第10話「美味いものは時代を超える」
箱館。
ようやく。
辿り着いた。
「…………」
俺は町を見渡した。
もちろん。
俺が知っている函館とは。
全然違う。
函館駅もない。
路面電車もない。
夜景で有名な街並みもない。
当然。
コンビニもない。
でも。
海がある。
そして。
俺が箱館に着いてから。
ずっと気になっているものがある。
「門倉」
「はい」
「魚」
「魚?」
「食べたい」
「…………」
門倉隼太が俺を見る。
「先生」
「何?」
「先ほど到着したばかりですが」
「だからだよ!」
歩いた。
測った。
記録した。
また歩いた。
途中で人の優しさにも触れた。
そして。
ようやく箱館。
これくらい。
いいだろ。
「海の町だぞ?」
「そうですな」
「魚だぞ?」
「そうですな」
「絶対うまいだろ?」
「……何故そこまで」
「現代の函館っていったら海鮮なんだよ!」
「げんだい?」
「あ」
門倉が首を傾げる。
「なんでもない」
危ない。
普通に未来の話をするところだった。
俺は咳払いする。
「とにかく」
海を見る。
「魚を食べよう」
◇
うまい。
「…………」
うまい。
間違いなく。
うまい。
魚そのものが。
うまい。
俺は箸を進める。
「これ」
また一口。
「うまいな」
新鮮なんだと思う。
当然。
冷凍なんてしていない。
ここで獲れた魚を。
ここで食べる。
素材が悪いわけがない。
「先生」
門倉が俺を見る。
「随分と嬉しそうですな」
「そりゃそうだよ」
久しぶりに。
飯でテンションが上がった。
歩く。
測量。
天測。
寝る。
最近。
そればっかりだった。
だから。
余計にうまい。
「…………」
でも。
何口か食べて。
俺は。
少しだけ。
違和感を覚えた。
「うまいんだけどな」
「何か?」
「いや……」
もう一口。
素材は。
すごくいい。
でも。
なんというか。
「惜しい」
「惜しい?」
店の人が反応した。
しまった。
聞こえた。
「いや!」
俺は慌てる。
「まずいって意味じゃないですよ!」
本当に。
まずくない。
むしろ。
魚そのものは。
めちゃくちゃうまい。
だからこそ。
思ってしまう。
現代の俺なら。
もうちょっと。
こうする。
「…………」
でも。
余計なことは。
しない方がいい。
俺は。
未来から来た人間だ。
俺の知識で。
何かを変える。
そうすれば。
当然。
あいつが出てくる。
俺は。
何もない空間を見る。
今は。
ウインドウは出ていない。
「…………」
やめとこう。
食べる。
うまい。
十分。
うまい。
それでいい。
「お侍様」
店の人が声を掛けてきた。
「はい?」
「何かお気づきになられましたか?」
「…………」
困った。
俺は。
料理人じゃない。
ただの。
四十歳の会社員。
でも。
料理くらいはする。
魚だって食べる。
現代では。
普通に。
いろんな味を知っていた。
「本当に」
俺は言う。
「ちょっとしたことなんですけど」
「はい」
「魚はめちゃくちゃうまいです」
「ありがとうございます」
「だから」
少し考える。
この時代に。
ないものを教えるのはやめよう。
ここにあるもの。
今。
使えるもの。
その範囲で。
「塩の当て方とか」
「塩?」
「はい」
「魚によって、少し変えてみたらどうかなって」
店の人が。
俺を見る。
「それと」
俺は魚を見る。
「焼く前に水気を少し丁寧に取るとか」
難しいことじゃない。
革命的な料理でもない。
ただ。
ほんの少し。
素材を。
もっと美味しく食べるための工夫。
「なるほど……」
店の人が。
魚を見る。
「試しても?」
「もちろん」
いや。
俺に許可取らなくてもいいんだけど。
◇
しばらくして。
魚が出てきた。
「…………」
俺は食べる。
「うん」
さっきより。
いい。
劇的じゃない。
でも。
魚の味が。
少しだけ。
分かりやすくなった。
「どうでしょう?」
「うまいです」
店の人の顔が明るくなる。
「本当ですか」
「はい」
周りにいた人も。
食べてみる。
「おお」
「こっちの方がいいな」
「魚の味がよく分かる」
そんな声が聞こえる。
「…………」
なんだろう。
嬉しい。
俺が作ったわけじゃない。
ほんの少し。
知っていることを言っただけ。
でも。
誰かが喜んでいる。
その瞬間。
出た。
【タイムパラドックス発生リスク:0.002%】
「…………」
やっぱり。
来た。
【0.003%】
「おい」
門倉が俺を見る。
「先生?」
「今はやめろ」
【0.004%】
「空気読め!」
「何がです?」
「こっちの話!」
店の人が不思議そうに俺を見る。
「どうかなされましたか?」
「いえ!」
俺は笑う。
「なんでもありません」
そして。
もう一度。
魚を食べる。
うまい。
【タイムパラドックス発生リスク:0.005%】
「…………」
数字は。
上がっている。
俺が。
史実にはなかったかもしれないことをしたから。
でも。
目の前では。
人が笑っている。
「ありがとうございます」
店の人が。
俺に頭を下げた。
「教えていただいたこと、試してみます」
「…………」
俺は。
少しだけ考えた。
これで。
何かが変わるのか?
この店の魚が。
少し美味しくなる。
誰かが。
それを覚える。
誰かに。
教える。
その先は。
分からない。
【0.006%】
怖くない。
と言えば。
嘘になる。
でも。
昨日。
俺は知った。
少しずれたなら。
取り戻せる。
それに。
「…………」
俺は。
目の前の人を見る。
嬉しそうに。
魚を食べている。
未来を守る。
それは。
大事だ。
絶対に。
日本地図は。
完成させなきゃいけない。
でも。
だからって。
目の前の人の笑顔まで。
全部無視する必要があるのか?
「…………ないよな」
「先生?」
「なんでもない」
俺は。
最後の一口を食べた。
うまかった。
◇
店を出る。
「ごちそうさまでした!」
「こちらこそ、ありがとうございました!」
後ろから。
声が聞こえる。
俺は。
少しだけ。
気持ちが軽かった。
江戸時代に来てから。
ずっと。
俺は。
追われていた。
史実。
予定。
タイムパラドックス。
日本地図。
歩け。
測れ。
遅れるな。
そればかり。
でも。
この時代に。
俺は。
ちゃんと存在している。
だったら。
史実を壊さない範囲で。
少しくらい。
誰かと関わったっていい。
「門倉」
「はい」
「行こう」
門倉が。
少し驚いた顔をする。
「どうした?」
「いえ」
「何?」
「先生から参ろうと言われるとは」
「…………」
確かに。
今まで。
行きたくない。
歩きたくない。
休みたい。
そればっかりだった。
「今日は」
俺は。
前を見る。
「ちょっと歩きたい気分」
門倉が笑った。
「それは何よりです」
すると。
目の前に。
ウインドウが現れる。
【第一次測量】
現在地:箱館
本日の目的地:――
史実との差:0日
タイムパラドックス発生リスク:0.006%
「…………」
次の目的地。
その名前を見る。
そして。
俺は。
草鞋で地面を踏んだ。
「よし」
測量器具を持つ。
方角を確認する。
記録の準備。
もう。
何をすればいいか。
少しずつ。
分かるようになってきた。
「始めよう」
門倉。
宗平。
秀蔵。
吉助。
長助。
みんなが動き出す。
俺も。
一歩を踏み出した。
歩く。
測る。
記録する。
また。
歩く。
不思議だった。
足は。
相変わらず痛い。
測量だって。
楽じゃない。
夜には。
また星を見るかもしれない。
それなのに。
今日は。
少しだけ。
前へ進みたかった。
この先に。
何があるのか。
どんな景色があるのか。
どんな人がいるのか。
少しだけ。
知りたくなった。
【タイムパラドックス発生リスク:0.007%】
「…………」
俺は歩きながら。
ウインドウを見る。
「お前はちょっと黙ってろ」
門倉が首を傾げた。
「先生?」
「なんでもない」
俺は笑った。
そして。
また一歩。
前へ進んだ。
日本地図完成まで。
まだ。
遥かに遠い。
でも。
初めてだった。
誰かに引っ張られたわけでも。
数字に脅されたわけでもない。
俺は。
自分から。
次の目的地へ向かって。
歩き始めていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
コケて立ち上がったら伊能忠敬。
歩きたくない。
測量できない。
夜は星を見る。
人の優しさに甘えたらタイムパラドックス率が上がる。
魚を美味しくしてもタイムパラドックス率が上がる。
それでも浩哉は、少しずつこの時代を歩き始めました。
ですが――
まだ第一次測量は始まったばかりです。
伊能忠敬が日本地図を完成させるまでに歩いた道。
測った土地。
出会った人々。
そして、実際に起きた出来事。
これから浩哉は、それらを史実通りに経験していくことになります。
歴史の答えは、すでに決まっています。
問題は――
伊能忠敬について「歩いて日本地図を作った人」くらいしか知らない浩哉が、その答えまで辿り着けるのか。
そして。
【タイムパラドックス発生リスク】
この数字が、本当に危険な数値になった時。
何が起きるのか。
次の10話。
浩哉はさらに北へ。
日本地図完成への一歩を進めます。
たぶん本人は――
まだ歩きたくないと思います。




