第77話「地図に載らない苦労が多すぎる」
朝。
俺は宿の縁側に座っていた。
「…………」
足が痛い。
腰も痛い。
昨日は危うく崖から落ちるところだった。
思い出しただけで背筋が寒くなる。
でも。
今日は違う。
門倉が言っていた。
『明日は歩きやすい道を選ぶ予定です』
つまり。
安全。
平坦。
快適。
「……ふふふ」
思わず笑みがこぼれた。
「先生?」
門倉がやってきた。
「何やら楽しそうですな」
「いやぁ、今日はいい日になりそうだなって」
「それは何よりです」
「昨日より歩きやすいんだろ?」
「はい」
「崖はない?」
「なるべく避けます」
「坂は?」
「ございます」
「石は?」
「ございます」
「…………」
俺は門倉を見た。
「……話が違わない?」
「昨日より歩きやすいと申し上げました」
「快適とは言ってない?」
「申しておりません」
「…………」
くそ。
言葉の罠だ。
◇
出発の準備が始まった。
郡蔵が測量道具を確認する。
宗平が記録帳をまとめる。
秀蔵が荷物を運ぶ。
慶助が宿の者と話している。
門倉は今日の行程を確認していた。
そして。
俺は。
「…………」
座っている。
いや。
座っているだけじゃない。
ちゃんと見守っている。
先生だからな。
全体を見渡すのも大事な仕事だ。
「……よし」
俺は頷いた。
「今日も順調だな」
「先生」
門倉が近づいてきた。
「何?」
「そちらの荷物をお持ちいただけますか?」
「…………」
俺は足元を見た。
荷物。
結構大きい。
「……俺が?」
「はい」
「先生なのに?」
「先生でも荷物は持てます」
「…………」
正論。
朝から正論。
「……分かったよ」
俺は荷物を持ち上げた。
重い。
思ったより重い。
「……何入ってるの?」
「測量道具です」
「知ってるけど!」
◇
道を進む。
昨日よりは確かに歩きやすい。
崖もない。
岩場も少ない。
でも。
歩く距離は変わらない。
「…………」
俺は荷物を背負い直した。
重い。
肩に食い込む。
「……門倉」
「はい」
「一つ聞いていい?」
「何でしょう?」
「この荷物ってさ」
「はい」
「誰がいつも運んでるの?」
門倉が振り返った。
「皆で分担しております」
「……そうなの?」
「はい」
俺は周囲を見た。
郡蔵。
測量道具。
宗平。
記録帳と荷物。
秀蔵。
さらに大きな荷物。
慶助。
道具の入った包み。
そして。
俺。
いつもより少し重い荷物。
「…………」
待て。
俺。
今まで。
全然気づいてなかった?
◇
昼。
休憩になった。
俺は道端に座り込んだ。
「はぁぁぁ……」
荷物を下ろす。
肩が軽い。
最高だ。
「……生き返る」
そのとき。
秀蔵が近づいてきた。
「先生。お水を」
「ありがとう」
俺は水を受け取った。
そして。
秀蔵の顔を見た。
「……なあ、秀蔵」
「はい」
「お前、疲れてない?」
「え?」
「荷物、結構重いだろ」
秀蔵が少し驚いた顔をした。
「いえ。慣れておりますので」
「……そう?」
「はい」
俺は秀蔵の肩を見た。
荷物の紐が食い込んだ跡。
赤くなっている。
「…………」
慣れている。
そう言っているけど。
疲れていないわけじゃない。
「……ちょっと貸して」
「何をです?」
「荷物」
「いえ、先生にそのようなことは」
「いいから」
俺は手を伸ばした。
秀蔵が困惑する。
「先生?」
「少しだけだよ」
「ですが」
「俺だって荷物くらい持てるって」
門倉がこちらを見る。
「先生」
「何?」
「先ほどは随分と嫌がっておられましたが」
「…………」
余計なこと言うな。
「気が変わったんだよ!」
◇
午後。
俺は荷物を一つ増やして歩いていた。
「…………」
重い。
ものすごく重い。
「……馬鹿じゃないの、俺」
なんで?
なんで自分から荷物を増やした?
俺は歩きたくないんだぞ?
荷物だって持ちたくないんだぞ?
なのに。
「……はぁ」
肩が痛い。
足も痛い。
でも。
少し前を歩く秀蔵を見る。
さっきより楽そうだ。
「…………」
まあ。
いいか。
ちょっとだけなら。
そのとき。
門倉が近づいてきた。
「先生」
「……何?」
「その荷物、こちらへ」
「え?」
「お持ちいたします」
「……いいの?」
「もちろんです」
「…………」
俺は門倉を見た。
そして。
笑った。
「……じゃあ頼む」
荷物を渡す。
軽い。
最高。
「……門倉」
「はい」
「お前、いい奴だな」
「今さらですか?」
「今さらだよ!」
◇
夕方。
宿へ向かう途中。
慶助が何やら困った顔をしていた。
「……どうした?」
俺が声をかけると、慶助が振り返った。
「先生。今夜の宿について少々」
「……宿?」
「はい」
「取れてないの?」
「いえ、泊まる場所はございます。ただ……」
「ただ?」
「人数に対して部屋が手狭でして」
「…………」
俺は固まった。
「……狭い?」
「はい」
「どのくらい?」
「皆で工夫すれば休めるかと」
「…………」
嫌な予感。
ものすごく嫌な予感。
「門倉!」
「はい!」
「宿が狭いって!」
「承知しております」
「なんとかならない!?」
「本日は他に適当な宿がございません」
「…………」
俺は天を仰いだ。
神様。
今日は歩きやすい道だった。
そこは感謝する。
でも。
宿まで厳しくしなくてもよくない?
◇
宿に到着した。
部屋を見る。
「…………」
狭い。
思っていたより狭い。
荷物を置いたら。
さらに狭い。
「……これ、寝られる?」
「先生。皆で場所を調整いたしましょう」
門倉が言った。
郡蔵が荷物をまとめる。
宗平が道具を隅へ寄せる。
秀蔵が寝具を運ぶ。
慶助が宿の者と話している。
全員。
黙々と動いている。
俺は。
「…………」
立っていた。
いや。
何かしないと。
そう思った。
「……俺も手伝う」
門倉が振り返る。
「先生?」
「荷物、どかせばいい?」
「はい。お願いいたします」
俺は荷物を持った。
重い。
また重い。
でも。
さっきより少しだけ。
嫌じゃなかった。
◇
夜。
ようやく落ち着いた。
俺は布団に横になった。
隣では門倉が記録を確認している。
郡蔵は道具を手入れしている。
宗平は明日の準備。
秀蔵と慶助は荷物を整理している。
「…………」
まだ働いてる。
俺はもう限界なのに。
みんな。
まだ働いてる。
「……なあ」
俺は声をかけた。
全員が顔を上げる。
「先生?」
「……今日さ」
「はい」
「みんな、結構大変だったよな」
門倉が笑った。
「いつものことです」
「……そう?」
「はい」
俺は天井を見た。
いつものこと。
そうなんだろう。
でも。
俺は今まで。
自分がどれだけ歩いたか。
どれだけ疲れたか。
そればっかり考えていた。
仲間が何をしているかなんて。
あんまり見てなかった。
「…………」
俺は身体を起こした。
「……よし」
門倉が首を傾げる。
「先生?」
「今日はもう終わり!」
「……は?」
「仕事!」
俺は全員を見た。
「明日も歩くんだろ?」
「はい」
「だったら寝よう!」
「ですが、記録の確認が」
「明日の朝でも間に合うところまででいい!」
「…………」
門倉が少し考えた。
郡蔵が笑う。
宗平も頷いた。
「先生のおっしゃる通りかもしれませぬな」
「だろ!?」
俺は胸を張った。
「休むのも仕事だ!」
門倉が笑った。
「先生らしいお言葉です」
「褒めてる?」
「もちろんです」
「……本当に?」
「はい」
俺は布団に戻った。
そして。
少しだけ笑った。
◇
灯りが消えた。
部屋が静かになる。
仲間たちの寝息が聞こえる。
俺は天井を見ていた。
今日。
地図には何が残るんだろう。
距離。
方角。
海岸線。
でも。
秀蔵の肩の痛みは。
慶助の宿探しの苦労は。
郡蔵や宗平の仕事は。
門倉の気遣いは。
きっと地図には載らない。
「…………」
俺は目を閉じた。
まあ。
俺くらいは覚えておこう。
そう思った。
……ただし。
明日も荷物を持つかどうかは別だ。
絶対に別だ。
そのとき。
暗闇から門倉の声がした。
「先生」
「……何?」
「明日も荷物をお持ちいただけますか?」
「…………」
聞こえてたのか!?
いや。
心の声だぞ!?
なんで分かるんだよ!
俺は布団を頭までかぶった。
そして叫んだ。
「仲間の苦労は分かったけど、俺の苦労も分かってくれよぉぉぉ!!」




