第4話「伊能忠敬、頭バグってない?」
「今……何年何月?」
俺の質問に。
門倉隼太は黙った。
「…………」
ものすごい顔をしている。
分かる。
分かるよ。
自分たちを率いる先生が突然、
自分の名前を忘れ。
目的地を忘れ。
挙げ句の果てに。
今が何年何月なのかまで分からなくなった。
そりゃ心配にもなる。
でも。
俺だって好きでこうなったんじゃない。
「門倉」
「……はい」
「教えて」
「本当にお分かりにならないのですか?」
「確認」
「また確認ですか」
「そう。確認」
便利だな。
確認。
これからも使おう。
門倉は大きくため息をついた。
「寛政十二年です」
「…………」
分からん。
「先生?」
「いや」
寛政。
聞いたことはある。
江戸時代の元号だ。
たぶん。
でも。
寛政十二年と言われて、西暦何年なのか即答できる日本人がどれだけいる?
少なくとも。
俺は無理だ。
「何月?」
「閏四月です」
「…………」
さらに分からなくなった。
「うるう?」
「はい」
「四月?」
「はい」
「今日が?」
「閏四月十九日ですが」
「…………」
待て。
旧暦だ。
たぶん。
現代の四月十九日とは違う。
じゃあ。
今の感覚だと何月なんだ?
その瞬間。
まるで俺の疑問に答えるように。
目の前にウインドウが現れた。
【史実情報】
寛政十二年閏四月十九日
西暦換算:一八〇〇年六月十一日
第一次測量開始日
「…………」
六月。
「六月!?」
「先生!?」
思わず叫んだ。
「六月なの!?」
「何のお話です?」
「いや、こっちの話!」
一八〇〇年。
六月十一日。
俺はその数字を頭の中で繰り返す。
そして。
さっき門倉から聞いたことを整理する。
現在。
六月。
ここから。
蝦夷地へ行く。
歩いて。
「門倉」
「はい」
「もう一回確認」
「……何でしょう」
「蝦夷地まで行くんだよな?」
「はい」
「基本、歩いて」
「はい」
「向こうに着いたら」
「測量いたします」
「それで」
俺は嫌な予感を抱きながら聞く。
「寒くなる前に終わらせる?」
「そのために急いでいるのですが」
「…………」
俺は立ち止まった。
【タイムパラドックス発生リスク:0.001%】
今は知らん。
考えさせろ。
六月。
江戸。
蝦夷地。
徒歩。
到着。
測量。
終了。
寒くなる前。
「…………」
無理じゃね?
いや。
無理だろ。
だって。
北海道だぞ?
今は蝦夷地だけど。
「なあ」
「はい」
「普通さ」
「はい」
「もう少し早く出ない?」
門倉の眉が動いた。
「先生がこの日程をお決めになったのですが」
「…………」
また俺か。
「じゃあさ」
「はい」
「最初はもっと近いところ測らない?」
「何故です?」
「練習になるじゃん」
「練習?」
「そう」
俺は周囲を指差す。
「この辺とか」
「…………」
「ほら。近いし」
「先生」
「はい」
「蝦夷地を測るために幕府へ願い出たのではありませんか」
「…………」
俺。
何してんの?
知らないところで。
ものすごく話を進めてるじゃん。
「じゃあ馬」
「はい?」
「全部馬で行こう」
「無理でしょうな」
「なんで?」
「測量がございますので」
「じゃあ船!」
「どこからどこまでです?」
「行けるところ全部!」
「先生」
門倉が俺を見る。
「歩いて測るのでしょう?」
「…………」
その一言が。
重い。
俺は伊能忠敬。
日本地図を作った人。
日本中を歩いた人。
俺でも知っている。
つまり。
逃げ道はない。
「…………」
もう一度。
ウインドウを見る。
【第一次測量】
開始日:本日
目的地:蝦夷地
史実との差:0日
【タイムパラドックス発生リスク】
0.001%
俺は歩き出した。
【0.000%】
下がった。
「はいはい」
歩くよ。
歩けばいいんだろ。
「先生?」
「なんでもない」
一歩。
また一歩。
でも。
納得はしていない。
一八〇〇年六月十一日。
五十五歳。
江戸から。
徒歩で蝦夷地へ。
そこで測量。
寒くなる前に終わらせる。
「…………」
俺は隣を歩く門倉を見る。
「なあ」
「はい」
「伊能忠敬ってさ」
「はい」
「頭バグってない?」
「…………」
門倉が足を止めた。
「先生」
「何?」
「伊能忠敬は先生ですが」
「知ってるよ!」
「では何故ご自身のことを?」
「俺が一番知りたいよ!」
周囲の人たちがこちらを見る。
もういい。
どう思われてもいい。
だっておかしいだろ。
五十五歳だぞ?
現代なら。
会社によっては定年まであと少し。
俺は四十歳の時点で、休日にフィギュア買いに行くのを楽しみに生きていた。
それがこの人。
五十五歳。
「よし! 蝦夷地測ろう!」
じゃないんだよ!
「歴史に名前残す人って……」
「先生?」
「頭のネジ、何本か外れてるんじゃない?」
「ご自身のお話でしょうか?」
「だからそれ言うな!」
俺の叫び声が道に響く。
門倉は深いため息をついた。
俺もため息をついた。
そして。
また歩く。
このときの俺は。
まだ何も知らなかった。
蝦夷地へ向かうだけでも。
俺が想像していたより――
遥かに面倒くさいということを。
そして。
ようやく蝦夷地へ辿り着いた先で。
さらに重大な問題が待っていることも。
俺はまだ知らない。
何しろ。
今の俺は。
伊能忠敬について。
「歩いて日本地図を作った人」
それしか知らないのだから。




