第73話「俺の足より縄の方が働いている」
翌朝。
晴れた。
見事に晴れた。
「…………」
俺は空を見上げた。
青い。
雲が少ない。
鳥まで気持ちよさそうに鳴いている。
「……空気読めよ」
「先生?」
隣にいた門倉隼太が首を傾げた。
「何がです?」
「天気」
「本日は絶好の測量日和ですな!」
「だからだよ!」
昨日は雨だった。
雨のおかげで歩かずに済んだ。
ただし。
記録整理という地獄が待っていた。
そして俺は。
その記録を眺めているうちに。
余計なことを言ってしまった。
『ここ、もう少し細かく確認した方がよくない?』
ああ。
思い出したくない。
なんで言ったんだ。
なんで気づいたんだ。
なんで黙っていられなかったんだ。
「先生!」
門倉が笑顔で近づいてくる。
「昨日ご指摘された場所から確認いたしましょう!」
「……忘れてない?」
「もちろんです!」
「忘れてくれてよかったのに……」
「何か?」
「なんでもない」
◇
測量が始まった。
郡蔵が間縄を広げる。
宗平が記録帳を開く。
秀蔵と慶助が道具を運ぶ。
門倉が方角を確認する。
そして。
俺は。
「…………」
歩いている。
また歩いている。
昨日、せっかく休めた足が。
今日も働かされている。
「先生。こちらです」
「……はい」
「この場所をご指摘されましたな」
「……そうだね」
門倉が図面を広げた。
昨日、俺が気になった場所だ。
線が少し曲がっている。
記録と図面が合っていない。
「では、改めて測りましょう」
「……はい」
郡蔵たちが動き出す。
間縄を伸ばす。
距離を確認する。
記録する。
そして。
また伸ばす。
「…………」
俺は縄を見た。
伸びる。
縮む。
伸びる。
縮む。
何度も。
何度も。
「……なあ、門倉」
「はい」
「一つ聞いていい?」
「何でしょう?」
「あの縄さ」
「間縄ですな」
「俺より働いてない?」
「…………」
門倉が縄を見る。
そして俺を見る。
「そうでしょうか?」
「だってさ」
俺は指を差した。
「朝からずっと伸びたり縮んだりしてるだろ?」
「はい」
「俺もずっと歩いてるだろ?」
「はい」
「つまり」
「はい」
「俺と縄、同じ仕事してない?」
「…………」
門倉が少し考えた。
そして。
「縄は文句を申しませんな」
「比較するところ、そこ!?」
◇
しばらくして。
測り直しが終わった。
門倉が記録を確認する。
「先生。昨日のご指摘通りでした」
「……え?」
「こちらの曲がりを細かく測ったことで、数字が合いました」
「おお!」
思わず声が出た。
「マジで?」
「まじ?」
「あ、いや。間違いなかったの?」
「はい」
郡蔵も頷いた。
「先生のおかげですな」
「…………」
俺は図面を見た。
昨日。
なんとなく気になった場所。
そこを測り直した。
すると。
数字が合った。
線がつながった。
「……へえ」
まただ。
また少し面白いと思ってしまった。
まずい。
非常にまずい。
俺は今。
測量に興味を持ち始めている。
でも。
興味を持つと。
仕事が増える。
昨日学んだばかりだ。
だから。
今日は黙っていよう。
絶対に。
余計なことは言わない。
「先生」
門倉が図面を見せてきた。
「こちらはどう思われます?」
「…………」
俺は口を閉じた。
「先生?」
「…………」
「何かお気づきでは?」
「…………」
門倉が首を傾げる。
「どうなされました?」
「……何も気づいてない」
「まだ何もお尋ねしておりませんが」
「気づいてない!」
「…………」
門倉が俺を見る。
怪しい。
ものすごく怪しい。
でも。
今日は絶対に言わない。
仕事を増やしたくないから。
◇
昼。
ようやく休憩になった。
俺は道端に腰を下ろした。
「はぁぁぁ……」
足を伸ばす。
気持ちいい。
最高だ。
これだよ。
これこそ人間のあるべき姿だ。
「先生」
宗平が水を持ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
俺は水を飲んだ。
うまい。
生き返る。
「……なあ、宗平」
「はい」
「間縄ってさ」
「はい」
「もっと楽に使えないの?」
宗平が首を傾げた。
「楽に、とは?」
「例えば」
俺は地面に落ちていた小枝を拾った。
そして。
地面に線を引く。
「こうやってさ」
「はい」
「縄を何回も伸ばすんじゃなくて」
「はい」
「車輪みたいなものを転がして、回った数で距離を測るとか」
「…………」
宗平が黙った。
門倉もこちらを見る。
郡蔵まで近づいてきた。
「先生」
門倉が言った。
「それは、どのような仕組みでしょう?」
「え?」
俺は小枝で丸を描いた。
「だから、車輪を転がして」
「はい」
「一回転したら、その分だけ進んだことになるだろ?」
「…………」
郡蔵が腕を組んだ。
「なるほど」
「え?」
「車輪の大きさが分かれば、進んだ距離も求められますな」
「そうそう!」
俺は頷いた。
「そういうこと!」
宗平も地面の図を見る。
「確かに、長い道では便利かもしれませぬ」
「だろ!?」
俺は笑った。
そして。
固まった。
「…………」
待て。
今。
俺。
何した?
また。
余計なことを。
言った?
「先生!」
門倉の目が輝いている。
「面白いお考えですな!」
「……いや」
「試してみる価値がありそうです!」
「……待って」
「郡蔵殿!」
「はい!」
「車輪を用意できるか、確認いたしましょう!」
「承知しました!」
「待て待て待て!」
俺は慌てて立ち上がった。
「違う!」
「何がです?」
「ただの思いつき!」
「しかし、理にかなっております」
「そうだけど!」
「先生のお考えですからな!」
「それが一番怖いんだよ!」
◇
結局。
俺の思いつきは。
午後の話題になってしまった。
車輪。
距離。
回転数。
地面の凹凸。
滑り。
測定誤差。
門倉たちは真剣に話し合っている。
俺は。
「…………」
頭を抱えていた。
なんで?
なんでこうなる?
俺はただ。
楽をしたかっただけなのに。
「先生」
郡蔵が言った。
「ただ、車輪では地面の凹凸による誤差も出ましょうな」
「そうだね」
「間縄との比較も必要です」
「……そうだね」
「実際に試してみなければ分かりませぬ」
「…………」
嫌な予感。
ものすごく嫌な予感。
「つまり?」
門倉が笑顔で答えた。
「試験測量ですな!」
「…………」
試験。
測量。
つまり。
歩く。
「俺の仕事、増えてない!?」
「新しい方法を確かめるためです!」
「楽をするために考えたんだけど!?」
「最初は手間がかかるものですな!」
「本末転倒だろぉぉぉ!!」
◇
夕方。
宿に到着した。
俺は座り込んだ。
「…………」
疲れた。
今日も疲れた。
でも。
昨日気づいた測量の誤差は直った。
地図の線も少し正確になった。
そして。
新しい測り方まで考えてしまった。
「……何やってんだ、俺」
現代にいた頃。
俺はただの会社員だった。
出世の予定もない。
特別な才能もない。
毎日、仕事をして。
休日にアニメを見て。
フィギュアを買って。
それで十分だった。
なのに。
今は。
江戸時代で。
日本地図を作っている。
しかも。
自分から仕事を増やしている。
「……馬鹿じゃないの?」
俺は天井を見上げた。
そのとき。
門倉がやってきた。
「先生!」
「……何?」
「明日の予定ですが」
「……はい」
「本日の測量を進めながら、車輪の件も検討いたしましょう」
「…………」
「まずは間縄との比較からですな!」
「…………」
俺はゆっくり布団をかぶった。
「先生?」
「…………」
「お疲れですか?」
「……門倉」
「はい」
「一つだけ言わせて」
「何でしょう?」
俺は布団の中から叫んだ。
「俺の足より縄の方が働いてるのに、なんで俺だけ残業が増えるんだよぉぉぉ!!」




