第66話「自分で地獄を設計する男」
帰宅した。
疲れた。
ものすごく疲れた。
まだ一歩も測量してないのに。
「……何でだよ」
俺は畳に座り込んだ。
目の前には。
紙。
筆。
墨。
そして。
第二次測量の計画書。
「…………」
見なかったことにしよう。
俺は紙を裏返した。
「よし」
解決。
……するわけない。
【第二次測量開始まで――あと68日】
「分かってるって!」
誰に怒ってるんだ、俺。
しかし。
困った。
測量計画を作れと言われた。
行程。
人員。
道具。
食料。
宿。
全部考えろと。
「……俺、何屋さんだっけ?」
測量家?
違う。
本当は四十歳の会社員だ。
しかも今は五十六歳。
何だ、この人生。
転職どころか転生に失敗してるじゃないか。
「……いや、転生なのか?」
死んでないし。
転移?
憑依?
もう何でもいい。
とにかく。
帰りたい。
できれば現代に。
無理なら布団に。
◇
俺は筆を持った。
まずは。
休み。
「……これだ」
最重要項目。
休養日。
絶対必要。
最低三日。
いや。
五日。
測量一日。
休み五日。
「…………」
最高じゃん。
俺は計画書を見つめた。
……待てよ。
これだと一向に終わらない。
「くそっ!」
自分で自分の計画に腹が立つ。
仕方ない。
現実的に考えよう。
俺は第一次測量を思い出した。
雨。
寒さ。
泥。
足の痛み。
眠気。
空腹。
そして。
ひたすら歩く。
歩く。
歩く。
「……地獄だったな」
何が一番つらかった?
全部だ。
選べない。
全部優勝。
「……よし」
まず、天候が悪い日は無理をしない。
雨の日は休む。
風が強い日も休む。
寒い日も休む。
暑い日も休む。
「…………」
あれ?
俺、いつ働くの?
危ない。
危ない。
このままだと測量計画じゃなくて休暇申請書になる。
俺は頭を抱えた。
◇
次。
食料。
これは大事だ。
腹が減ると歩けない。
いや。
腹が減ってなくても歩きたくないけど。
前回は食料の確保にも苦労した。
だから。
補給場所を事前に調べる。
携帯できる食料を用意する。
水も確保する。
「……完璧じゃん」
次。
荷物。
これも問題だ。
測量器具。
着替え。
食料。
その他いろいろ。
重い。
とにかく重い。
「……馬車とか使えないかな」
いや。
道によるか。
だったら人を増やす?
待て。
人が増えたら食料も増える。
荷物も増える。
「…………」
何これ。
詰んでない?
一つ解決すると、別の問題が増える。
現代の仕事と同じじゃん。
俺は筆を置いた。
「……誰か助けて」
◇
「あなた?」
声がした。
エイだった。
「何をなさっているのです?」
「自分の地獄を設計してる」
「……はい?」
「いや、何でもない」
エイが俺の前に茶を置いた。
湯気がゆっくり立ち上る。
「また測量に?」
「……うん」
「今度はどちらへ?」
「本州の東海岸だって」
「まあ」
エイが目を丸くした。
「また遠くまで」
「そうなんだよ!」
俺は身を乗り出した。
「おかしいと思わない?」
「何がです?」
「前回、蝦夷地まで行ったんだよ?」
「はい」
「ちゃんと測ったんだよ?」
「はい」
「地図まで作ったんだよ?」
「はい」
「それで褒められたんだよ?」
「それは良かったですね」
「そう! 良かった!」
俺は大きくうなずいた。
「だから終わりでいいじゃん!」
「…………」
エイが笑った。
「ふふふ」
「何で笑うの!?」
「あなたらしいと思いまして」
「俺らしいって何!?」
エイは笑ったまま、計画書を見る。
「でも、ずいぶん熱心に考えていらっしゃいますね」
「…………」
言われてみれば。
そうだ。
俺は行きたくない。
絶対に行きたくない。
なのに。
紙には、びっしり文字が並んでいる。
休養。
食料。
道具。
天候。
宿。
行程。
「……何でだろうな」
俺は頭をかいた。
「前回さ」
「はい」
「みんな、結構大変だったんだよ」
雨の中を歩いた。
寒さに震えた。
足を痛めた者もいた。
それでも。
誰も投げ出さなかった。
「だから今度は、もうちょっと楽にしたいんだ」
「あなたが、ですか?」
「そう!」
俺は胸を張った。
「俺が一番楽したい!」
「ふふ」
「でもさ」
俺は計画書を見る。
「みんなも楽な方がいいじゃん」
エイは、少しだけ目を細めた。
「そうですね」
「皆様にも、帰りを待つ方がいらっしゃるでしょうから」
「…………」
俺は筆を止めた。
帰りを待つ人。
そうか。
門倉にも。
ほかの仲間にも。
それぞれ帰る場所がある。
俺だけじゃない。
「……そうだな」
俺は紙に一行書き足した。
全員、無事に帰ること。
「…………」
何だか。
ちょっと格好いいことを書いてしまった。
俺は慌てて、その下にもう一行書いた。
先生の休養を十分に確保すること。
「……よし」
これでいい。
エイが計画書をのぞき込んだ。
「まあ」
「ん?」
「最後の一行は必要なのですか?」
「一番必要!」
「ふふふ」
また笑われた。
◇
夜。
俺は計画書を見つめていた。
まだ完成していない。
問題だらけだ。
道も分からない。
必要な人員も分からない。
測量器具の準備もある。
高橋先生や桑原さんにも相談しなきゃいけない。
そして。
門倉。
あいつにも見てもらおう。
「……あいつ、厳しいからな」
でも。
前回も何度も助けられた。
だったら。
最初から一緒に考えた方がいい。
「……よし」
明日は門倉を呼ぼう。
計画書を見せて。
問題点を洗い出して。
そして。
休養日を増やす。
「……完璧だ」
俺は満足して筆を置いた。
その瞬間。
【第二次測量開始まで――あと68日】
「…………」
ああ。
そうだった。
これだけ考えても。
出発日は変わらない。
「……せめて準備期間を延長してくれない?」
返事はない。
「一週間でもいいから」
返事はない。
「三日!」
返事はない。
「一日でいい!」
【第二次測量開始まで――あと68日】
「交渉の余地なし!?」
俺は畳に倒れ込んだ。
第二次測量。
行きたくない。
本当に行きたくない。
でも。
行くなら。
全員で帰ってくる。
絶対に。
そのためにも。
まずは。
「……明日、休もうかな」
計画書は、まだ完成しそうになかった。




