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辺境調整官、只今着任 〜左遷に見えた赴任は、辺境を変える第一手だった〜  作者: 瀬川 理久
第十章:あの方の、答え

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第九十六話「順番を、並べ直す」

 着任三百九十六日目、朝。


 畑の芽が、ひと回り大きくなっていた。


 執務所の窓から見える緑が、日ごとに濃くなっていく季節だった。


 カイが水路の見回りの帰りに顔を出した。


「芽の出、揃っています」


「ばらつきは」


「今のところ、少ないです」


 カイは、それだけ言って軽く頭を下げ、また村へ戻っていった。


 揃った芽の並びだけでは、今年が良い年かどうかはわからない。


 それでも、種麦の融通から播種まで、去年の記録を見ながら進められたことは確かだった。


 昼前、内政調整局の正式便が届いた。


「監査室からです」


 ロイドが言った。


 封を切り、読み上げる。


 ——北西の貴族家本家について、既存資料および照会可能な記録を再確認したが、本件への直接関与を示す事実は確認できなかった。新たな具体的根拠がない限り、本家を対象とする追加追跡は終了する。


「終了、ですか」


 ミラが言った。


「はい」


 ロイドは頷いた。


「潔白だと証明された、という意味ではありません。これ以上、確かめる手立てがない、という意味です」


「その違いは」


「大きいです」


 ライルが言った。


「わからないことを、わかったことにはしません。今日も、それは変えません」


 ロイドが、二欄整理の帳面を取り出した。


 北西の貴族家(本家の関与)の項目を、静かに閉じた欄へ移す。


 ——追跡終了。関与を示す事実、確認されず。無関係と確定したものではない。


「これで、一つ閉じましたね」


 ミラが言った。


「はい」


 ライルは答えた。


「ただ、閉じたのはこの一件だけです。他にも、まだ動いていないものがあります」


 午後、ライルが皆を執務所の奥の小部屋へ集めた。


「今日から、少し違うやり方を試します」


 ライルが言った。


「人を追うことに、行き詰まりました。ですから、今度は、時を並べ直します」


「あの方の時のことですか」


 ダグラスが尋ねた。


「はい」


 ライルは頷いた。


「今まで、手がかりは一つずつ、別々に扱ってきました。報告書のこと。頁の欠落。病没の記録。『鍵』という言葉。どれも、単独では意味を持ちませんでした」


「別々に扱ってきたのは」


 ミラが尋ねた。


「性急にまとめると、見誤るからですか」


「それもあります」


 ライルは答えた。


「ですが、今は逆の心配もあります。別々のまま置きすぎて、見えるはずのものを見落としているかもしれません」


「両方の心配を、同時に」


「はい」


 ライルは頷いた。


「だから、今日はやり方を変えます。まとめて答えを出すためではありません。まず、順番だけを、正確に並べます」


「今日は」


「一枚の紙の上に、日付の順で並べます」


 ロイドが、大きな紙を広げた。


 横に月日を刻み、縦に出来事を並べる形式だった。


「これまで確認できている日付から、埋めていきます」


 ロイドが言った。


「まず、確定している記録から」


 ミラが、旧い人事綴りと、報告書の発送記録を照らし合わせた。


「発送については、これまで証言と残された写しから扱っていました」


 ミラが言った。


「今回は件名ではなく、前後の日付を指定して逓送台帳の索引を見直しました。あの方の名で受け付けられた書状が一件あります。日付は、その月の十九日です」


「宛先と内容は」


「索引には残っていません。確認できるのは、差出人名と受付日だけです」


「十九日」


 ダグラスが、その日付を繰り返した。


「はい」


 ロイドが、紙の上にその日付を黒い墨で記した。


 確定した記録には、黒い墨を使うと決めた。


「頁の欠落は」


 ライルが尋ねた。


「発送から数日後、とだけ証言があります」


 ロイドが言った。


「正確な日付の記録はありません」


「では」


「証言をもとにした推定として、別の色で記します」


 ロイドは、赤茶けた色の墨を用意していた。


 発送日の少し先に、二十三日頃という印を、赤茶の墨で薄く記した。


「あの方が姿を見せなくなったのは」


 ライルが、ダグラスへ視線を向けた。


「その後、すぐでした」


 ダグラスが言った。


「はっきりとは、覚えていません。ただ、頁が消えたと聞いた話と、あの方を見なくなった話が、そう離れていなかったように思います」


「それも、証言による推定ですね」


「はい」


 ダグラスは頷いた。


「ただ、今の言い方は、自分でも自信がありません。『そう遠くない』というだけで、日にちまでは」


「では、今の分は、もう一段薄い印にします」


 ロイドが、点線だけの印を紙に記した。


 確定した記録は黒。


 証言に基づく推定は赤茶。


 証言の中でも、本人が確信を持てない部分は点線。


 三段階に分けることで、紙の上に、確かさの濃淡がそのまま見えるようになった。


「これまでは、確かなことと、そうでないことを、言葉で分けていました」


 ロイドが言った。


「今日からは、目で見てわかる形にします」


「言葉より、目で見る方が」


 ミラが尋ねた。


「間違えにくいと思います」


 ロイドは答えた。


「言葉は、後から都合よく思い出せてしまいます。色は、その時に決めた通りにしか残りません」


 ダグラスが、その説明を黙って聞いていた。


「私の記憶は、赤茶か、点線ばかりになりそうです」


 ぽつりと言った。


「それで、構いません」


 ライルが答えた。


「黒がないことを、恥じる必要はありません。むしろ、無理に黒く塗ろうとする方が、危ういです」


「はい」


 ダグラスは、静かに頷いた。


「『病没』の記載は」


 ミラが尋ねた。


「人事綴りに、日付があります」


 ロイドが答えた。


「黒で置きます。ただし、黒なのは『その日に病没と記載された』ことです。死亡そのものが確認できた、という意味ではありません」


 ロイドは、日付の横に小さく「人事綴り記載」と添えた。


 黒で置けたのは、逓送台帳の受付日と、人事綴りの記載日。


 頁の欠落時期と、姿を見せなくなった時期は、まだ別の色のままだった。


 発送。頁の欠落(推定)。姿を見せなくなった時期(証言、確信度は低い)。病没記録。


「まだ、真ん中が薄いですね」


 ミラが、紙全体を見て言った。


「はい」


 ライルは頷いた。


「今日埋められるのは、ここまでです」


「明日は」


 ロイドが尋ねた。


「別の紙も、この上に重ねてみます」


 ライルが言った。


 その言葉に、ダグラスが顔を上げた。


「別の紙、というのは」


「まだ、言いません」


 ライルは、静かに答えた。


「今日、確かめたことだけを、確かめたままにしておきます」


 夕方、ヴェクが官倉の点検を終えて顔を出した。


「今日は、何を」


「昔のことを、並べ直していました」


 ライルが答えた。


「昔のこと」


「あの方の時のことです」


 ヴェクは、少しの間、紙を見た。


「進んでいますか」


「進んでいると思います」


 ライルは答えた。


「ただ、まだ、途中です」


「それなら」


 ヴェクは、それだけ言うと官倉へ戻っていった。


 入れ違いに、ゲオルグが夕方の風に当たりながら通りかかった。


「今日は、ずっと奥で帳面を見ていましたね」


「古い記録の整理です」


 ライルは答えた。


「急ぎですか」


「今日中に結論を出す仕事ではありません」


「なら、畑の方は気にしなくて大丈夫です」


 ゲオルグは、それだけ言って小さく頭を下げた。


「種まき後の見回りは、こちらで回っています」


「ありがとうございます」


 古い記録を扱う者と、今日の畑を見る者。


 知る必要のある範囲は違っても、どちらもガルダの仕事だった。


 夜、ライルは手帳を開いた。


 ——あの方の時系列表を作成。記録で確認できる事実(黒)、証言に基づく推定(赤茶)、証言者自身の確信度が低い部分(点線)を区別。逓送台帳索引に、あの方名義の書状受付日を確認。その月十九日。宛先・内容は索引から確認不能。人事綴りの「病没」記載日も黒で置くが、死亡事実そのものの確認とは分ける。頁欠落時期・姿を見せなくなった時期は推定のまま。


 もう一行、書き足した。


 ——北西の貴族家(本家)の関与について、監査室より追跡終了の通知あり。無関係と確定したものではないが、これ以上確認できる記録はないとのこと。


 窓の外、夏の気配を含んだ風が、水路の上を渡っていった。


 紙の上の時系列は、まだ半分も埋まっていなかった。


 だが、埋まっていない部分がどこかは、今日、はっきりした。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日19:10更新予定です。

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