第11話「甘い熱と忍び寄る影」
ルミナスの肩に置かれたレオンハルトの手のひらから、体温以上の熱が伝わってくる。
その熱は皮膚を透過し、ルミナスの内側で眠っていた何かをゆっくりと溶かしていくようだった。
触れ合っている面積はわずかなのに、全身が火照る。
息を吸うたびに、レオンハルトの放つ樹皮の香りが肺を満たし、頭の芯を甘く麻痺させていく。
「……レオンハルトさん」
名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど甘くかすれていた。
レオンハルトの琥珀色の瞳が、わずかに細められる。
彼の喉仏が上下に動き、低く抑えた呼吸音が静かな店内に響いた。
強大なαが、懸命に理性を総動員して本能を制御しているのがわかる。
「ルミナス。君は……自分の匂いが、今どうなっているかわかっているか」
レオンハルトの声もまた、いつもより一段低く、かすかな渇きを帯びていた。
「私の……匂い」
ルミナスはまばたきをし、首を傾げた。
その無防備な動作が、さらにレオンハルトの余裕を奪ったらしい。
彼はルミナスの肩から手を離し、代わりに前髪の隙間から覗く細い顎に指先を添えた。
「雨に濡れて熟れすぎた花弁が、むせ返るような甘さを放っている。……俺の理性を、ひどく揺さぶる」
顎を掬い上げられ、視線が完全に絡み合う。
触れられた皮膚から、微弱な電流のような痺れが全身に広がった。
Ωとしての発情の兆候。
暗殺組織にいた頃は、薬で強引に抑え込んでいたその本能が、運命の番を前にして静かに目覚めようとしていた。
逃げなければいけない。
そう理性が警鐘を鳴らすのに、足は床に縫い付けられたように動かない。
むしろ、彼の手のひらにすり寄りたいとすら思ってしまう。
「……っ」
レオンハルトの顔が近づいてくる。
互いの鼻先が触れ合いそうな距離。
ルミナスは恐怖からではなく、未知の感覚への戸惑いから目を閉じた。
そのとき、入り口のベルがけたたましく鳴り響いた。
「ギルマス。急報です」
息を切らせたギルドの受付嬢が、店内に転がり込むように入ってきた。
レオンハルトは反射的にルミナスから身を離し、瞬時にギルドマスターの顔に戻った。
ルミナスも弾かれたように後ずさり、カウンターの奥へと身を隠す。
「どうした、そんなに慌てて」
「北の街道沿いにある宿場町からの急使です。街道を封鎖している連中がいると。冒険者や商人の通行を妨害し、法外な通行料を要求しているようです。武装の練度が高く、普通の野盗ではないと……」
その言葉に、ルミナスは息を呑んだ。
北の街道。
数日前に、レオンハルトが暗殺者たちを追い払った方角だ。
レオンハルトの表情が険しくなる。
「……組織の連中か。俺の警告を無視しただけじゃなく、街の経済の首根っこを押さえにきたか」
彼は腰の大剣の柄を握りしめ、低く唸った。
アークライトは流通によって成り立つ街だ。
街道を長期間封鎖されれば、いずれ街全体が干上がる。
力でねじ伏せようとすれば、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ、また別の場所で同じことを繰り返すだろう。
「自警団と冒険者の有志を集めろ。俺もすぐに出る」
レオンハルトは受付嬢に指示を出し、振り返ってルミナスを見た。
「すまない、ルミナス。店を頼む」
「……お気をつけて」
ルミナスは震える声で送り出すことしかできなかった。
彼が出て行った後の厨房は、先ほどまでの熱が嘘のように冷え切っていた。
彼らが街道を封鎖しているのは、間違いなく自分をおびき出すためだ。
ルミナスは己の手首の傷跡を無意識に擦りながら、暗く沈む空を見上げた。




