第3話「最初の目的地、蝦夷地」
歩いている。
俺は歩いている。
さっきまで。
絶対に行かない。
そう言っていたのに。
今は歩いている。
理由は簡単だ。
【史実との差:0日】
【タイムパラドックス発生リスク:0.000%】
止まると数字が上がるからだ。
「……卑怯だろ」
誰に言うでもなく呟く。
「何がです?」
隣を歩く門倉隼太が聞いてきた。
「なんでもない」
こいつには見えていない。
俺にだけ見える。
謎のウインドウ。
史実から外れると数字が上がる。
史実通りに進むと下がる。
どういう仕組みなのか。
誰が出しているのか。
そもそも、何故俺が伊能忠敬になったのか。
何一つ分からない。
分かっていることは。
歩け。
ということだけ。
「はぁ……」
ため息が出る。
「先生」
「何?」
「先ほどからため息ばかりですな」
「そりゃ出るよ」
俺は四十歳の会社員だった。
休日。
アニメイトへ行く途中だった。
それが小石につまずいて。
立ち上がったら。
五十五歳。
伊能忠敬。
その日のうちに。
日本地図を作る旅へ強制出発。
ため息くらい許してほしい。
というか。
「なあ、門倉」
「はい」
「一個聞いていい?」
「何でしょう」
俺は歩きながら周囲を見る。
前にも人。
後ろにも人。
荷物。
見たことのない道具。
どう考えても。
ちょっと隣町まで。
という雰囲気じゃない。
そこで。
今さら。
本当に今さら。
重大なことに気づいた。
「俺たちさ」
「はい」
「どこ行くの?」
門倉の足が止まった。
「…………」
俺も止まる。
【タイムパラドックス発生リスク:0.001%】
「はいはい!」
すぐ歩く。
門倉も歩き出す。
「先生」
「何?」
「今、何と?」
「どこに行くのって聞いた」
「…………」
まただ。
この顔。
第何回目だろう。
『先生、本当に大丈夫ですか?』
の顔。
「いや、確認だから」
「確認?」
「そう。確認」
「何の確認です?」
「……行き先の」
「ですから、それを何故確認する必要が?」
「いいから!」
俺だって苦しいんだよ!
こっちは伊能忠敬の知識なんて、
日本中を歩いた。
日本地図を作った。
以上!
なんだから!
「で?」
「…………」
「どこ?」
門倉はしばらく俺を見ていた。
やがて。
諦めたように答えた。
「蝦夷地です」
「…………」
えぞち。
聞いたことはある。
さすがに知っている。
昔の北海道の呼び方。
つまり。
「…………北海道?」
「ほっかいどう?」
「あ、いや」
まだ北海道じゃないのか。
そんなことはどうでもいい。
問題はそこじゃない。
「蝦夷地って」
「はい」
「北の?」
「北の、とは?」
「めちゃくちゃ北の」
「まあ……そうですが」
「海の向こうの?」
「はい」
「寒いところの?」
「はい」
「そこ?」
「はい」
「…………」
俺は前を見る。
道が続いている。
ずっと。
ずっと。
ずっと。
「ここから?」
「はい」
「歩いて?」
「はい」
「蝦夷地まで?」
「はい」
「…………」
待て。
俺は地理が得意じゃない。
でも分かる。
遠い。
ものすごく遠い。
「ちなみに」
「はい」
「途中で電車とか」
「でんしゃ?」
「ないよね」
「何のお話でしょう?」
「馬は?」
「必要に応じて使うこともありましょうが」
「基本は?」
「歩きます」
「…………」
ですよね。
伊能忠敬だもんね。
俺は知ってる。
歩いた人。
それだけは知ってる。
「嘘だろ……」
まだ出発したばかりだ。
なのに。
急に足が重くなった。
「先生?」
「門倉」
「はい」
「目的地変更しない?」
「何故です?」
「もっと近いところにしよう」
「…………」
「ほら」
俺は適当に指を差す。
「あの辺とか」
「何を測るのです?」
「知らないけど!」
「蝦夷地を測るために出立したのですが」
「そこをなんとか!」
「なりません」
「じゃあ中間地点まで!」
「何の意味があるのです?」
「俺の心が折れずに済む!」
門倉がため息をついた。
「先生」
「はい」
「ご自身で決められたことではありませんか」
また出た。
最強の一言。
――お前が決めた。
何を言っても。
最後はこれ。
「昔の俺、何考えてたんだよ……」
「昔?」
「こっちの話」
歩く。
仕方ない。
歩くしかない。
でも。
一つ気になる。
「なあ」
「今度は何でしょう?」
「蝦夷地って寒いよな?」
「寒いでしょうな」
「めちゃくちゃ?」
「冬ともなれば」
俺は想像する。
雪。
吹雪。
極寒。
そして。
草鞋。
「…………」
足元を見る。
これで?
北海道?
「待って」
「はい」
「俺、凍死しない?」
門倉は少し考えた。
そして。
何を当たり前のことを聞いているんだ。
そんな顔で答えた。
「ですから」
「うん」
「寒くなる前に終わらせるのです」
「…………」
俺の足が止まった。
【タイムパラドックス発生リスク:0.001%】
今はそれどころじゃない。
「え?」
「何でしょう?」
「寒くなる前に?」
「はい」
「蝦夷地まで行って?」
「はい」
「測量して?」
「はい」
「終わらせる?」
「その予定ですが」
「…………」
俺は空を見上げた。
待て。
そもそも。
今って。
「門倉」
「はい」
俺は恐る恐る聞いた。
「今……何年何月?」
門倉の顔から表情が消えた。
「…………」
怖い。
でも。
俺はもっと怖い。
この質問の答えが。
ものすごく怖い。
――次回。
俺はようやく。
伊能忠敬がどれだけ頭のおかしい計画を立てたのか。
その一端を知ることになる。




