第68話「俺の計画書が勝手に縮小されました」
高橋先生からお墨付きをもらった翌日。
俺は完成した計画書を前に、腕を組んでいた。
「……よし」
完璧だ。
天候への対策。
食料の確保。
測量器具の予備。
宿泊場所の検討。
そして何より。
俺の休養日!
「先生。何をそんなに嬉しそうにしておられるのですか?」
門倉が不思議そうに尋ねてきた。
「いや、これだけ準備したんだ。少しは楽になると思ってな」
「そうですね。前回よりも効率よく進められるかと」
「だろ?」
「その分、測量も進みます」
「……ん?」
待て。
今、何かおかしなことを言わなかったか?
「効率がよくなるってことは、早く終わるってことだよな?」
「測量できる範囲が広がるということです」
「早く終わらないの!?」
「先生。測るべき場所はまだまだございます」
知ってるよ!
知ってるけど!
効率化って普通、仕事を減らすためにやるもんじゃないの!?
◇
数日後。
俺たちは幕府の関係者を前に、計画の説明を行っていた。
隣には門倉。
少し後ろには平山郡蔵と宗平。
そして目の前には、堀田正敦様。
第一次測量の地図を高く評価してくれた人物だ。
ありがたい。
本当にありがたい。
ただし。
次の仕事まで持ってこなくてもよかったんじゃないでしょうか!
「伊能忠敬」
「はっ!」
「此度の計画、よく練られておると聞いている」
「恐れ入ります」
「蝦夷地の測量で得た経験が生かされているようだな」
「はっ!」
うん。
そこは間違いない。
雨で泣いた。
寒さで泣いた。
足が痛くて泣いた。
あの経験を無駄にしてたまるか!
「しかし、測量の範囲については改める必要がある」
「……は?」
思わず顔を上げた。
範囲を改める?
それって……。
「当初の構想は広すぎる。船の手配や物資の輸送にも難がある」
「なるほど!」
思わず声が弾んだ。
門倉がこちらを見た。
「先生?」
いや、待て。
これは!
もしかして!
「つまり、測量する場所が減るということでしょうか!?」
「うむ。まずは三浦、伊豆方面を測る」
「おおっ!」
減った!
減ったぞ!
俺の仕事が減った!
やったぁぁぁ!
幕府万歳!
堀田様万歳!
「その後、改めて本州東海岸を北上する」
「……はい?」
「房総から奥州へと測量を進めることになる」
…………。
ちょっと待って。
「三浦と伊豆を測って……」
「うむ」
「その後、房総から奥州へ……?」
「そうだ」
「……二回行くんですか?」
「そういうことになる」
二回!?
一回で済ませようよ!
何でわざわざ江戸に帰って、また出発するの!?
帰ってきたら終わりでいいじゃん!
「何か問題でもあるか?」
「い、いえ! 滅相もございません!」
危ない!
危うく幕府のお偉いさんに文句を言うところだった!
門倉が小声で囁く。
「先生。お顔に出ております」
「……何が?」
「非常に残念そうなお顔です」
「気のせいだ」
「そうですか」
絶対に信じてないだろ!
◇
計画についての話し合いは続いた。
船の手配。
荷物の輸送。
測量の順序。
必要な人員。
俺は黙って聞いているつもりだった。
本当だ。
余計なことは言わない。
そう決めていた。
ところが。
「伊能殿。三浦、伊豆の測量では、どのように進めるおつもりか?」
「はい。まず天候による遅れを考慮し、行程には余裕を持たせたいと考えております」
……あれ?
「また、測量器具の故障に備え、予備や修理道具も携行いたします」
……俺、何でこんなに普通に答えてるの?
「食料についても、途中での調達を前提としながら、不測の事態に備える必要がございます」
止まれ!
俺の口!
それ以上しゃべるな!
「なるほど。よく考えておる」
「恐れ入ります」
褒められた!
嬉しい!
いや、嬉しくない!
これ以上期待されたら困る!
隣で門倉が小さく頷いていた。
お前か!
お前たちと何日も計画を練ったせいか!
俺の頭に測量の知識が詰め込まれてるじゃないか!
「では、この方針で準備を進めよ」
「はっ!」
……決まった。
本当に決まってしまった。
俺の第二次測量。
正式始動。
誰か止めてくれ!
◇
屋敷を出た瞬間。
俺は大きく息を吐いた。
「……終わった」
「お疲れさまでございました」
門倉が頭を下げる。
「これで準備も本格的に進められますね」
「……そうだな」
「先生?」
「なあ、門倉」
「はい」
「三浦半島って、結構長いよな?」
「そうですね」
「伊豆半島も長いよな?」
「はい」
「房総半島もあるよな?」
「ございます」
「奥州って、遠いよな?」
「非常に遠いかと」
…………。
「俺、何で半島ばっかり歩くんだろうな」
「海岸線を測量するためです」
正論!
分かってる!
でも言わせてくれよ!
「もっとこう……真っすぐな海岸ってないの?」
「先生。海岸の形を変えることはできません」
「知ってるよ!」
できるなら変えてるわ!
日本列島を一直線にしてるわ!
……いや。
それはまずい。
俺の視界には、いつもの数字が浮かんでいる。
【タイムパラドックス率】
以前、自分の都合で史実を変えようとしたときにも上昇した数字だ。
海岸線を真っすぐにするなんて、できるはずもない。
仮にできたとしても……。
(絶対に数字が跳ね上がるだろ!)
やめよう。
余計なことは考えない。
俺はただ、無事に帰りたいだけなんだ。
◇
帰り道。
郡蔵が声をかけてきた。
「先生。今回の計画は、以前より随分と余裕がございますな」
「だろ?」
「天候が崩れても、立て直しが利きそうです」
「そうだろ?」
「皆も安心して測量に臨めましょう」
「……そうか」
宗平も頷いた。
「器具の予備も用意できます。前回のように慌てずに済みそうです」
「うん」
門倉がこちらを見た。
「先生のお考えが、形になりましたね」
……俺の考え。
いや。
最初は自分が休みたかっただけなんだけど。
でも、まあ。
あいつらが安心して歩けるなら。
それは、それでいいか。
「……全員、無事に帰ってこような」
三人が足を止めた。
「先生……」
門倉が少し驚いた顔をしている。
郡蔵と宗平も、静かに頷いた。
「もちろんでございます」
「そのための計画ですからな」
「皆で戻りましょう」
……うん。
何だろう。
ちょっといい雰囲気じゃないか。
俺たち、いい仲間になったよな。
「それで先生」
門倉が口を開いた。
「何だ?」
「明日から物資と器具の確認を始めます」
「……明日?」
「はい」
「明後日じゃ駄目?」
「準備に余裕を持たせるのでしょう?」
…………。
そうだった。
俺が書いたんだった。
「先生。どうされました?」
「……自分の計画書が憎い」
「またそのようなことを」
だってさ!
休むために作った計画書が!
俺を全然休ませてくれないんだよ!
◇
その夜。
俺は机に向かい、決定した測量の範囲を書き出していた。
三浦。
伊豆。
一度、江戸へ帰還。
そして房総。
奥州。
……長い。
どう見ても長い。
「あなた。お茶をお持ちしました」
エイが湯呑みを置いてくれた。
「ありがとう」
「次の測量が決まったのですね」
「……ああ」
「お忙しくなりますね」
「もう十分忙しいんだけどな」
エイが笑った。
「それでも、前より楽しそうに見えますよ」
「どこが!?」
思わず声が裏返った。
「俺は行きたくないんだぞ!?」
「はいはい」
「本当に行きたくないんだからな!」
「存じております」
絶対に分かってない!
……いや。
もしかしたら。
一番分かってるのは、エイなのかもしれない。
俺は湯呑みを手に取った。
温かい。
……帰ってこよう。
今度も。
必ず。
全員で。
そう思った、その瞬間。
視界の端に文字が浮かんだ。
【第二次測量開始まで】
【残り――日】
……減ってる。
当たり前だけど減ってる!
「……エイ」
「はい?」
「今から熱でも出ないかな、俺」
「お風邪ですか?」
「いや、出発を延期できるくらいの……」
「あなた」
「はい」
「お身体は大切になさってくださいませ」
「……はい」
駄目だ。
妻まで正論で攻めてくる。
俺の味方はどこにいるんだ!?
こうして。
第二次測量の計画は正式に動き出した。
そして俺は、ようやく気づいた。
計画書が認められるということは。
その計画を。
実行しなきゃいけないということだ。
……当たり前だろ!
何で今さら気づくんだよ、俺!
「……もう歩けません」
「あなた。まだお家にいらっしゃいますよ」
知ってるよぉぉぉ!!




