第2話「俺は歩きたくない」
「行かない」
俺は言った。
「はい?」
門倉隼太が首を傾げる。
「だから、行かない」
「……何をでしょう?」
「測量」
「…………」
門倉が黙った。
その後ろでは、何人もの男たちが出発の準備をしている。
荷物。
草鞋。
見たことのない道具。
どう見ても長旅の装備だ。
嫌だ。
絶対嫌だ。
だって俺は知っている。
伊能忠敬。
日本中を歩いて地図を作った人。
詳しくは知らない。
いつの時代の人なのか。
何年かかったのか。
どこから始めたのか。
そもそも、どうやって測量したのか。
何も知らない。
だが。
一つだけ知っている。
めちゃくちゃ歩く。
それだけは間違いない。
「無理無理無理!」
「先生?」
「日本中歩くんだろ!?」
門倉の眉間に皺が寄る。
「先生がそうするとおっしゃったのでは?」
「俺が!?」
「はい」
「いつ!?」
「これまでずっと」
「…………」
知らん。
そんな俺は知らん。
俺はついさっきまで、アニメイトに向かって歩いていたんだぞ。
歩くといっても駅から店まで。
日本中じゃない。
「とにかく!」
俺は腕を組んだ。
「俺は行かない!」
「何故です?」
「歩きたくないから!」
「…………」
門倉が俺を見る。
ものすごい目で見る。
やめろ。
分かってる。
俺だって分かってる。
何年も準備したであろう本人が。
出発当日になって突然、
――歩きたくない。
普通に考えればヤバい。
だが。
俺には関係ない。
準備したのは俺じゃない。
俺は澤田浩哉。
四十歳。
会社員。
趣味はアニメとラノベ。
休日は家でのんびり過ごしたい。
日本地図を作りたいと思ったことなんて、一度もない。
「というわけで」
俺は手を叩いた。
「解散!」
誰も動かない。
「…………」
もう一度。
パンパン。
「はい! 今日は解散!」
誰も動かない。
なんで?
俺、先生なんだよな?
「先生」
「はい」
「何をなされているのです?」
「解散させてる」
「何故です?」
「行かないから」
「行きます」
「行かない」
「行きます」
「行かない!」
「行きます」
「嫌だ!」
「行きます」
強い。
門倉。
強い。
全然折れない。
「じゃあ明日!」
「なりません」
「なんで!?」
「本日出立すると決めております」
「誰が!?」
「先生が」
「…………」
また俺か。
全部俺。
正確には俺じゃないのに、全部俺のせいになっている。
理不尽すぎる。
そのとき。
目の前に例の文字が浮かんだ。
【第一次測量】
開始予定:本日
史実との差:0日
【タイムパラドックス発生リスク】
0.000%
「…………」
そういえば。
これもあった。
タイムパラドックス。
意味は分かる。
歴史が変わるとか、そういうやつだ。
でも。
〇・〇〇〇%。
ゼロ。
「ほら」
俺は誰にも見えないウインドウを眺める。
「まだ大丈夫じゃん」
一日くらい休んでも。
別に何も――
【史実との差:+0.001日】
「…………」
変わった。
今。
変わったよな?
【タイムパラドックス発生リスク】
0.001%
「え?」
上がった。
【0.002%】
「ちょっと待て」
【0.003%】
「待て待て待て!」
門倉が怪訝そうな顔をする。
「先生?」
「今忙しい!」
【0.004%】
「なんで上がってんの!?」
「何がです?」
「こっちの話!」
まずい。
よく分からない。
何が起こるのかも分からない。
でも。
タイムパラドックス。
その数字が上がっている。
これは絶対よくない。
「分かった!」
俺は叫んだ。
【0.005%】
「分かったから!」
数字が止まった。
「…………」
本当に?
試しに一歩。
旅支度をした人たちの方へ進む。
【0.004%】
下がった。
「マジかよ……」
もう一歩。
【0.003%】
「歩けってこと?」
もう一歩。
【0.002%】
どうやら。
そういうことらしい。
俺が史実通りに動けば数字は下がる。
逆らえば上がる。
「…………」
嫌なシステムだ。
ものすごく嫌なシステムだ。
俺は仕方なく歩き出す。
「先生」
門倉が笑った。
「ようやく行く気になられましたか」
「なってない」
「では参りましょう」
「嫌だ」
俺は止まった。
【0.003%】
「うわっ!」
歩く。
【0.002%】
止まる。
【0.003%】
歩く。
【0.002%】
「俺で遊んでるだろ、これ!」
「先ほどから何をなされているのです?」
「俺にも分からん!」
くそ。
行くしかないのか。
俺は大きく息を吐いた。
「……分かったよ」
そして。
前を見る。
これからどれだけ歩くのか。
どこへ向かうのか。
何日かかるのか。
何一つ知らない。
それでも。
とりあえず一歩を踏み出した。
その瞬間。
門倉が俺の横に並んだ。
「では先生。急ぎましょう」
「急ぐ?」
「はい」
嫌な言葉が聞こえた。
「ちょっと待って」
「何でしょう?」
「俺、ゆっくり行きたいんだけど」
「なりません」
「なんで?」
「予定がございますので」
「じゃあ休憩多めで」
「なりません」
「昼寝は?」
「いたしません」
「途中で帰るのは?」
「論外です」
「…………」
俺は止まった。
「やっぱり行かない」
踵を返す。
その瞬間。
ガシッ。
「え?」
門倉に襟首を掴まれた。
「先生」
「はい」
「参りますよ」
「いや、ちょっと――」
ズルッ。
「待て!」
そのまま引っ張られる。
「自分で歩く! 自分で歩くから!」
「先ほど逃げようとなされたではありませんか」
「逃げない!」
「信用できません」
「俺、先生だよね!?」
「本日は手が掛かりすぎます!」
ズルズル。
「痛い痛い痛い!」
周囲の人たちが見ている。
歴史に残る男。
伊能忠敬。
日本地図を作った偉人。
その記念すべき第一次測量。
最初の一歩は――
部下に首根っこを掴まれ。
半分引きずられながら始まった。
【第一次測量】
開始。
【史実との差:0日】
「こんなの絶対、史実と違うだろぉぉぉ!!」




