第69話「出発準備が俺を休ませてくれません」
「よし! 今日は休む!」
朝。
俺は布団の中で高らかに宣言した。
第二次測量の計画は認められた。
幕府との話も終わった。
あとは出発するだけ!
つまり!
今こそ休むべきだ!
「あなた。お客様ですよ」
エイの声が聞こえた。
「……誰?」
「門倉様です」
…………。
早い。
早すぎる。
まだ布団が温かいんだけど!?
「先生! おはようございます!」
障子の向こうから元気な声が響く。
「……おはよう」
「本日は物資と器具の確認をいたします!」
「……明日じゃ駄目?」
「先生。昨日も同じことを仰っておりました」
覚えてるよ!
だから今日も言ってるんだよ!
「準備に余裕を持たせると決めたのは先生です」
「……そうだったな」
「では、参りましょう」
「……はい」
俺は布団から這い出した。
まだ歩いてもいないのに。
もう帰りたい。
◇
庭には、測量器具が並べられていた。
方位盤。
間縄。
測量に使う竿。
記録用の紙や筆。
そして。
「……多くない?」
思わず口から出た。
門倉が振り返る。
「何がでしょう?」
「道具だよ! 道具!」
「必要なものばかりですが」
「こんなに持って歩くの!?」
「当然です」
当然じゃない!
俺にとっては全然当然じゃない!
「先生。こちらをご覧ください」
宗平が一本の縄を広げた。
「今回使用する間縄です」
「おお……」
縄だ。
ただの縄に見える。
「これで距離を測ります」
「……つまり?」
「一定の長さを正確に測ることができます」
「歩数を数えなくていいのか!?」
「はい。距離を測る際には役立ちます」
来た!
ついに来た!
文明の進歩!
俺の足を救う救世主!
「じゃあ、歩かなくてもいいんだな!?」
宗平が首を傾げた。
「……いえ?」
「え?」
「縄を張る場所までは歩きます」
「……うん」
「測り終えたら、次の場所へ移動します」
「……うん」
「それを繰り返します」
…………。
「結局歩くじゃねえか!!」
宗平が目を丸くした。
郡蔵が吹き出す。
門倉は平然としていた。
「先生。縄が勝手に進むわけではございません」
知ってるよ!
分かってるけど!
少しくらい夢を見させてくれよ!
◇
「先生。こちらの荷物も確認を」
郡蔵が大きな包みを指さした。
「……何これ?」
「食料と日用品です」
「全部?」
「はい」
「……減らせない?」
「減らせば困ります」
即答!
少しは考えてよ!
「ほら、現地で買えばいいじゃないか」
「買えない場所もございます」
「じゃあ宿で!」
「宿のない場所もございます」
「……人の家に泊めてもらうとか」
「必ず泊めていただけるとは限りません」
…………。
強い。
郡蔵、強い。
俺の怠け心を正論で殴ってくる!
「先生。前回、食料の確保に苦労したことをお忘れですか?」
「忘れてないよ!」
むしろ忘れたいよ!
あんな思いは二度としたくない!
「だから今回は、余裕を持たせております」
「……そうだな」
「先生の計画どおりです」
また俺か!
何で俺の計画書は俺を追い詰めるんだ!?
◇
昼過ぎ。
新たに測量へ加わる者たちが挨拶にやってきた。
「伊能先生。伊能秀蔵にございます」
「尾形慶助と申します」
二人が丁寧に頭を下げた。
……おお。
仲間が増えた。
これはいい。
非常にいい。
人数が増えれば、一人当たりの仕事が減る!
つまり!
俺の仕事も減る!
「よろしく頼む!」
俺は満面の笑みで二人を迎えた。
「皆で力を合わせて、無事に帰ってこよう!」
「はい!」
いい返事だ!
実に頼もしい!
「それでは先生」
門倉が口を開いた。
「新たな方々にも、先生から測量の進め方をご説明いただけますか?」
「……俺が?」
「はい」
「門倉が説明すればいいじゃないか」
「最終的な方針は先生がお決めになりましたので」
…………。
そうだった。
また俺だった。
「……分かった」
俺は机の上に地図を広げた。
三浦半島。
伊豆半島。
そして、その先の東海岸。
「まずは三浦、伊豆方面を測る」
二人が真剣な顔で頷く。
「天候によって予定が変わることもある。無理に進まず、器具や食料の状態も確認しながら進めたい」
「承知いたしました」
「それと……」
俺は一度、言葉を止めた。
第一次測量。
あの寒さ。
雨。
足の痛み。
そして。
一緒に歩いた仲間たち。
「……誰かが無理をしていたら、遠慮なく言ってくれ」
秀蔵が顔を上げた。
「先生?」
「一人で抱え込むな。困ったら相談する。全員で考える」
俺は地図の端を押さえた。
「今回も、全員で帰ってくるぞ」
「はい!」
二人の返事が重なった。
郡蔵と宗平も頷いている。
門倉が、少しだけ笑った。
……うん。
いいな。
こういうの。
なんだか本当に、測量隊の責任者になった気がする。
「それでは先生」
門倉が紙を差し出した。
「こちらの確認もお願いいたします」
「……何これ?」
「荷物の割り振りです」
「……俺の荷物は?」
「こちらです」
多い!
何で俺の荷物だけこんなに多いの!?
「先生の身の回りの品もございますので」
「減らして!」
「必要なものです」
「俺の荷物だけ軽くして!」
「先生!」
全員が笑った。
笑い事じゃない!
俺の腰が死ぬんだよ!
◇
それからの日々は、あっという間に過ぎていった。
道具を確認する。
食料を手配する。
人員の役割を決める。
宿泊先や道中の手配を確認する。
そして。
「先生! こちらを!」
「先生! 確認を!」
「先生! ご判断を!」
「俺は一人しかいないんだよぉぉぉ!」
どこへ行っても呼ばれる。
何をしていても呼ばれる。
昼飯を食べようとすれば門倉。
お茶を飲もうとすれば郡蔵。
ちょっと横になろうとすれば宗平。
……お前ら!
俺の休憩時間を見張ってるの!?
それでも。
準備は少しずつ整っていった。
道具が揃う。
荷物がまとまる。
仲間たちが、それぞれの役割を覚えていく。
俺が何も言わなくても、次の仕事が進んでいることも増えた。
……あれ?
もしかして。
俺、いなくてもよくない?
「門倉」
「はい」
「俺、留守番でもいいかな?」
「先生がいなければ測量隊ではございません」
「……だよな」
「それに、先生のご判断が必要です」
「……そうだよな」
嬉しいような。
悲しいような。
いや。
やっぱり悲しい!
留守番したい!
◇
出発前夜。
ようやく家の中が静かになった。
俺は部屋に置かれた旅支度を眺めていた。
笠。
草鞋。
着替え。
そして、測量に必要なもの。
……またこれを身につけるのか。
第一次測量の出発前を思い出す。
あのときは、何も分からなかった。
伊能忠敬になったことすら、まともに受け入れられなかった。
測量?
蝦夷地?
歩いて行く?
冗談じゃない!
そう思っていた。
……いや。
今も思ってるけど!
「あなた」
エイが部屋に入ってきた。
手には、小さな包み。
「こちらを」
「ん?」
「道中でお使いください」
開いてみると、手拭いが入っていた。
「……ありがとう」
「前の測量でも、随分とお疲れになったようでしたから」
「本当に疲れたよ」
「今回も大変でしょうね」
「分かってるなら止めてくれない?」
エイが笑った。
「あなたが決めたことですもの」
「……そうなんだけどさ」
俺は手拭いを畳んだ。
「なあ、エイ」
「はい」
「俺がいない間、寂しくないか?」
「寂しいですよ」
……おお。
即答だ。
ちょっと嬉しい。
「でも、皆様があなたを待っておられますから」
「……うん」
「どうか、皆様と無事にお戻りくださいませ」
俺は手拭いを握った。
……そうだな。
俺だけじゃない。
門倉にも。
郡蔵にも。
宗平にも。
秀蔵にも、慶助にも。
帰りを待っている人がいる。
「……ああ」
俺は頷いた。
「全員で帰ってくるよ」
エイが微笑んだ。
「お待ちしております」
……うん。
いい話だ。
夫婦の絆。
仲間への思い。
俺もちょっとは成長したのかもしれない。
「ところで、エイ」
「はい?」
「今から出発が中止になる方法ってないかな?」
「ございません」
即答!!
「少しくらい考えてよ!」
「お身体を大切になさって、行ってらっしゃいませ」
「行きたくないんだけど!?」
「存じております」
何でみんな分かってるのに送り出すんだよ!
◇
夜。
俺は布団に入った。
明日は出発。
ついに第二次測量が始まる。
視界の端には、いつもの表示。
【第二次測量開始まで】
【残り一日】
……一日。
もう一日しかない。
俺は天井を見つめた。
第一次測量のとき。
何度も思った。
もう無理だ。
もう帰りたい。
もう歩けない。
でも。
最後には帰ってこられた。
仲間たちと一緒に。
今回も、そうなるといい。
いや。
そうしなきゃいけない。
……ただし!
できることなら!
一歩も歩きたくない!
「……もう歩けません」
小さく呟いた。
隣からエイの声がした。
「あなた。明日は早いのですから、お休みくださいませ」
「……はい」
目を閉じる。
明日。
俺はまた、歩き始める。
……誰か。
今からでもいい。
測量の代わりに行ってくれぇぇぇ!!




