第7話「いつ寝るの?」
疲れた。
ものすごく疲れた。
でも。
今日は頑張った。
自分で自分を褒めていいと思う。
「……終わった」
俺はその場に座り込んだ。
足が痛い。
腰も痛い。
頭も痛い。
ただ歩いていた昨日までとは違う。
今日は。
測った。
歩いた。
記録した。
また測った。
また歩いた。
また記録した。
曲がる。
止まる。
測る。
歩く。
記録する。
これを。
何度も。
何度も。
何度も。
「日本地図って……」
俺は地面を見つめる。
「こんな作り方してたのかよ……」
知らなかった。
本当に知らなかった。
伊能忠敬。
日本中を歩いて地図を作った人。
俺が知っていたのは。
それだけ。
なんとなく。
歩数でも数えながら日本中を歩いたんだと思っていた。
いや。
歩数も数える。
でも。
それだけじゃない。
方角を測る。
距離を測る。
記録する。
曲がればまた測る。
そして。
それを繰り返す。
「これ……」
俺は今日の記録を見る。
「日本全部やるの?」
「そのための測量ですが」
門倉隼太が答えた。
「…………」
知ってる。
知ってるけど。
実際にやってみると。
意味が違う。
日本全部。
この作業を。
日本全部。
「頭おかしい」
「先生?」
「なんでもない」
もう。
何回言ったか分からない。
歴史に名を残す人。
絶対。
頭のネジが何本か外れてる。
でも。
今日の俺は。
その頭のネジが外れた人になって。
一日。
ちゃんと測量した。
「よし」
俺は立ち上がった。
今日は終わり。
飯食って。
風呂。
……風呂あるのかな?
まあいい。
とにかく。
飯。
そして。
寝る。
それだけ。
今日はもう。
何もしたくない。
◇
飯を食った。
うまかった。
何を食ったのか。
正直。
あまり覚えていない。
疲れすぎていた。
腹に入れば何でもよかった。
そして。
俺は横になった。
「…………」
最高。
布団。
いや。
現代の俺が使っていたベッドと比べたら。
全然違う。
でも。
今の俺には。
高級ホテルのベッドより素晴らしく感じる。
「寝る」
誰に言うでもなく宣言した。
目を閉じる。
今日は本当に疲れた。
朝から歩いて。
測って。
覚えて。
間違えて。
門倉に直されて。
宗平にも教わって。
秀蔵にも教わった。
息子に測量を教わるという。
よく分からない一日だった。
まあ。
いい。
考えるのは明日。
今日は寝る。
おやすみ。
「先生」
「…………」
聞こえない。
「先生」
聞こえない。
俺は寝た。
今。
寝た。
「先生」
「…………」
「忠敬先生」
「寝てる」
「起きておられます」
「寝てる」
「返事をなされております」
「寝言」
「随分とはっきりした寝言ですな」
「…………」
俺は目を開けた。
門倉がいる。
「何?」
「そろそろ参りましょう」
「どこに?」
「観測です」
「…………」
俺は目を閉じた。
「おやすみ」
「先生」
「明日やる」
「今夜です」
「なんで?」
「星を見るのですから」
「…………」
俺は。
ゆっくり目を開けた。
「星?」
「はい」
「なんで?」
門倉が黙った。
また。
例の顔。
先生、本当に大丈夫ですか?
という顔。
やめろ。
俺だって。
今日一日で。
ちょっとは測量できるようになったんだぞ。
「先生」
「はい」
「天測です」
「てんそく?」
「…………」
「いや」
俺は慌てて起きる。
「知ってる! 知ってるよ!」
知らない。
全然知らない。
でも。
これ以上。
何も知らないと思われるのは嫌だ。
俺はウインドウを見る。
頼む。
天測。
【史実情報】
天測。
天体観測によって位置を確認するために行われる観測。
「…………」
珍しく役に立った。
ちょっとだけ。
つまり。
星を見る。
「それで?」
俺は門倉を見る。
「星を見てどうするの?」
「観測いたします」
「何を?」
「星の高度などを」
「何のために?」
「緯度を確かめるためです」
「…………」
緯度。
知ってる。
北緯何度とか。
あれだ。
つまり。
昼間。
歩いて。
距離を測って。
方角を測って。
記録して。
夜。
星を見て。
自分たちがどの辺にいるのか確かめる。
「…………」
俺はしばらく考えた。
そして。
一つの疑問に辿り着いた。
「門倉」
「はい」
「朝は?」
「起きます」
「昼は?」
「測量いたします」
「夕方は?」
「測量を終え、宿へ」
「夜は?」
「天測を」
「…………」
俺は門倉を見る。
「いつ寝るの?」
「天測が終わりましたら」
「何時?」
「観測次第です」
「…………」
答えになってない。
「雨の日は?」
「天測は難しいでしょうな」
「よっしゃ!」
「先生?」
「雨降れ!」
「何をおっしゃっているのです?」
「雨降れ! 今日だけでいい!」
「先生!」
俺は外を見る。
晴れている。
めちゃくちゃ晴れている。
星。
見えそう。
ものすごく見えそう。
「なんで今日こんな晴れてんだよ!」
「観測には良い夜ですな」
「俺には最悪だよ!」
◇
外へ出る。
夜。
暗い。
現代とは全然違う。
街灯がない。
看板もない。
家から漏れる明かりも少ない。
だから。
空を見る。
「…………」
思わず。
声が止まった。
星。
すごい。
こんな空。
見たことがない。
「……綺麗だな」
俺は呟いた。
門倉たちが観測の準備を始める。
俺はしばらく。
空を見ていた。
江戸時代に来て。
初めて。
少しだけ。
来てよかったと思った。
本当に。
ほんの少しだけ。
「先生」
「ん?」
「準備が整いました」
「…………」
現実に戻された。
目の前には。
また。
見たことのない道具。
「これ何?」
「先生」
「確認!」
「まだ何も言っておりません」
「顔が言ってる!」
門倉がため息をつく。
俺もため息をつく。
そして。
観測を始める。
星を見る。
測る。
記録する。
また見る。
測る。
記録する。
「…………」
しばらくして。
俺は思った。
星は。
綺麗だ。
それは間違いない。
でも。
見るのと。
測るのは。
全然違う。
「まだ?」
「まだです」
しばらく経つ。
「まだ?」
「まだです」
また経つ。
「まだ?」
「先生」
「何?」
「先ほどからそればかりです」
「眠いんだよ!」
昼間。
歩いた。
測った。
頭を使った。
そして今。
夜。
星を測っている。
五十五歳。
俺。
五十五歳。
「伊能忠敬……」
「はい?」
「だから俺じゃない!」
「先生が伊能忠敬です」
「分かってる!」
くそ。
このやり取り。
一生続く気がする。
そして。
ようやく。
観測が終わった。
「本日はこれで」
「終わり!?」
「はい」
「寝ていい!?」
「はい」
「よっしゃあ!」
今日一番。
嬉しい言葉だった。
俺は宿へ戻る。
もう何も考えない。
寝る。
絶対寝る。
明日。
また歩く。
また測る。
そして。
晴れていたら。
夜は。
星を見る。
「…………」
布団に入る。
目を閉じる。
その瞬間。
ふと思った。
本物の伊能忠敬は。
これを。
ずっとやったのか?
歩いて。
測って。
夜は星を見て。
また朝になったら。
歩く。
「…………」
やっぱり。
頭のネジ。
外れてる。
でも。
今日。
俺も。
同じことをした。
「…………」
嫌な予感がする。
このまま続けていたら。
俺まで。
そっち側になるんじゃないだろうな。
【史実との差:0日】
【タイムパラドックス発生リスク:0.000%】
「…………」
今はいい。
寝よう。
おやすみ。
明日も。
歩く。
たぶん。
いっぱい。
「もう俺は……」
目を閉じる。
「歩けません……」
そして俺は。
一瞬で眠りに落ちた。




