第9話「朝露に溶ける呪縛」
廃教会での夜から、さらに数日が経過した。
アークライトの街は、何事もなかったかのように平穏な朝を迎えている。
ルミナスはいつものように、ギルド本部の裏口から厨房へと足を踏み入れた。
足取りは以前よりもずっと軽い。
あの日、レオンハルトに過去を打ち明け、すべてを受け入れてもらったことで、見えない鎖が外れたような感覚があった。
竈に火を入れ、野菜を水洗いする。
窓から差し込む斜光が、まな板の上に並んだ真紅の果菜を鮮やかに照らし出していた。
ふと、入り口の扉が開く音がして、ルミナスは包丁を置いた。
「……おはようございます」
振り返るよりも先に、声がこぼれる。
そこに立っていたのは、予想通りレオンハルトだった。
今日の彼はいつもの革鎧ではなく、麻のゆったりとしたシャツを羽織っている。
休日の朝なのだろう。
金糸の髪も、いつもより少しだけ無造作に乱れていた。
「早いな、ルミナス。傷の具合はどうだ」
レオンハルトは厨房の中へ入り、ルミナスの手首に視線を落とした。
「もうすっかり塞がりました。気にかけていただいて、ありがとうございます」
ルミナスは袖を少しだけ捲り、真新しい皮膚が再生している部分を見せた。
異能の反動による体力の枯渇も、三日間の休養で完全に回復している。
レオンハルトは安堵したように息を吐き、カウンターの丸椅子に腰を下ろした。
「組織の連中だが、街の自警団を通じて周辺の街道を見張らせている。今のところ、再び近づく気配はない」
「……ご迷惑をおかけしました」
ルミナスが小さく頭を下げると、レオンハルトは苦笑して首を横に振った。
「迷惑なものか。君を守るのは、俺が勝手に決めたことだ。それに……君の過去を知って、俺はむしろ安心したんだ」
レオンハルトの琥珀色の瞳が、真っ直ぐにルミナスを射抜く。
予想外の言葉に、ルミナスはまばたきを繰り返した。
「安心、ですか」
「ああ。君がなぜあんなに怯えていたのか、なぜ人と距離を置こうとしていたのか。その理由がわかったからだ」
レオンハルトはカウンターの上に両肘をつき、わずかに身を乗り出した。
「得体が知れないから怖いんじゃない。君は、自分が他人を傷つけることを恐れていた。それは、君の根底にある優しさの証明だ」
まっすぐな肯定。
かつての仲間からは欠陥品と罵られ、自らもそうだと思い込んでいた。
しかし、この男の口から発せられると、自分の脆さすらも肯定されているような気がしてくる。
ルミナスの胸の奥で、甘い熱がじんわりと広がっていく。
Ωの本能が、目の前のαを完全に自分の番として認識し始めているのがわかった。
「……腹が減りましたか。何か作りますよ」
照れ隠しのように顔を背け、ルミナスは再び包丁を握った。
今日は、あの日路地裏で彼に食べさせた、赤い果菜を使ったスープにしよう。
火加減を調節しながら、ルミナスは背後から注がれる温かな視線を背中で受け止めていた。
それはもう、恐怖の対象ではなく、心地よい陽だまりのような温度だった。




