑には円卓と同じく、身分の差はないのでしょう。
陛下を守るよう近衛騎士の “ロンドラット” さん、祐筆の “マイスン” さんの名前もあります。
さらに “義勇探索者” との連絡役を務めていた青年騎士 “オルソン・ハーグ” さんの名前も……。
マグダラ陛下の名前から左回りに、碑の周囲を巡ります。
無数の名を確認する視線が、徐々に気忙しく隣へ隣へと移っていきました。
文字が重なり、ひとつの大きな嘆きに見えます。
やがて目移りしていた視線がひとつの名前を通過し、再びその名に戻って釘付けになります。
(見つけた……)
“レトグリアス・サンフォード”
レットさん……。
わたしの……わたしたち “フレッドシップ7” の頼れる、誠実なリーダー。
そして彼に続くわたしの大切な人たち名前。
“ジグリッド・スタンフィード”
“カドモフ”
“フェリリル”
“パーシャ”
(パーシャ……パーシャ……)
一〇〇年の時を超えた宝箱に収められていた、彼女の手紙。
そこに書かれていたとおり彼女は “災禍の中心” を目指し雄々しく進軍し、世界の命運を賭けて “悪魔王” との最後の決戦に臨んだのです。
(パーシャだけでなく、レットさんや、ここに名前を刻まれたすべての人が……)
激しい悲嘆と喪失感に膝が砕けて倒れ込んでしまいそうでした。
圧し潰されそうな心身を叱咤して記念碑……追悼碑を調べます。
それがわたしの務め――独り生き残ってしまったわたしの責務だからです。
“ハンナ・バレンタイン”
パーシャのすぐ隣に、その名前がありました。
きっと “大アカシニア神聖統一帝国軍” の中尉として戦いに参加したのではないでしょう。
きっと探索者ギルドの受付嬢として参陣したのでしょう。
(だってあなたは、わたしたちの七人目のパーティメンなのですから)
そしてハンナさんに続く、六人の女性の名前。
リーダーの名前とその由来となった燃えるような髪の色から “緋色の矢” を名乗る “狂王の試練場” 最強の探索者パーティ。
“スカーレット・アストラ”
“ジャガーラ”
“エレン・キース”
“ノエル・ノーンダット”
“ヴァルレハ・ヴァルハラ”
“ミーナ・ロンドロア”
六人の中で唯一見慣れぬ名前に目が止まります。
褐色の肌をした、南方出身の女人族。
以前に一度、彼女に本当の名前を訊ねたことがありました。
その瞬間、普段無表情の口元が、珍しくニッ……と緩んだのを覚えています。
あの時の笑みの意味が今わかりました。
(ジャガーラ……密林の黒豹)
ゼブラよりもよほど、練達の女戦士を言い表しています。
他にも見知った人の名前が数多くあります。
ドワーフ族最強の戦士にして最高の名匠 “偉大なるボッシュ” さん。
さらには マグダラ陛下の唯一無二の親友にして、彼女と同じ “賢者” の恩寵を持つ世界屈指の魔法使い、“トリニティ・レイン” さん。
“大アカシニア神聖統一帝国” の財務大臣で事実上の宰相であった彼女までもが、他国の女王であるマグダラ陛下の旗の下に集ったのです。
もはや既存の国家というものが形骸化していたのでしょう。
世界はそこまで追い詰められていたのです。
この碑に刻まれた人々は、世界の命運を懸けて最後の戦いに臨んだ。
“悪魔王” 率いる混沌の軍団との戦いに。
それはまさしく黙示録的な戦いだったはずです。
そして……みんな逝ってしまった。
慄然としました。
わたしは今の今まで、たとえ過去と未来一〇〇年の時に隔たれてしまっていても、遥か遠い空の下でお互いを想い合っていると思っていました。
わたしが見上げている空を、彼ら彼女たちも見上げていると思っていました。
違うのです。そうではないのです。
わたしが還らなければ、彼らの死が確定してしまうのです。
(女神……女神! なぜわたしにこれほどまでの重荷を背負わせるのですか!? わたしがあなたの聖女だからですか!? でもわたしは聖女である前に人間です! 人間には耐えられる重荷と耐えられない重荷がある! これはわたしには重すぎる! わたしにここまでの苦難を強いるあなたはそんなにも偉いのですか!? そんなにも尊いのですか!? あなたは、あなたは――いったい何者なのですか!)
憤怒が逆巻き、激昂の眦が天を射抜きます。
冗談ではありません。
これは理不尽です。理不尽すぎます。
(………………)
激情はやがて静まり、わたしはトボトボと追悼碑の周りを巡りました。
落とした肩に黒曜石の冷たさが刺さります。
まるで冷たい墓石のようです。
いえ、これはまさしく墓石なのです。
そうしていつしかわたしは、マグダラ陛下の名前の前に戻っていました。
(……やはり、あの人の名前はない……)
ベルキ陛下が仰ったとおり、あの人の名前は記念碑に刻まれていませんでした。
やはり最期の決戦に先立ち、命を落としたのでしょう……。
やるせない納得に、悲しい微笑みが浮か……。
(……いえ――いえ、いえ、いえ! 違います、そうではありません!)
不意に強い違和感が沸き起こりました。
(これは変です! こんなはずはありません!)
マグダラ陛下はあの人を殊更信頼していた!
それは女性としての秘めた想いでもあった!
それなのに復活した “悪魔王” との戦いで真っ先に命を落としたであろうあの人の――グレイ・アッシュロードの名を刻まないわけがない!
そんなはずは絶対にない!
(どういうことです、これは!?)
これは――そう、何かが、何かがあったのです!
あの人の身に考えていた以上の――想像もつかない何かが!
(いったい何があったというのです!? アッシュロードさん!?)
「聖女様!」
意識の外から突然呼びかけられ、ハッと振り返ります。
そこには安堵と喜色を浮かべた三人の男性が立っていました。
「……ドッジさん……イランさん……ゼークリンガーさん……」
“対滅” の閃光に包まれて離散していたパーティメン……。
探索者にとってまず第一に考えなかければならない存在のはずなのに、今の今まで心から消えていた人たち。
わたしはこの時、知らぬ間に破れていた自分にようやく気づいたのです。
わたしは己の変化に恐怖しました。







