第2話「陽だまりの誘いと夜の残り香」
人通りの少ない路地裏。
石造りの建物の隙間に落ちる細い影の中に、ルミナスとレオンハルトは向かい合って立っていた。
レオンハルトの背後から差し込む陽光が、彼の金糸の髪を後光のように輝かせている。
対照的に、ルミナスは冷たい日陰の奥へと身を縮めていた。
フードの下で視線を泳がせ、いつでも逃げ出せるよう足の筋肉を微かに張り詰める。
しかし、レオンハルトの放つ気配がそれを許さなかった。
殺気や威圧感ではない。
嵐の日の大樹のように、揺るぎなくそこに存在する質量。
動けば、それだけで捕まるという確信があった。
「こんな路地裏に連れ込んで悪かったな。だが、君の作った野菜があまりにも規格外だったものでね」
レオンハルトは腕を組み、柔和な笑みを浮かべた。
先ほどかじりついた赤い実の残りを、愛おしむように見つめている。
「俺は長いこと冒険者をやってきた。大陸中の美味いものを食ってきた自負はある。だが、こんなものは初めてだ」
レオンハルトの声が、石壁に反響して低く響く。
「ただ美味いだけじゃない。一口食っただけで、体の芯から力が湧き上がってくるような気がした。魔力でも薬効でもない、純粋な生命力そのものを食っているような感覚だ。君は、これをどうやって育てた」
ルミナスはフードをさらに深く引き、唇を噛んだ。
かつて命を奪っていた反動で、命を与えることしかできなくなった壊れた暗殺者だと、言えるはずがない。
そんな真実を知られれば、この光に満ちた男はどんな顔をするだろうか。
「……特別なことは、何もしていません。ただ、土に種を撒いただけです」
抑揚を消した声で答える。
レオンハルトはしばらくの間、ルミナスの顔をじっと見つめていた。
琥珀色の瞳が、フードの奥にあるルミナスの瞳孔まで見透かそうとしているかのようだ。
やがて、レオンハルトは小さく息を吐いた。
「言いたくないなら、無理には聞かない。だが、俺は君の才能を放っておけない」
レオンハルトは一歩だけ、ルミナスに近づいた。
革鎧の擦れる微かな音が鳴る。
先ほど市場で感じた、乾いた樹皮の匂いが再びルミナスを包み込んだ。
「ギルドの連中が、血生臭い依頼の後に腹を満たし、心から安らげる慰労の場を作りたくてな。本部の敷地内に、そのための特別な厨房を用意してある。実は数ヶ月前から内装も機材も準備は終わっていた。だが、あそこに立つにふさわしい料理人がどうしても見つからなくてな」
唐突な提案に、ルミナスは目を見開いた。
「……私に」
「ああ。君の作った野菜があれば、最高に美味い飯が作れる。それに、君からは美味い料理を作る奴特有の匂いがする」
レオンハルトの屈託のない笑顔。
裏表のない、真っ直ぐな好意と期待。
それはルミナスが最も恐れているものだった。
人からの優しさに触れれば、自分の薄汚れた本性が暴かれるような気がしてならない。
「お断りします。私は、人と関わるのが嫌いなんです。料理も、人に振る舞うために作っているわけではありません。どうか、他を当たってください」
冷たい拒絶。
これ以上踏み込まれないための、精一杯の強がりだった。
しかし、レオンハルトは引かなかった。
彼はルミナスの怯えに気づいているかのように、ゆっくりとした動作で手を伸ばした。
大きな手のひらが、ルミナスの細い肩に触れるか触れないかの距離で止まる。
「君の目を見ればわかる。君は、人が嫌いなわけじゃない。人を恐れているだけだ」
見透かされている。
血に塗れた過去も、孤独に震える夜も、すべて。
「なぜ、君がそんなに怯えているのかは聞かない。だが、君の作った野菜には、命への慈しみがあった。そんな優しいものを作れる人間が、悪い奴のはずがない」
レオンハルトの言葉が、ルミナスの胸の奥にある氷を溶かすように染み込んでいく。
優しい、と言われたのはいつ以来だろうか。
奪うことしか知らなかった自分が、与えることができると認めてもらえた。
視界が不意ににじんだ。
ルミナスは慌ててうつむき、フードの影に顔を隠す。
「俺は、君の料理を食べたい。君の作ったもので、ギルドの連中を笑顔にしてやってほしいんだ」
レオンハルトの真摯な声が、路地裏の静寂に響く。
暗殺者としての本能が、ここから逃げろと叫んでいる。
しかし、膝の裏の筋が勝手に弛緩し、目の前の強大なαの温もりにすがりつきたいと願っていた。
孤独な夜の寒さに、もう耐えられそうになかった。
長い沈黙が落ちる。
遠くから聞こえる市場のざわめきだけが、二人の間を通り過ぎていく。
ルミナスは震える指先を握り込み、やがて、わずかに顎を引いた。
「……少しだけ、考えさせてください」
それは、実質的な敗北宣言だった。
レオンハルトは顔をほころばせ、満足げにうなずいた。
「ああ。明日の朝、また市場へ行く。良い返事を聞かせてくれ」
レオンハルトは身を翻し、陽光の降り注ぐ大通りへと歩き出す。
振り返ることなく遠ざかる大きな背中を、ルミナスはいつまでも見つめていた。
肩に残る幻の体温と、微かに漂う樹皮の香りが、ルミナスの中に生まれた小さな熱をいつまでもくすぶらせていた。




