第71話「縄一本で日本を測れと?」
第二次測量。
二日目。
俺は朝から絶望していた。
理由は簡単だ。
足が痛い。
「…………」
布団の中で足を動かす。
痛い。
もう一度動かす。
やっぱり痛い。
「……帰りたい」
昨日、江戸を出発したばかりだ。
まだ川崎宿。
これから三浦半島。
その先には伊豆半島。
そして、いったん江戸に戻った後も測量は続く。
知っている。
全部知っている。
だからこそ。
「……帰りたい」
「先生!」
戸の向こうから声がした。
門倉だ。
朝から元気だな、おい。
「お目覚めですか!」
「寝てる!」
「お返事が聞こえましたぞ!」
「寝言!」
「随分とはっきりした寝言ですな!」
くそ。
今日も駄目か。
◇
宿を出た。
朝の空気が気持ちいい。
鳥が鳴いている。
空は晴れている。
絶好の測量日和だ。
最悪だ。
「先生。本日から本格的に測量を進めます」
門倉が言った。
「……昨日は?」
「移動が中心でしたからな」
「…………」
昨日あれだけ歩いたのに?
あれで移動だけ?
「じゃあ今日は?」
「距離と方角を確認しながら進みます」
「……つまり?」
「測量です」
「知ってるよ!」
いや。
知らない。
正確には。
測量という言葉は知っている。
でも。
何をどうするのかは、ほとんど知らない。
現代の俺は会社員だ。
地図を作ったことなんてない。
せいぜいスマホの地図アプリを使うくらいだ。
それなのに。
俺は今。
日本地図を作った偉人になっている。
無理があるだろ。
「先生」
郡蔵が声をかけてきた。
「まずは間縄を用意いたします」
「……まなわ?」
「はい」
「何それ?」
「…………」
しまった。
またやった。
郡蔵の手が止まった。
門倉が俺を見る。
宗平までこちらを見た。
やめて。
その顔。
「いや、確認!」
俺は慌てて付け加えた。
「確認だから!」
「先生が長年お使いになっている道具ですが……」
「知ってる! もちろん知ってる!」
知らない。
まったく知らない。
「では、こちらを」
郡蔵が差し出した。
縄だった。
「…………」
縄。
普通の縄。
いや、目盛りらしき印が付いている。
でも。
縄。
「これ?」
「はい」
「間縄?」
「その通りです」
「…………」
俺は縄を見た。
そして。
前方に続く道を見た。
もう一度、縄を見る。
嫌な予感がする。
「……これで何するの?」
「距離を測ります」
「…………」
待て。
距離?
この縄で?
「門倉」
「はい」
「俺、今すごく嫌な予感がしてる」
「何でしょう?」
「これを地面に伸ばして?」
「はい」
「端から端まで測って?」
「はい」
「また伸ばして?」
「その通りです」
「…………」
俺は遠くを見た。
道が続いている。
ずっと。
ずっと。
ずっと。
「……何回?」
「必要なだけです」
「何回!?」
「測量が終わるまでです」
「終わらないじゃん!!」
◇
測量が始まった。
郡蔵と宗平が間縄を扱う。
一方が端を押さえ、もう一方が縄を伸ばす。
距離を確認する。
記録する。
そして次へ。
地道だ。
ものすごく地道だ。
「…………」
俺はその様子を見ていた。
いや。
見ているだけならいい。
問題は。
「先生。方角の確認をお願いいたします」
門倉が方位盤を持ってきた。
「……俺?」
「もちろんです」
「郡蔵じゃ駄目?」
「先生のご確認を」
「宗平は?」
「私も記録を取っておりますので」
「秀蔵!」
「はい!」
「代わって!」
「先生のご指示をいただければ!」
「慶助!」
「私もお手伝いいたします!」
「…………」
全員。
俺に仕事を返してくる。
何これ。
先生って。
一番偉いんじゃないの?
一番楽できるんじゃないの?
「先生?」
門倉が首を傾げる。
「どうなされました?」
「……先生って大変だな」
「今さらですか?」
「今さらだよ!」
◇
距離を測る。
方角を確認する。
記録する。
進む。
また測る。
また確認する。
また記録する。
また進む。
「…………」
これ。
いつ終わるんだ?
「門倉」
「はい」
「一つ提案がある」
「何でしょう?」
「もっと効率よくできない?」
「具体的には?」
「例えばさ」
俺は前方を指さした。
「あそこまで一気に測るとか」
門倉が道を見る。
「間の曲がりをどう測るのです?」
「…………」
「方角が変わる場所もございます」
「…………」
「距離だけでは地図になりませぬ」
「……そうだね」
正論。
完全な正論。
俺は肩を落とした。
でも。
諦めたくない。
「じゃあさ!」
「はい」
「縄をもっと長くすれば?」
「長すぎれば扱いにくくなります」
「じゃあ短く!」
「測る回数が増えます」
「…………」
詰んだ。
どっちにしても歩く。
「もう歩けません」
「まだ午前中です」
「知ってるよ!」
◇
しばらくして。
俺は一つの事実に気づいた。
測量隊は。
ただ歩いているわけじゃない。
道の曲がり。
方角。
距離。
一つ一つを確認している。
しかも。
同じ場所を何度も見直すことがある。
「……門倉」
「はい」
「今、何してる?」
「先ほどの記録を確認しております」
「なんで?」
「距離と方角が合いませんので」
「…………」
俺は記録を覗き込んだ。
数字。
数字。
数字。
頭が痛くなる。
「……これ、間違ってるの?」
「どこかに誤差があるのでしょう」
「じゃあどうする?」
「測り直します」
「…………」
測り直す。
つまり。
戻る。
そして。
もう一度歩く。
「待って」
「何でしょう?」
「今、測り直すって言った?」
「はい」
「戻るの?」
「はい」
「歩いて?」
「もちろんです」
「…………」
俺は天を仰いだ。
神様。
昨日もお願いしたよね?
歩く距離を減らしてって。
なのに。
増えてるんですけど!?
「先生?」
「……なんでもない」
俺は足元を見た。
草鞋。
昨日、挨拶したばかりの相棒。
お前。
今日も頑張ってくれ。
◇
測り直しが始まった。
郡蔵が間縄を伸ばす。
宗平が記録を確認する。
門倉が方角を見直す。
俺も。
仕方なく確認する。
「……あれ?」
思わず声が出た。
「どうなされました?」
門倉が近づいてくる。
「ここさ」
俺は記録を指さした。
「さっきと数字が違わない?」
「……確かに」
「この場所、道が少し曲がってるだろ?」
「はい」
「そこを真っすぐ測ったら、ずれるんじゃない?」
門倉が記録を見る。
郡蔵も近づいてきた。
「……なるほど」
「先生のおっしゃる通りかもしれませぬ」
「え?」
俺は驚いた。
いや。
自分で言ったんだけど。
まさか。
本当に当たるとは。
「では、曲がりの位置を改めて確認いたしましょう」
「はい!」
郡蔵たちが動き出す。
俺はその背中を見た。
「…………」
なんだ。
これ。
ちょっと面白い。
数字だけじゃ分からなかったことが。
実際の道を見ると分かる。
その違いを確かめる。
そして。
少しずつ正しい形に近づける。
「……へえ」
思わず笑った。
その瞬間。
門倉が振り返る。
「先生」
「何?」
「楽しそうですな」
「…………」
しまった。
「いや、別に!」
「先ほどから随分と熱心に」
「違う!」
「では、もう一か所確認を」
「なんでそうなる!?」
「先生が興味を持たれたようでしたので」
「持ってない! 持ってないから!」
嘘だ。
少しだけ。
本当に少しだけ。
面白いと思った。
でも。
それとこれとは別だ。
◇
夕方。
ようやく本日の作業が終わった。
俺は宿に入るなり座り込んだ。
「…………」
足が痛い。
腰も痛い。
肩も痛い。
全身が痛い。
「……もう無理」
門倉が近づいてきた。
「先生。本日もお疲れさまでございました」
「……お疲れ」
「明日も引き続き測量を進めます」
「…………」
明日。
また明日。
毎日毎日。
歩いて。
測って。
記録して。
歩いて。
測って。
記録して。
「門倉」
「はい」
「一つ聞いていい?」
「何でしょう?」
「これ、あと何日続くの?」
門倉は少し考えた。
そして。
笑顔で答えた。
「第二次測量が終わるまでです」
「…………」
俺はゆっくり横になった。
もういい。
何も考えたくない。
「先生?」
「…………」
「明日の準備がございますが」
「…………」
「先生?」
俺は布団を頭までかぶった。
そして。
心の底から叫んだ。
「縄一本で日本を測れって、どんな罰ゲームだよぉぉぉ!!」




