第81話「雨より怖いのは門倉の予定表」
朝。
俺は妙な音で目を覚ました。
――ザァァァァァ。
雨だ。
しかも。
結構な雨だ。
「…………」
俺は布団の中で耳を澄ませた。
――ザァァァァァ!
間違いない。
本降りだ。
「……ふふ」
笑みがこぼれた。
雨。
測量できない。
つまり。
休み。
「……ふふふふ」
俺は布団を握りしめた。
昨日は数字と格闘した。
一昨日は温泉に振られた。
その前は荷物を運んだ。
その前は崖から落ちかけた。
俺は頑張った。
十分頑張った。
だから。
神様がご褒美をくれたんだ。
「ありがとう、神様……!」
俺は布団に頬ずりした。
今日は絶対に離さない。
この布団こそ。
俺の終着点だ。
「先生!」
廊下から声がした。
来た。
門倉だ。
俺は目を閉じた。
寝たふり。
完璧。
「先生! お目覚めでしょうか!」
「…………」
返事はしない。
「先生!」
「…………」
俺は布団を握る。
頼む。
諦めてくれ。
すると。
「雨でございます!」
「知ってるよぉぉぉ!!」
反射で叫んでしまった。
しまった。
生存確認された。
◇
朝食。
俺は上機嫌だった。
雨音が心地いい。
飯もうまい。
何より。
今日は外に出なくていい。
「いやぁ、いい朝だな!」
郡蔵が顔を上げた。
「先生、随分とご機嫌ですな」
「雨だからな!」
「……雨が?」
「そう!」
俺は箸を置いた。
「雨の日は休む!」
「…………」
宗平が首を傾げた。
「昨日も同じことをおっしゃっていたような」
「昨日は晴れてた!」
「以前の雨の日にも……」
「過去は振り返らない主義なんだよ!」
俺は胸を張った。
門倉が静かに茶をすすっている。
その落ち着きが気になった。
「……門倉」
「はい」
「今日は休みだよな?」
「雨ですからな」
「だろ!?」
「屋外の測量は難しいでしょう」
「よっしゃ!」
俺は両手を上げた。
「では、本日の予定を」
門倉が懐から紙を取り出した。
「…………」
俺の笑顔が止まった。
紙。
嫌な紙だ。
しかも。
折り畳まれている。
「……何それ?」
「予定表です」
「知ってるけど!」
門倉が紙を開く。
――バサッ。
長い。
さらに開く。
――バサッ。
まだある。
もう一度開く。
――バサッ。
「待て待て待て!!」
俺は立ち上がった。
「何その巻物!?」
「本日の予定表です」
「一日分!?」
「はい」
「参勤交代の行列表じゃなくて!?」
「違います」
「軍の作戦書でもなく!?」
「測量隊の予定表です」
「…………」
俺はゆっくり座った。
雨より怖いものが。
目の前にあった。
◇
門倉が予定を読み上げる。
「まず、昨日までの測量記録の照合」
「……うん」
「器具の点検」
「……うん」
「間縄の状態確認」
「……うん」
「今後の行程の検討」
「……うん」
「宿泊先の手配についての相談」
「……うん」
「食料の残量確認」
「……うん」
「そして、先生には――」
「待った!!」
俺は手を上げた。
「一つ聞いていい!?」
「はい」
「昼寝は!?」
「…………」
門倉が予定表を見る。
「ございません」
「書き忘れてる!」
「いいえ」
「大事な予定だぞ!?」
「存じませんでした」
「今知っただろ! 書け!」
門倉は筆を取った。
「承知しました」
「おお!」
やった!
初めて勝った!
門倉が紙の端に何かを書き込む。
俺は覗き込んだ。
『昼寝の必要性について検討』
「検討じゃねえぇぇぇ!!」
◇
雨は止まない。
部屋では全員が作業を始めていた。
郡蔵は測量器具を確認。
宗平は記録を整理。
秀蔵は間縄を点検。
慶助は物資を数えている。
そして。
俺は。
門倉の予定表を見つめていた。
「…………」
長い。
何度見ても長い。
しかも。
やたら細かい。
「……なあ、門倉」
「はい」
「これ、誰が作ったの?」
「私です」
「……一人で?」
「はい」
「…………」
俺は紙を見た。
そして。
あることに気づいた。
「……あれ?」
「何でしょう?」
「これ、全部終わらせる時間まで書いてある?」
「もちろんです」
「…………」
俺は目を細めた。
朝。
記録確認。
その後。
器具点検。
昼。
物資確認。
午後。
行程相談。
夕方。
翌日の準備。
「…………」
待てよ。
俺はもう一度見た。
「……門倉」
「はい」
「これさ」
「はい」
「全部予定通りに進む前提?」
「そうですが」
「……ふふ」
俺は笑った。
見つけた。
弱点を。
門倉の完璧な予定表。
その最大の弱点。
それは。
現実だ。
「門倉!」
「はい!」
「予定通りにいかないこともあるだろ!」
「もちろんです」
「だったら!」
俺は紙を指さした。
「予定が遅れたときのために、空き時間が必要だ!」
「…………」
門倉が黙った。
よし。
考えてる。
効いてるぞ!
「つまり!」
俺は畳を叩いた。
「何もしない時間を作るべきなんだ!」
「なるほど」
門倉が頷いた。
「予備の時間ですな」
「そう!」
「確かに必要です」
「だろ!?」
門倉は筆を取った。
予定表に書き込む。
『予備時間』
俺は拳を握った。
勝った!
ついに勝った!
すると。
門倉が続けた。
「では、作業が遅れた場合は、この時間を使いましょう」
「…………」
「予定通りに進めば、翌日の準備を前倒しできますな」
「…………」
俺は固まった。
「……休憩は?」
「予定表にございます」
「昼寝は?」
「必要性を検討いたします」
「…………」
駄目だ。
こいつ。
予定表で殴ってくる。
◇
昼。
雨はさらに強くなった。
――ザァァァァ!
窓の外が白い。
俺は縁側から庭を眺めた。
「……すげえ雨だな」
「そうですな」
隣に郡蔵が座る。
「これでは道もぬかるみましょう」
「だよな」
「明日の測量にも影響が出るかもしれませぬ」
「…………」
俺は郡蔵を見た。
「……今、何て?」
「明日の測量にも影響が」
「それだ!!」
俺は立ち上がった。
郡蔵が驚く。
「先生!?」
「門倉ぁぁぁ!!」
「はい!」
「緊急事態だ!」
門倉が駆け寄ってきた。
「何事です!?」
俺は窓の外を指さした。
「雨!」
「はい」
「道がぬかるむ!」
「そうでしょうな」
「明日の予定が危ない!」
「確かに」
「だったら!」
俺は胸を張った。
「明日の予定を考えるのは明日でよくない!?」
「…………」
沈黙。
門倉が俺を見る。
郡蔵も俺を見る。
宗平まで手を止めた。
「先生」
門倉が口を開いた。
「だからこそ、今日のうちに考えるのです」
「…………」
「明日の道の状態を見込んで、無理のない行程を組み直しましょう」
「…………」
俺は天井を見上げた。
なんでだ。
なんで俺の提案は。
毎回仕事を増やす方向に進むんだ。
◇
午後。
行程の相談が始まった。
門倉が地図を広げる。
「こちらの道は雨の影響が大きそうです」
郡蔵が頷く。
「足場が悪くなるでしょうな」
宗平も言う。
「荷物を運ぶのも難しくなりそうです」
俺は腕を組んだ。
「……じゃあ、こっちは?」
別の道を指さす。
門倉が確認する。
「こちらは少し遠回りになります」
「でも崖はないだろ?」
「はい」
「ぬかるみも少なそうじゃない?」
「その可能性はございます」
「だったら、こっちの方がいいんじゃない?」
門倉が考え込んだ。
「……確かに」
郡蔵も地図を見る。
「道幅もありそうですな」
宗平が頷く。
「荷物を運ぶには、こちらがよいかもしれませぬ」
「…………」
俺は少し驚いた。
あれ?
採用された?
俺の意見が?
「……門倉」
「はい」
「今の、俺の提案だよな?」
「そうですな」
「採用?」
「皆で確認したうえで、こちらを候補にいたしましょう」
「…………」
俺は笑った。
「……よし!」
なんだ。
やればできるじゃん。
俺。
結構すごいんじゃない?
すると。
門倉が筆を取った。
「では先生。こちらの道について、宿の者にも詳しく尋ねてまいりましょう」
「おう!」
「先生もご一緒に」
「…………」
俺は固まった。
「……なんで?」
「先生が見つけられた道ですからな」
「…………」
まただ。
また仕事が増えた。
俺は地図を見つめた。
余計なことを言ったかもしれない。
でも。
昨日のことを思い出す。
数字の間違い。
それを見つけたとき。
少しだけ嬉しかった。
今日も。
自分の意見が役に立った。
「…………」
まあ。
悪くない。
……悪くないけど。
できれば座っていたかった。
◇
夕方。
雨はようやく弱まった。
宿の者から道の様子を聞き、明日の行程も見直した。
ぬかるみのひどい場所は避ける。
危険な崖道も避ける。
距離は少し増える。
でも。
安全第一だ。
俺は頷いた。
「……これでよし」
門倉が笑った。
「先生のおかげで、よい行程になりました」
「……そう?」
「はい」
「……ふふ」
褒められた。
今日は結構頑張った。
もう休んでいいだろ。
俺は布団に向かった。
すると。
門倉が声をかけてきた。
「先生」
「……何?」
「本日の予定ですが」
「…………」
嫌な予感。
「すべて終わりました」
「……え?」
俺は振り返った。
「本当!?」
「はい」
「全部!?」
「すべてです」
「…………」
俺はゆっくり拳を握った。
ついに。
ついに。
勝った。
門倉の予定表に。
勝った!!
「よっしゃぁぁぁ!!」
俺は畳に倒れ込んだ。
「今日はもう何もしない!!」
門倉が笑った。
「お疲れさまでございました」
「おう!」
「では、明日の予定を」
「…………」
俺は顔を上げた。
門倉が懐から紙を取り出す。
――バサッ。
「…………」
長い。
また長い。
「……門倉」
「はい」
「それ、何?」
「明日の予定表です」
「…………」
俺はゆっくり立ち上がった。
そして。
門倉の手から予定表を受け取った。
「先生?」
俺は紙を見た。
一番上。
『早朝出立』
その下。
『測量開始』
さらに下。
『移動』
『測量』
『記録』
『移動』
『測量』
「…………」
俺は深く息を吸った。
そして。
予定表を丁寧に畳んだ。
門倉に返す。
「……先生?」
俺は真顔で言った。
「門倉」
「はい」
「お前、幕府を倒す気はないか?」
「……は?」
「その予定表があれば、天下取れるぞ」
「…………」
郡蔵が吹き出した。
宗平が肩を震わせる。
秀蔵と慶助も笑いをこらえている。
門倉だけが真剣な顔をした。
「先生」
「何?」
「天下を取った後の予定も立てましょうか?」
「…………」
俺は絶句した。
こいつ。
本気だ。
いや。
本気じゃないかもしれない。
でも。
絶対に俺より予定表が好きだ。
俺は両手を上げた。
「やめろぉぉぉ!!」
そして叫んだ。
「日本地図を作る前に、門倉の予定表で日本が統一されちまうよぉぉぉ!!」




