第17話「七月だよね?」
朝。
目が覚めた。
「…………」
寒い。
俺は。
布団の中で。
目を開けた。
「…………」
寒い。
もう一度。
確認する。
寒い。
気のせいじゃない。
「…………」
待て。
俺は。
布団の中で。
昨日までの記憶を辿った。
暑い。
汗をかく。
風が吹く。
寒い。
雨が降る。
川が増える。
死にかける。
そして。
今日。
寒い。
「…………」
俺は。
ゆっくり身体を起こした。
「今、何月だっけ?」
誰もいない。
当然。
返事はない。
でも。
俺は知っている。
七月。
夏。
の。
はず。
「…………」
おかしい。
◇
「先生」
門倉隼太が来た。
「門倉」
「はい」
「ちょっと確認したい」
「何でしょう」
俺は。
真顔で聞いた。
「今、七月だよね?」
「はい」
「夏だよね?」
「左様です」
「ここ蝦夷地だよね?」
「はい」
「寒いよね?」
「冷えますな」
「…………」
俺は。
頭を抱えた。
「なんで!?」
門倉が。
不思議そうに俺を見る。
「何故、と申されましても」
「七月だぞ!?」
「はい」
「夏だぞ!?」
「はい」
「寒いのおかしいだろ!」
門倉が。
外を見る。
「蝦夷地ですので」
出た。
最強の回答。
蝦夷地ですので。
「それで全部説明するな!」
◇
外へ出る。
「寒っ!」
本当に。
寒い。
昨日。
川を渡った時も。
水は冷たかった。
でも。
今日は。
空気そのものが。
冷たい。
俺は。
自分の格好を見る。
そして。
周りを見る。
「…………」
門倉たちも。
いつもより。
着込んでいる。
「門倉」
「はい」
「それ何?」
「袷ですが」
「着るの?」
「はい」
「今日?」
「はい」
「七月に?」
「先生」
門倉が。
少し困った顔をする。
「寒いので」
「…………」
正論。
何も。
言い返せない。
寒いなら。
着る。
当たり前。
でも。
俺の頭が。
納得していない。
七月。
夏。
袷。
「季節感どうなってんだよ……」
◇
いつもの。
ウインドウ。
【第一次測量】
現在地:長万部周辺
本日の予定:海岸線測量
史実との差:+0.002日
タイムパラドックス発生リスク:0.014%
「…………」
昨日の遅れ。
まだ。
残っている。
でも。
焦らない。
昨日。
決めた。
命より。
予定を優先しない。
遅れたなら。
取り戻せるところで。
取り戻す。
「よし」
俺は。
周囲を見る。
「みんな」
視線が集まる。
「寒かったらちゃんと着てくれ」
門倉が。
俺を見る。
「先生?」
「無理して体調崩したら意味ないから」
少し。
静かになる。
「測量はする」
俺は言う。
「でも、無茶はしない」
「承知しました」
門倉が。
頭を下げた。
宗平たちも。
頷く。
「…………」
なんか。
ちょっと。
恥ずかしい。
少し前まで。
俺。
この人たちに。
引きずられてたのに。
今。
指示してる。
「先生」
「何?」
「参りましょう」
「うん」
歩き出す。
◇
歩く。
測る。
記録する。
また。
歩く。
「寒い」
歩く。
「寒い」
測る。
「寒い」
記録。
「…………」
俺は。
空を見る。
太陽。
ある。
夏。
のはず。
「七月だよね?」
宗平が。
こちらを見る。
「先生?」
「いや。確認」
「先ほども門倉殿に聞いておられましたが」
「何回でも確認したくなるんだよ!」
だって。
寒い。
◇
海沿いを進む。
風。
吹く。
「寒っ!」
俺は。
身体を縮める。
門倉は。
普通に歩いている。
「門倉」
「はい」
「寒くない?」
「寒いですな」
「…………」
俺は。
止まった。
「寒いの?」
「はい」
「我慢してる?」
「我慢というほどでは」
「…………」
そうか。
こいつも。
寒いんだ。
俺は。
ちょっと安心した。
「よかった」
「何がです?」
「人間だった」
「…………」
門倉が。
怪訝な顔をする。
「何のお話でしょう?」
「こっちの話」
夜十一時半まで。
天測。
翌朝。
普通に起きる。
増水した川。
普通に進もうとする。
俺は。
ずっと。
疑っていた。
「サイボーグじゃなかったんだな」
「さいぼうぐ?」
「忘れて」
でも。
その時。
門倉が言った。
「では参りましょう」
「もうちょっと寒がれよ!」
やっぱり。
疑惑は。
残った。
◇
昼。
休憩。
俺は。
食事を口にする。
温かい。
「…………」
うまい。
豪華じゃない。
現代みたいに。
何でもあるわけじゃない。
でも。
寒い中で食べる。
温かいもの。
それだけで。
めちゃくちゃ。
うまい。
「生き返る……」
「先生」
「ん?」
「随分と嬉しそうですな」
「温かいから」
それだけ。
本当に。
それだけ。
でも。
身体の中から。
温まる。
「…………」
俺は。
みんなを見る。
食べている。
疲れている。
寒い。
それでも。
誰も。
文句を言わない。
「…………」
すごいな。
俺は。
文句。
めちゃくちゃ言ってるけど。
「先生」
「何?」
「午後も進みます」
「分かってる」
俺は。
残りを食べる。
「行こう」
◇
午後。
少し。
天候が変わった。
「…………」
俺は。
空を見る。
さっきより。
ほんの少し。
暖かい。
「おお」
嬉しい。
太陽。
偉大。
「暖かい!」
思わず。
声が出た。
「先生?」
「いや」
俺は。
笑った。
「太陽ってすごいなって」
門倉が。
首を傾げる。
現代にいた時。
そんなこと。
考えたこともなかった。
暑ければ。
エアコン。
寒ければ。
暖房。
雨なら。
傘。
車。
建物。
天気は。
面倒ではあっても。
命に関わるものだなんて。
ほとんど。
思わなかった。
でも。
ここでは。
違う。
晴れる。
雨が降る。
風が吹く。
寒くなる。
川が増える。
全部。
旅に影響する。
全部。
測量に影響する。
「…………」
日本の形を測るって。
日本そのものと。
付き合うことなのかもしれない。
そんなことを。
少し。
思った。
◇
測量を続ける。
歩く。
測る。
記録。
また歩く。
その時。
ウインドウ。
【史実との差:+0.001日】
「…………」
俺は。
立ち止まった。
減った。
昨日。
+0.002日。
今。
+0.001日。
無茶していない。
走ってもいない。
ただ。
慣れてきた。
測量の手順。
歩き方。
記録。
少しずつ。
速くなっている。
「…………」
取り戻せる。
ちゃんと。
「先生?」
門倉が。
振り返る。
俺は。
笑った。
「なんでもない」
昨日。
川の前で。
無理をしなかった。
それでも。
遅れは。
取り戻せる。
だったら。
あの判断は。
間違ってなかった。
「よし」
俺は。
前を見る。
「続けよう」
◇
夕方。
今日の測量を終える。
【史実との差:0日】
「…………」
戻った。
俺は。
少しだけ。
拳を握った。
「よし」
誰も。
怪我していない。
誰も。
体調を崩していない。
そして。
予定にも。
戻った。
完璧。
「先生」
門倉が。
声を掛ける。
「何?」
「明日の支度を」
「はいはい」
俺は。
少し余裕を持って。
答える。
今日。
分かった。
焦らなくても。
ちゃんと。
前へ進める。
俺たちは。
少しずつ。
測量隊として。
うまくなっている。
「…………」
悪くない。
その時。
門倉が。
空を見た。
「明日は少し暖かくなりそうですな」
俺は。
振り返った。
「本当?」
「おそらく」
「よかった!」
心から。
思った。
夏だ。
やっと。
夏らしくなる。
「先生」
「何?」
「暑くなるやもしれません」
「…………」
俺は。
止まった。
昨日。
雨。
川。
今日。
寒い。
明日。
暑い?
「門倉」
「はい」
「もう一回だけ聞いていい?」
「何でしょう」
「今」
俺は。
真顔で聞いた。
「七月だよね?」
「はい」
「…………」
俺は。
空を見上げた。
蝦夷地。
意味が分からない。
でも。
一つだけ。
分かった。
この土地で。
予定通りに進む。
それだけでも。
とんでもなく。
難しい。
そして。
明日。
俺はまだ知らない。
本当に。
暑くなることを。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
伊能忠敬、マジで超人です。
作者自身、この作品を書くまでは、
「日本中を歩いて測量して、地図を作った人」
正直、そのくらいしか知りませんでした。
でも、この作品を書くために史実を調べれば調べるほど思います。
測量隊、めちゃくちゃです。
そして――
伊能忠敬は、もっとめちゃくちゃです。
朝から歩いて測量する。
夜になったら星を測る。
夜遅くまで天測する。
道具が壊れたら自分たちで直す。
雨が降る。
川が増水する。
七月なのに寒い。
それでも測る。
正直、どこかのネジが外れてます。
しかも困ったことに、作者が「これ面白いな」と思って調べたことのかなりの部分が、本当に史実として残っています。
なので浩哉にはこれからも、現代人代表として全力でツッコんでもらいます。
「いや、無理だろ!」
「いつ寝るんだよ!」
「七月だよね!?」
そんな作者自身の驚きも込めながら、浩哉は伊能忠敬として一生懸命、日本地図完成を目指して歩きます。
まだまだ旅は始まったばかりです。
これから浩哉がどんな史実に振り回されるのか。
そして、「もう歩きたくない」と言っていた男が、この旅の果てに何を思うのか。
ぜひ最後まで、一緒に歩いていただけたら嬉しいです。
そして何より――
浩哉と一緒に笑ってもらえたら幸いです。




