第16話「川、増えてない?」
「門倉」
「はい」
「昨日の話なんだけど」
「何でしょう?」
「川」
「はい」
「今日、越えるって言ってたよね?」
「申しました」
「それで俺」
「はい」
「橋は? って聞いたよね?」
「聞かれましたな」
「お前なんて答えた?」
門倉隼太が少し考える。
「明日になれば分かります、と」
「そう!」
俺は指を差した。
「それ!」
朝。
目が覚めて。
飯を食って。
測量の準備をした。
そして。
これから出発する。
でも。
俺には。
一つだけ。
どうしても確認しておかなければならないことがある。
「今日になった」
「はい」
「だから教えて」
「何をでしょう?」
「橋!」
門倉が俺を見る。
俺も見る。
沈黙。
「…………」
「…………」
嫌な予感。
ものすごく。
嫌な予感。
「門倉」
「はい」
「橋は?」
「参りましょう」
「答えろよ!」
◇
目の前に。
ウインドウが現れる。
【第一次測量】
現在地:山越内方面
本日の予定:海岸線測量
史実との差:0日
タイムパラドックス発生リスク:0.010%
「…………」
俺は。
表示を見る。
川。
書いてない。
橋。
当然。
書いてない。
「お前もか」
【表示対象外】
「聞いてない!」
本当に。
必要なことは。
何も教えてくれない。
目的地。
史実との差。
パラドックス。
それだけ。
「橋があるかどうかの方が大事だろ……」
俺は。
ため息をついた。
「先生」
門倉が呼ぶ。
「参りますぞ」
「はいはい」
歩き出す。
今日も。
測量。
歩く。
測る。
記録。
また歩く。
いつもの一日が。
始まった。
◇
しばらく進む。
昨日の雨で。
地面は。
まだ湿っている。
「…………」
歩きにくい。
草鞋。
泥。
滑る。
現代の靴が。
恋しい。
防水の。
ちゃんとしたやつ。
「先生」
「何?」
「足元を」
「分かってる」
慎重に。
歩く。
測る。
記録。
また進む。
そして。
聞こえてきた。
ざあああああ――。
「…………」
水の音。
俺は。
止まった。
「門倉」
「はい」
「なんか聞こえない?」
「川ですな」
やっぱり。
川。
近づく。
水音が。
どんどん大きくなる。
ざあああああ――!
「…………」
いや。
待て。
俺が想像していたのと。
なんか。
違う。
もっと。
こう。
さらさら。
みたいな。
穏やかな川を。
想像していた。
木々の間を抜ける。
そして。
見えた。
「…………」
俺は。
立ち止まった。
川。
いや。
「門倉」
「はい」
「川……」
「はい」
「増えてない?」
水量。
明らかに。
多い。
流れ。
速い。
昨日の雨。
嫌な予感が。
全部。
当たった。
「増水しておりますな」
「しておりますな、じゃないよ!」
なんで。
そんなに。
冷静なんだ。
「これ」
俺は川を指す。
「渡るの?」
「この先へ進まねばなりませんので」
「いやいやいや!」
待て。
話が違う。
「橋は!?」
門倉が。
川を見る。
そして。
俺を見る。
「…………」
「その顔やめろ」
「先生」
「何?」
「難しいかと」
「橋が!?」
「はい」
「昨日教えてよ!」
俺は。
頭を抱えた。
「だから聞いたじゃん!」
橋。
橋は?
何度も。
聞いた。
「明日になれば分かります」
確かに。
分かった。
ない。
◇
どうする。
俺は。
川を見る。
流れが速い。
「別の道は?」
「探します」
「ある?」
「分かりませぬ」
「…………」
現代なら。
地図を見る。
スマホ。
迂回路。
橋。
全部。
分かる。
でも。
ここには。
ない。
いや。
正確には。
だから。
俺たちが。
地図を作っている。
「…………」
そうだった。
俺は。
また。
忘れていた。
道が分からない。
どこを通れるか。
分からない。
川がある。
橋があるか。
分からない。
だから。
調べる。
歩く。
測る。
そして。
残す。
「…………」
俺たちが。
最初なんだ。
◇
川沿いを進む。
渡れる場所を。
探す。
でも。
水が多い。
「先生」
門倉が言う。
「お気をつけください」
「分かってる」
足元。
滑る。
川の音。
うるさい。
少し。
怖い。
いや。
かなり。
怖い。
昨日まで。
俺は。
この旅を。
大変な仕事だと思っていた。
歩く。
疲れる。
眠い。
星が多い。
夜遅い。
でも。
今。
初めて。
別のことを思った。
「…………」
これ。
死ぬこともあるんじゃないか?
足を滑らせる。
川へ落ちる。
流される。
今みたいな時代に。
救急車なんてない。
病院だって。
現代とは違う。
「…………」
俺。
未来に帰る前に。
死ぬ可能性。
普通にあるじゃん。
急に。
現実味を帯びた。
「先生」
「何?」
「顔色が」
「大丈夫」
俺は。
答える。
怖い。
でも。
ここで。
俺が止まったら。
測量も。
止まる。
目の前に。
ウインドウ。
【史実との差:+0.001日】
【タイムパラドックス発生リスク:0.011%】
「…………」
少し。
遅れた。
でも。
今日は。
数字に腹が立たなかった。
今は。
急ぐ方が。
危ない。
「先生」
門倉が言う。
「少し時間を要します」
「いいよ」
門倉が。
俺を見る。
「先生?」
「何?」
「よろしいのですか?」
「いい」
俺は。
川を見る。
「安全に行こう」
「…………」
「遅れた分は」
ウインドウを見る。
【史実との差:+0.001日】
「後で取り戻せばいい」
門倉には。
意味が分からない。
それでも。
「承知しました」
そう言った。
◇
俺たちは。
慎重に進んだ。
渡れる場所。
足場。
水の流れ。
一つずつ。
確認する。
「先生」
「うん」
「こちらを」
門倉が。
手を差し出す。
「…………」
少し前の俺なら。
意地を張ったかもしれない。
でも。
今日は。
普通に。
掴んだ。
「頼む」
「はい」
一歩。
足を置く。
水。
冷たい。
流れ。
強い。
「うわっ」
身体が。
持っていかれそうになる。
「先生!」
門倉が。
腕を掴む。
宗平も。
支える。
「大丈夫!」
踏ん張る。
怖い。
本気で。
怖い。
一歩。
また。
一歩。
「ゆっくり!」
「はい!」
今度は。
俺が。
後ろの人間に声を掛ける。
一人ずつ。
進む。
誰も。
流されるな。
誰も。
怪我するな。
測量器具も。
記録も。
守る。
でも。
一番は。
「無理するな!」
俺は。
声を上げた。
「危なかったら戻れ!」
門倉が。
一瞬。
俺を見る。
でも。
すぐ。
頷いた。
「はい!」
◇
どれくらい。
かかったのか。
分からない。
ようやく。
全員が。
安全な場所へ出た。
「…………」
俺は。
その場に。
座り込んだ。
「怖っ……」
声が。
漏れた。
誰も。
笑わない。
みんな。
疲れていた。
俺だけじゃない。
当たり前だ。
こいつらだって。
人間だ。
サイボーグじゃない。
「…………」
いや。
昨日の夜十一時半まで働いた件については。
まだ。
サイボーグ疑惑あるけど。
でも。
今は。
みんな。
同じように。
息を整えている。
「先生」
門倉が。
俺を見る。
「ご無事で」
「うん」
俺も。
門倉を見る。
「みんなは?」
「無事です」
「道具は?」
「問題ありません」
「記録は?」
「こちらに」
「…………」
よかった。
本当に。
よかった。
その時。
ウインドウ。
【史実との差:+0.002日】
【タイムパラドックス発生リスク:0.012%】
「…………」
俺は。
それを見る。
いつもなら。
急ぐ。
数字を戻す。
そう思う。
でも。
今日は。
違った。
「知らん」
門倉が。
こっちを見る。
「先生?」
「いや」
俺は。
ウインドウに言う。
「今日は知らん」
【0.013%】
「上げたきゃ上げろ」
【0.014%】
「命より大事な予定なんてない」
ウインドウは。
何も答えない。
当然。
ただ。
数字だけが。
そこにある。
「遅れたなら」
俺は。
立ち上がる。
「後で取り戻す」
【0.014%】
数字は。
止まった。
「…………」
気のせいだろう。
たぶん。
でも。
少し。
勝った気がした。
◇
再び。
測量を始める。
歩く。
測る。
記録する。
いつもの作業。
でも。
俺の中では。
少しだけ。
違っていた。
日本地図。
完成させなきゃいけない。
未来。
守らなきゃいけない。
でも。
それだけじゃない。
門倉。
宗平。
秀蔵。
吉助。
長助。
この人たちも。
一緒に。
江戸へ帰る。
当たり前。
そんなことを。
今まで。
ちゃんと考えていなかった。
俺は。
伊能忠敬。
この測量隊の。
責任者なんだ。
「…………」
重いな。
名前だけじゃ。
なかった。
責任まで。
ついてくる。
「先生」
門倉が。
前を指す。
「参りましょう」
「うん」
俺は。
歩き出す。
すると。
門倉が。
さらっと言った。
「明日は冷えそうですな」
「…………」
俺は。
止まる。
「何?」
「冷えそうです」
「今」
俺は。
空を見る。
夏。
だよな?
「何月だっけ?」
門倉が。
不思議そうに。
俺を見る。
嫌な予感。
また。
来た。
川の次は。
寒さ。
「…………」
俺は。
深いため息をついた。
蝦夷地。
まだ。
俺を。
休ませてくれる気は。
ないらしい。




