第72話「雨だ!休みだ!違った!」
朝。
俺は目を覚ました。
「…………」
何か聞こえる。
サァァァァ……。
雨だ。
雨が降っている。
しかも。
結構な勢いで。
「…………」
俺は布団の中で耳を澄ませた。
サァァァァ……。
間違いない。
雨だ。
「……雨?」
俺はゆっくり身体を起こした。
障子の向こう。
薄暗い。
外から聞こえる雨音。
そして。
俺の頭の中で、一つの可能性が浮かび上がった。
雨。
つまり。
測量できない。
測量できないということは。
歩かなくていい。
歩かなくていいということは――。
「休みだぁぁぁ!!」
俺は布団から飛び起きた。
昨日までの疲れ?
そんなものは知らん。
足の痛み?
今は忘れた。
雨!
素晴らしい!
こんなに雨がありがたいと思ったことが、人生であっただろうか。
いや、ない!
「神様ぁぁぁ!!」
俺は天井に向かって両手を合わせた。
「ありがとうございます!!」
「先生?」
戸の向こうから声がした。
門倉だ。
来た。
来やがった。
でも今日は怖くない。
だって雨だもん。
「門倉!」
「はい」
「雨だぞ!」
「降っておりますな」
「結構降ってるぞ!」
「そのようです」
「つまり!?」
「本日の屋外での測量は難しいでしょうな」
「よっしゃぁぁぁ!!」
勝った。
ついに勝った。
江戸を出発してから。
初めての完全勝利だ。
「じゃあ、おやすみ!」
俺は布団へ飛び込んだ。
最高。
これだよ。
これこそ休日だよ。
朝から布団。
雨音を聞きながら二度寝。
現代だったらスマホでアニメでも見るところだ。
……スマホないけど。
フィギュアもないけど。
テレビもないけど。
それでも。
寝られる!
俺は布団を頭までかぶった。
「先生」
「…………」
「先生?」
「寝てる」
「お返事が聞こえましたぞ」
「寝言!」
「随分とはっきりした寝言ですな」
くそ。
このやり取り。
昨日もやった気がする。
「先生。お支度を」
「…………」
ん?
今。
なんて?
「お支度?」
「はい」
「なんの?」
「仕事の」
「…………」
俺は布団から顔を出した。
「……は?」
◇
部屋に通された。
いや。
正確には。
連行された。
そこには。
紙。
筆。
記録帳。
そして。
昨日までに集めた測量記録。
大量。
ものすごく大量。
「…………」
俺はそれを見た。
そして門倉を見た。
もう一度、紙を見る。
「……何これ?」
「測量記録です」
「知ってる」
「では、始めましょう」
「待って」
「何でしょう?」
「今日、雨だよね?」
「はい」
「測量できないよね?」
「屋外での作業は難しいでしょう」
「じゃあ休みじゃないの!?」
門倉が首を傾げた。
「何故です?」
「何故って!」
俺は窓の外を指さした。
「雨!」
「はい」
「外!」
「はい」
「濡れる!」
「そうですな」
「だから休み!」
「…………」
門倉が俺を見る。
あの顔だ。
またあの顔。
先生、本当に大丈夫ですか?
という顔。
「先生」
「はい」
「雨で外を測れぬからこそ、できる仕事がございます」
「…………」
嫌な予感がする。
「例えば?」
「これまでの記録の整理です」
「…………」
「距離と方角の照合」
「…………」
「図面への書き込み」
「…………」
「明日以降の行程の確認」
「…………」
多い。
多すぎる。
「ちょっと待って!」
「はい」
「雨の日って休みじゃないの!?」
「測量ができないだけです」
「同じじゃないの!?」
「違います」
即答。
強い。
門倉。
本当に強い。
「じゃあ、郡蔵に任せよう!」
「先生の確認が必要です」
「宗平!」
「私も記録を整理しております」
「秀蔵!」
「先生のご指示をお待ちしております!」
「慶助!」
「こちらも準備ができております!」
「…………」
全員。
仕事する気満々。
なんで?
雨だぞ?
普通、雨の日ってテンション下がるだろ?
なんで全員こんなにやる気なの?
「全員敵かよぉぉぉ!!」
◇
仕事が始まった。
郡蔵が記録を広げる。
宗平が数字を読み上げる。
秀蔵が紙を押さえる。
慶助が道具を整える。
門倉が確認を進める。
そして。
俺。
「…………」
座っている。
座っているだけ。
いや。
正確には。
座って仕事をしている。
「先生。こちらをご確認ください」
「……はい」
数字を見る。
距離。
方角。
また距離。
また方角。
数字。
数字。
数字。
「…………」
頭が痛い。
昨日は足が痛かった。
今日は頭が痛い。
どっちにしても痛い。
「門倉」
「はい」
「俺、気づいたんだけど」
「何でしょう?」
「測量って、歩くだけじゃないんだな」
「今さらですか?」
「今さらだよ!」
◇
しばらくして。
俺は一枚の紙を眺めていた。
そこには。
細い線が引かれている。
曲がっている。
少し伸びている。
また曲がっている。
「…………」
俺は首を傾げた。
「門倉」
「はい」
「これ、何?」
「昨日までの測量結果を図にしたものです」
「……これが?」
「はい」
俺は紙を見た。
そして。
昨日歩いた道を思い出した。
「あれ?」
「どうなされました?」
「ここってさ」
俺は線の曲がった部分を指さした。
「昨日、縄を何回も伸ばしたところ?」
「その通りです」
「じゃあ、こっちは?」
「道が曲がっていた場所ですな」
「…………」
俺はもう一度、紙を見た。
昨日。
あれだけ歩いた。
何度も止まった。
何度も測り直した。
何度も文句を言った。
その結果が。
ここにある。
「……へえ」
思わず声が出た。
「面白いな」
「先生?」
「あ、いや!」
しまった。
また口に出した。
「なんでもない!」
門倉が笑う。
「先生。今、面白いとおっしゃいましたな?」
「言ってない」
「確かに聞こえましたぞ」
「空耳!」
「随分とはっきりした空耳ですな」
くそ。
こいつ。
最近、俺の扱いがうまくなってないか?
◇
俺はもう一度、図面を見た。
そして。
あることに気づいた。
「……あれ?」
「今度は何でしょう?」
「ここさ」
俺は一か所を指さした。
「なんか変じゃない?」
門倉が覗き込む。
「どちらです?」
「ここ。線の曲がり方」
「…………」
「昨日、もっと大きく曲がってなかった?」
門倉が記録を確認する。
郡蔵も近づいてきた。
「……確かに」
「方角の記録と、図面の線が少々合いませぬな」
「だろ?」
俺は思わず身を乗り出した。
「じゃあ、ここ直した方がよくない?」
「そうですな」
「あと、この辺も!」
俺は別の場所を指さした。
「ここ、もうちょっと細かく確認した方がいいと思うんだよ」
「なるほど」
門倉が頷く。
「先生のおっしゃる通りです」
「だろ!?」
俺は笑った。
なんだ。
これ。
ちょっと楽しい。
昨日、あれだけ嫌だった測量。
その結果を見ていると。
どこを歩いたのか。
どこで苦労したのか。
全部思い出せる。
そして。
それが少しずつ地図になっていく。
「……すげえな」
俺は小さく呟いた。
門倉がこちらを見る。
「先生?」
「いや、なんでもない」
でも。
本当に。
少しだけ。
そう思った。
◇
「では先生」
門倉が記録帳を閉じた。
「明日、こちらを確認いたしましょう」
「おう!」
俺は元気よく返事をした。
そして。
固まった。
「…………」
待て。
今。
なんて?
「……明日?」
「はい」
「何を?」
「先ほど先生がご指摘された場所を」
「…………」
「現地で改めて確認いたします」
「…………」
「先生?」
俺はゆっくり門倉を見た。
「……歩いて?」
「もちろんです」
「…………」
やった。
やってしまった。
自分から。
自分の意思で。
仕事を増やした。
「…………」
俺は頭を抱えた。
「俺の馬鹿ぁぁぁ!!」
「先生!?」
「なんで余計なこと言ったんだよ、俺ぇぇぇ!!」
門倉が困惑している。
郡蔵が笑っている。
宗平も笑っている。
秀蔵と慶助まで笑っている。
笑うな!
俺だって反省してるんだよ!
◇
夕方。
ようやく仕事が終わった。
雨はまだ降っている。
俺は布団に倒れ込んだ。
「…………」
疲れた。
ものすごく疲れた。
でも。
今日は歩いていない。
足は休めた。
それだけは救いだ。
「……まあ、いいか」
俺は天井を見た。
今日の仕事。
正直、最初は嫌だった。
でも。
昨日までの測量が、少しずつ地図になっていく。
あれは。
ちょっと面白かった。
……いや。
本当にちょっとだけだぞ?
別に測量が好きになったわけじゃない。
歩くのは嫌だ。
今も嫌だ。
これからも嫌だ。
「先生!」
戸の向こうから門倉の声。
「……何?」
「雨が上がりましたぞ!」
「…………」
俺は起き上がった。
「……だから?」
「明日は予定通り測量ができそうです!」
「…………」
「それに、先生がご指摘された場所も確認できますな!」
「…………」
俺はゆっくり布団をかぶった。
聞こえない。
何も聞こえない。
「先生?」
「…………」
「明日は早めに出立いたしましょう!」
「…………」
神様。
お願いがあります。
明日も雨にしてください。
いや。
できれば一週間くらい。
……駄目だ。
雨が降っても仕事があるんだった。
俺は布団の中で叫んだ。
「雨の日まで働くなんて、聞いてないぞぉぉぉ!!」




