聖女と女王
「エバ、曾祖母さまからの言伝を、一言一句違えずに伝えます――
『世界の命運は聖女の帰還にかかっている。万難を排して在るべき時へ還ることを希む』」
――以上です」
自分の意志とは関係なく、まったく預かり知らぬところで世界の命運が託されていました。
そっと息を吸うと束の間目を閉じ、マグダラ陛下からの言葉を噛み締めます。
そしてわずかな時間が流れて再び瞼を上げたとき、そのすべてを胸の中に収めていました。
「マグダラ様からのお言伝、確かに承りました」
ベルキ陛下の瞳が小さく見開かれます。
「言葉を伝えたわたしがこんなことをいうのもおかしな話だとはわかっています……でも、なぜそんなにも平静に受け入れられるのですか?」
陛下からそれまでの親しみの籠もった柔らかさが失せ、代わって深い深淵を覗いてしまったかのような、畏れにも似た戸惑いが浮かんでいました。
「わたしの近しい人の話をさせてください。その人は自分の預かり知らぬところで、自分の意思とは関係なしに、幾度となく世界の命運を担わされてきました。言いたいことは多々あったでしょう。文句や愚痴も零れたでしょう。ですが、その人は逃げませんでした。その人と同じ方向を見つめ、同じ道を歩むと決めたわたしに、どうして逃げることができましょう」
きっと、うんざりしていたでしょう。
疲れ切って、なにもかも投げ出したいと思ったでしょう。
納得すらできていなかったかもしれない。
でも、あの人は逃げなかった。
だから、わたしも逃げない。
「差し支えなければ、その人の名前を教えていただけませんか?」
「“大アカシニア神聖統一帝国” 筆頭近衛騎士――グレイ・アッシュロード」
「……灰の暗黒卿……」
ベルキ陛下の呟きに、わたしの表情が険しくなります。
「ご、ごめんなさい。この呼び名はお嫌いだったようね」
「蔑称だと思っています」
「軽率でした。本当にごめんなさい」
「教えていただけませんか。アッシュロード卿のことを。あの人がどういう運命を辿ったのかを」
“道化師” から、あの人の過去は聞きました。
でも一〇〇年前に、あの人がどういった “未来” を迎えたのかは聞けなかった。
マグダラ陛下から篤い信任を得ていたあの人です。
きっとリーンガミル王家に、ベルキ陛下にその軌跡が伝わっているはず。
ですが陛下の答えは、わたしの期待を裏切りました。
「ごめんなさい。アッシュロード卿についての記録は残っていないのです」
申し訳なさげに、ベルキ陛下が謝罪します。
「口伝の類でもですか?」
怪訝と不満のないまぜになった憤りに、つい口調が強まります。
「はい。ですが卿の消息は不明ですが彼の偉大な功績はもちろん伝えられています。一〇〇年前の当代の “運命の騎士” にして最後の騎士。 単身迷宮の奥深くに潜む “魔太公” を討伐し、 “遊星からの妖獣” に寄生された “真龍” を助けて、二度も世界を救った稀代の英雄。それほどの英雄である卿が、あの “災禍の日” ――人類の存亡を賭けた最後の戦いに参加していないのであれば、やはりそれ以前に……」
最後は、言葉を濁したベルキ陛下。
わたしは腑に落ちたとも落ちないともとれる嘆息を吐きました。
きっと……そういうことなのでしょう。
あの人は最後の最後まで生にしがみつき、悪巧みをめぐらし続け、一パーセントの勝機を引き寄せる人。
同時に、それが合理的な判断なら最終的に自分の身を犠牲にすることを厭わない。
重い責務を担うマグダラ様に先立ち “悪魔王” に挑んだのでしょう。
『二段構えだ。まず俺が奴に当たる。勝てばそれで御の字。負けたときはおめえがいる』
(……とかなんとか言っちゃって……)
そうして、その結果……。
「陛下がご存知の限りの、この時代に伝わっているすべての記録を教えてください。今のこのリーンガミルの状況も。過去と現在を正確に把握する必要があります。運命を変えなければなりません」
決然と、まるで宣戦を布告するかのように言います。
いえ、これは紛れもなく、望まぬ運命への宣戦布告です。
若き女王は微かにわたしの “圧” に当てられたような表情を見せましたが、冷静にうなずきました。
「お話しましょう。わたしの知る限りのすべてを。この迷宮のリーンガミルに伝わるすべてを。そしてあなたも、過去の世界のことを教えてください」
それからわたしたちは長い時間をかけてお互いの情報を交換・共有しました。
軽食や休憩を挟みつつも、多忙な陛下が席を離れることはありません。
『記録は風化し、伝承は歪みます。だからこそ曾祖母は、あなたへの言葉を『口伝』として王統の血脈に封じ込めたのです。英傑女王マグダラの言葉を聖女ライスライトに伝えるのは、リーンガミル王家にとって最も重い使命なのです』
会話の最中にベルキ陛下から漏れた言葉が、この話し合いこそ最重要の政務であることを物語っていました。
わたしは陛下が語られる話を必死に咀嚼して、理解に務めました。
それによると、
①“悪魔王” が復活したのはリーンガミルより南東―― “大アカシニア神聖統一帝国” であること。
②“悪魔王” 復活の直前に、“大アカシニア神聖統一帝国” の絶対皇帝・狂気の大君主 “アカシニアス・トレバーン” が失踪したらしいこと。
③トレバーンの失踪が、“悪魔王” 復活の原因になったかは不明だとのこと。
④当時のリーンガミル女王マグダラは “悪魔王” との決戦を前に一〇〇〇人の男女を “方舟計画” と称して、この “龍の文鎮” に避難させたとのこと。
⑤現在のこの湖岸のリーンガミルの住人は、その子孫たちであること。
⑥そして “悪魔王” の復活を阻止するには、わたしの――聖女エバ・ライスライトの存在が必要であるとのこと。
など先の話を、より深く詳細に語られました。
また⑤については現在の人口が当時の約一〇倍の一〇〇〇〇人に増え、この迷宮の許容範囲限界に達していることなども語られました。
ベルキ陛下が長い長い話を終えられると、わたしは沈思して答えるべき内容を整理しました。
「“悪魔王” の復活に “狂王トレバーン” の失踪は、直接関係してないと思われます。わたしはこの時代の “呪いの大穴” の第五層で、時空を行き来できる魔物 “道化師” と遭遇しました。彼の魔物が語ったところによると、“悪魔王” は魔界の先住種である混沌・異形系の筆頭であり、 現在の支配階級である堕天系の主 “魔太公” の不在を衝いて反旗を翻し、魔界の支配権を奪回したとのこと 。すなわち “第二次魔界大戦” です」
知りうる限りの情報を尽くして、提示された疑問と謎に答えます。
「“悪魔王” が “狂王の城塞都市” に現れたのはただの偶然だったと? トレバーンが “悪魔王” と何らかの契約を結んで復活させたとは考えられませんか? 例えば己が魂と引き換えに世界を支配するなどの―― あの名前を口にするのもおぞましい “僭称者” のように」
「わたしは “アカシニアス・トレバーン” の人となりを僅かですが知っております。トレバーンは誰よりも世界征服の野望に燃える狂気の大君主。ですがその思考に『悪魔の力を借りて』などという不純は一切ありません。あの方は純逸の武人にして遮る敵を知らぬ全能者。むしろ “悪魔王” を格好の敵手として、マグダラ様に先立ち嬉々として戦いを挑んだことでしょう」
「毒を以て毒を制す……その方が世界のためにはよかったかもしれませんね」
わたしは首肯しつつも、たったいま述べた考えが早計だったのではないかとの疑念にとらわれていました。
(あのトレバーン陛下の失踪が世界の命運に関わりがない――果たしてそのようなことがありえるでしょうか? それに……それに彼女。アカシニアス・トレバーンを陽とするなら陰。時に味方として時に敵として、常にその傍らにあり続ける表裏一体の存在…… “紫衣の魔女”。彼女はトレバーン陛下の失踪時に何をしていたのか)
狂王の失踪に大魔女の関与があったと考えるのは、決して無理筋ではありません。
ふたりの関係を考えると、その方が蓋然性がずっと高いともいえます。
(答えを出すのは早すぎたかもしれません。理解できない事象は理解できないままにしておく方が自然で、不自然な答えを導き出せば認知の歪みを生んでしまう)
「エバ、どうかなされて?」
「――いえ、なんでもありません。お時間が許されるのであれば先を続けましょう。さあ、お話を」
◆◇◆
「お疲れのようですね、陛下。今夜は早めに休まれた方がよろしいでしょう」
聖女が退室すると幕外に控えていた筆頭近衛騎士が代わって入室し、黙然と着座し続ける主君に声を掛けた。
「レ・ミリアですか。確かに疲れました。このような疲労を覚えたのは久方ぶりのことです」
「それも当然でしょう。代々受け継がれてきた使命を果たしたのですから」
だが若き女王は最も信頼を置く家臣の言葉に頭を振った。
「無論それもあります。ですが決してそれだけではないのです。わたしは彼女に……エバ・ライスライトに圧倒されたのです」
「伝説の聖女にして、女神の現人神――陛下はどう見られましたか?」
「幼きころから口伝に聴いていた彼女はまさしく慈母神の写し身で、慈愛と温かさと母性に溢れる存在でした。子供心に会える日を待ちわびていました」
「実際に会った彼女はそうではなかったと?」
「いえ、紛れもなく彼女は女神ニルダニスのアバター。慈愛と温かさと母性と強さを兼ね備えた端倪すべからざる英傑でした。でもそれ以上に……」
ベイキは一瞬、それ以上口にしていいかどうか悩んだ。
しかし心中の思いを吐露しなければ、今夜はとても眠れそうになかった。
「でもそれ以上にわたしは彼女に……まるで研ぎ澄まされた刃と対峙しているような畏怖を覚えたのです」







