第78話「伊豆半島って、こんなに大きかった?」
朝。
俺は地図を見ていた。
いや。
正確には。
地図とにらめっこしていた。
「…………」
三浦半島。
ここまでの測量で、ずいぶん歩いた。
海岸線。
入り江。
岬。
岩場。
崖。
思い出したくない場所まで、しっかり地図に残っている。
「……頑張ったな、俺」
思わず呟いた。
「先生」
門倉が近づいてきた。
「何?」
「本日から、伊豆方面への行程についても確認してまいります」
「……伊豆?」
「はい」
俺は顔を上げた。
伊豆。
知っている。
現代の俺だって知っている。
温泉。
海鮮。
観光。
そして。
温泉。
「……いいじゃん」
「何がです?」
「伊豆だろ?」
「はい」
「温泉あるよな?」
「ございますな」
「魚もうまいよな?」
「土地によっては、よい魚が手に入りましょう」
「最高じゃん!」
俺は笑った。
久しぶりに。
本当に久しぶりに。
旅に希望が見えた。
「門倉!」
「はい!」
「伊豆、行こう!」
「その予定です」
「早く行こう!」
「承知しました」
「温泉!」
「測量です」
「…………」
早い。
夢を壊すのが早い。
◇
出発した。
道を歩く。
いつものことだ。
足が痛い。
これもいつものこと。
でも。
今日は少し違う。
目的地が伊豆だ。
伊豆。
温泉。
露天風呂。
海を眺めながらのんびり。
……まあ。
江戸時代に現代みたいな露天風呂があるかは知らないけど。
それでも。
湯につかれるなら十分だ。
「……ふふふ」
「先生?」
門倉が振り返る。
「何やら楽しそうですな」
「いやぁ、伊豆っていいところだよなって」
「まだ着いておりませんが」
「気分の問題だよ!」
◇
昼。
休憩になった。
俺は水を飲みながら、門倉の持っていた地図を覗き込んだ。
「……なあ、門倉」
「はい」
「伊豆って、どの辺?」
門倉が地図を指さした。
「こちらです」
「……ここ?」
「はい」
「…………」
俺は地図を見た。
三浦半島。
相模湾。
その向こう。
伊豆半島。
「……結構あるな」
「そうですな」
「まあ、でも」
俺は笑った。
「伊豆まで行けば温泉だろ?」
「測量の予定がございます」
「知ってるよ!」
俺は地図をもう一度見た。
そして。
あることに気づいた。
「……あれ?」
「先生?」
「伊豆半島ってさ」
「はい」
「こんなに大きかった?」
「…………」
門倉が首を傾げる。
「大きさは変わっておりませぬが」
「そういう意味じゃない!」
俺は地図を指さした。
「これ、先端まで行くんだよな?」
「はい」
「で、反対側も?」
「測量を進めます」
「…………」
俺は指で海岸線をなぞった。
東側。
南へ。
先端。
そして。
西側。
北へ。
「…………」
長い。
ものすごく長い。
しかも。
真っすぐじゃない。
曲がっている。
何度も。
何度も。
「……門倉」
「はい」
「これ、全部?」
「必要な場所を測量いたします」
「全部じゃん!!」
◇
俺は地図を持ち上げた。
「ちょっと待って!」
「はい」
「伊豆半島って、こんなに大きかった!?」
「先生。先ほどもおっしゃいましたな」
「だって!」
俺は地図を指さした。
「現代なら車で行けるんだぞ!?」
「……くるま?」
しまった。
「いや!」
俺は慌てて言い直した。
「馬車!」
「馬車ですか?」
「そう! 馬車!」
門倉が少し考えた。
「道の具合によっては、馬での移動も難しい場所がございましょうな」
「…………」
余計なことを聞いた。
「じゃあ船!」
「海の様子によります」
「…………」
船。
昨日の地獄。
思い出した。
揺れ。
吐き気。
世界が回る。
「……やっぱり歩く」
「先生が自ら歩くとおっしゃるとは!」
「消去法だよ!」
◇
午後。
伊豆方面への移動が続いた。
俺は歩きながら考えていた。
伊豆半島。
温泉。
海鮮。
観光。
それだけなら最高だ。
でも。
測量。
距離。
方角。
海岸線。
岩場。
崖。
入り江。
全部ついてくる。
「…………」
俺は足を止めた。
「門倉」
「はい」
「一つ提案がある」
「何でしょう?」
「伊豆半島の先端まで行ったらさ」
「はい」
「そこで終わりにしない?」
「何をです?」
「測量」
「…………」
門倉が俺を見る。
「先生」
「はい」
「半島の反対側が残ります」
「…………」
「そこも測らねば、地図になりませぬ」
「……そうだよね」
正論。
また正論。
俺は空を見上げた。
神様。
伊豆半島って。
なんで半島なんですか?
島なら船で回れたかもしれない。
……いや。
船も嫌だった。
じゃあ。
どうすればいいんだよ!
◇
夕方。
宿に到着した。
俺は畳に倒れ込んだ。
「はぁぁぁ……」
疲れた。
今日も疲れた。
でも。
頭の中には伊豆がある。
温泉。
温泉。
温泉。
「……よし」
俺は身体を起こした。
「門倉!」
「はい!」
「伊豆に着いたら温泉入ろう!」
「行程に余裕があれば」
「余裕を作ろう!」
「測量が優先です」
「測量の後!」
「記録整理がございます」
「記録整理の後!」
「翌日の準備がございます」
「…………」
俺は門倉を見た。
「……お前さ」
「はい」
「俺を温泉に入れたくないの?」
「そのようなことはございません」
「じゃあ!」
「時間があれば、ぜひ」
「…………」
時間。
それが一番ないんだよ。
◇
夜。
俺は布団の中で考えていた。
伊豆半島。
思っていたより大きい。
道も長い。
測量も大変そうだ。
でも。
昨日のことを思い出す。
秀蔵の荷物。
慶助の宿探し。
郡蔵と宗平の記録。
門倉の気遣い。
みんな。
俺と同じ道を歩く。
俺だけが大変なわけじゃない。
「…………」
俺は小さく息を吐いた。
「……まあ、頑張るか」
そのとき。
戸の向こうから門倉の声がした。
「先生!」
「……何?」
「明日の行程ですが!」
「……はい」
「少々早めに出立いたします!」
「…………」
早め。
つまり。
早起き。
つまり。
睡眠時間が減る。
「……門倉」
「はい」
「温泉は?」
「まだ先です!」
「…………」
俺は布団を頭までかぶった。
そして。
心の底から叫んだ。
「伊豆って温泉天国じゃなかったのかよぉぉぉ!!」




