第18話 「昨日寒かったよね?」
朝。
目が覚めた。
「…………」
俺は。
布団の中で。
しばらく動かなかった。
昨日。
寒かった。
七月なのに。
寒かった。
袷を着た。
何度も確認した。
今は七月。
夏。
間違いない。
それでも。
寒かった。
だから。
今日は。
覚悟している。
「よし」
俺は。
身体を起こした。
「寒さ対策」
昨日。
学んだ。
蝦夷地を。
舐めてはいけない。
北海道の夏だから。
涼しい。
そんな。
現代人の。
適当な知識は。
もう捨てる。
寒いなら。
着る。
無理をしない。
体調を崩したら。
測量どころじゃない。
「俺も成長したな」
ちょっと。
得意になる。
その時。
「先生」
門倉隼太が来た。
「おはよう」
「おはようございます」
俺は。
袷を見る。
「今日もこれいるよな?」
「…………」
門倉が。
外を見る。
「本日は」
「うん」
「暑くなるやもしれません」
「…………」
俺は。
止まった。
「何?」
「暑くなるかと」
「…………」
聞き間違い?
俺は。
耳を触る。
「もう一回」
「本日は暑くなるかと」
「…………」
俺は。
昨日着た袷を見る。
そして。
門倉を見る。
「昨日寒かったよね?」
「寒かったですな」
「袷着たよね?」
「はい」
「今日暑いの?」
「そのようです」
「…………」
俺は。
頭を抱えた。
「意味分かんない!」
◇
外へ出る。
「…………」
暖かい。
いや。
待て。
昨日とは。
明らかに違う。
「…………」
俺は。
空を見る。
太陽。
元気。
風。
昨日ほど冷たくない。
「門倉」
「はい」
「昨日寒かったよね?」
「先ほども聞かれました」
「確認したいんだよ!」
一日。
たった一日。
昨日。
寒い。
今日。
暖かい。
「まあ」
俺は。
まだ余裕だった。
「暖かいくらいならいいよ」
寒いより。
いい。
歩きやすい。
身体も。
動く。
今日は。
快適かもしれない。
「よし!」
俺は。
測量器具を持つ。
「行こう!」
門倉が。
少しだけ。
笑った。
「はい」
◇
いつものウインドウ。
【第一次測量】
現在地:礼文華方面
本日の予定:海岸線測量
史実との差:0日
タイムパラドックス発生リスク:0.014%
「よし」
史実との差。
ゼロ。
昨日。
取り戻した。
今日も。
無茶せず。
進む。
「始めよう」
歩く。
測る。
記録する。
また。
歩く。
「…………」
順調。
歩く。
測る。
「…………」
順調。
記録。
また。
歩く。
「…………」
暑い。
俺は。
額の汗を拭った。
「…………」
いや。
待て。
まだ。
朝だぞ?
歩く。
測る。
記録。
「暑っ……」
門倉を見る。
普通に。
歩いている。
「門倉」
「はい」
「暑くない?」
「暑いですな」
「…………」
昨日。
同じ会話した。
昨日は。
寒いですな。
だった。
「昨日寒かったよね?」
「三度目です」
「何回でも聞くわ!」
◇
昼。
暑い。
完全に。
暑い。
俺は。
着ているものを見る。
「無理」
もう。
無理。
「門倉」
「はい」
「脱いでいい?」
「単衣になされては」
「する!」
即答。
昨日。
寒くて。
袷。
今日。
暑くて。
単衣。
俺は。
着替えながら。
思う。
「季節って一日で変わるものだっけ?」
「先生?」
「なんでもない」
単衣になる。
「…………」
涼しい。
生き返る。
「これだよ……」
俺は。
大きく息を吐く。
「夏ってこれだよ」
昨日の。
あの寒さ。
何だったんだ。
「先生」
門倉が言う。
「参りましょう」
「ちょっと待って」
「はい」
「今」
俺は。
真顔で聞いた。
「何月?」
「七月です」
「よし」
「何がでしょう?」
「もう何も信じられなくなってきた」
◇
測量を続ける。
海岸線。
歩く。
測る。
記録。
また。
歩く。
汗。
流れる。
「…………」
暑い。
でも。
昨日とは。
違う。
寒さで。
身体が固まる感じはない。
「どっちがいいんだろ……」
暑い。
寒い。
どっちも。
嫌。
現代なら。
エアコン。
設定温度。
二十五度。
二十六度。
好きにできる。
ここでは。
空が。
全部決める。
「自然の設定温度、極端すぎるだろ」
「先生?」
「こっちの話」
◇
しばらく進む。
俺は。
海を見る。
綺麗。
本当に。
綺麗。
青い海。
空。
海岸。
現代みたいに。
建物が。
並んでいるわけでもない。
道路も。
電柱も。
ない。
「…………」
すごいな。
俺は。
足を止めた。
「先生?」
門倉が。
こちらを見る。
「ちょっとだけ」
俺は。
景色を見る。
「見てもいい?」
「何をでしょう?」
「景色」
門倉も。
海を見る。
「もちろんです」
俺は。
少しだけ。
眺めた。
昨日。
寒い。
一昨日。
川。
その前。
雨。
さらに前。
夜十一時半まで天測。
大変なことばかり。
でも。
こういう景色も。
ある。
「…………」
俺。
現代にいたら。
ここ。
絶対。
知らなかったんだろうな。
伊能忠敬にならなかったら。
この時代の。
この場所の。
この景色。
絶対。
見られなかった。
「先生」
「ん?」
「参りますか?」
「うん」
俺は。
歩き出す。
少しだけ。
楽しかった。
◇
午後。
測量を続ける。
「先生」
宗平が。
記録を確認している。
「はい?」
「昨日の記録ですが」
「何?」
見せてもらう。
測量。
距離。
方角。
天候。
「…………」
俺は。
気づいた。
「天気も残すの?」
「もちろんです」
「…………」
昨日。
寒かった。
今日。
暑い。
俺にとっては。
ただ。
文句を言う理由。
でも。
彼らにとっては。
違う。
その日の。
天候。
状況。
どんな環境で。
測ったのか。
それも。
記録。
「…………」
俺は。
紙を見る。
ふと思った。
二百年以上。
未来。
俺は。
伊能忠敬について。
知っていた。
日本地図を作った人。
それだけ。
でも。
今。
ここにいる。
そして。
昨日。
寒かったことまで。
知っている。
「…………」
これ」
「先生?」
「こういうのも未来に残るのかな」
宗平が。
首を傾げる。
「未来?」
「あ」
また。
言った。
「いや」
俺は。
記録を見る。
「ずっと先まで」
「残すために記しております」
「…………」
そうか。
俺は。
少し。
笑った。
地図だけじゃない。
歩いたこと。
測ったこと。
寒かったこと。
暑かったこと。
全部。
記録になる。
そして。
誰かが。
読む。
もしかしたら。
二百年後も。
「…………」
すごいな。
俺は。
記録を返した。
「ちゃんと書こう」
「はい」
「今日」
俺は。
汗を拭う。
「めちゃくちゃ暑かったって」
宗平が。
少し笑った。
「承知しました」
◇
夕方。
今日の測量を終える。
ウインドウ。
【第一次測量】
本日の測量:完了
史実との差:0日
タイムパラドックス発生リスク:0.014%
「よし」
順調。
俺は。
大きく伸びをする。
疲れた。
暑かった。
でも。
悪くない一日だった。
「先生」
門倉が来る。
「何?」
「明日の予定ですが」
「うん」
俺は。
少し余裕を持って聞く。
雨?
川?
寒い?
暑い?
もう。
多少のことなら。
驚かない。
「虻田方面へ向かいます」
「虻田?」
知らない。
「何があるの?」
「参れば分かります」
「…………」
また。
それ。
でも。
今日は。
少し笑えた。
「分かった」
行けば。
分かる。
この旅を始めた頃。
その言葉が。
大嫌いだった。
今は。
少しだけ。
嫌いじゃない。
知らない場所へ。
行く。
そこで。
何かを見る。
何かを知る。
そして。
記録する。
「行ってみるか」
俺は。
そう言った。
門倉が。
少しだけ。
驚いた顔をする。
「何?」
「いえ」
「なんだよ」
「先生が、そのように申されるようになるとは」
「…………」
俺も。
そう思う。
最初は。
歩きたくなかった。
今だって。
できれば。
歩きたくない。
でも。
その先に。
何があるのか。
少し。
見たい。
そう思う。
「じゃあ」
俺は。
今日の記録を見る。
「明日も行こう」
「はい」
そして。
俺は。
もう一度。
今日の格好を見る。
単衣。
昨日は。
袷。
「…………」
最後に。
一つだけ。
確認した。
「門倉」
「はい」
「明日は暑い?」
「分かりませぬ」
「だよね!」
もう。
驚かない。
たぶん。
明日は。
明日の蝦夷地が。
勝手に決める。
ただ。
一つだけ。
俺は。
まだ知らない。
次の土地で。
俺が。
一枚の地図を見ることになる。
その地図が。
俺の中にあった。
伊能忠敬という人間のイメージを。
また一つ。
壊すことを。




