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辺境調整官、只今着任 〜左遷に見えた赴任は、辺境を変える第一手だった〜  作者: 瀬川 理久
第七章:牙を、見せる時

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第五十六話「今度は、抜く」

 着任百八十六日目。


 監査室への報告書一式を、朝のうちに発送した。


 外封には内容を書かない。


 内封にはライルとロイドが封を置き、執務所から継立場までは二人で持ち込んだ。


 受領者の署名と時刻を取り、封に異常がないことまで確認している。


 木箱の開封記録。


 あの方の写しの状態記録。


 アルノの私信の扱いについての注記。


 ダグラスが受けた接触の記録。


 すべてを、事実と伝聞と推測に分けて綴じた。


「これで、こちらの手は尽くしました」


 ロイドが言った。


「はい」


 ライルは答えた。


「あとは、向こうがどう動くかです」


 昼前、カイとゲオルグが執務所へ寄った。


「北側の様子を見てきます」


 カイが言った。


「二人で、ですね」


 ライルが確認する。


「はい」


 ゲオルグが答えた。


「出口と継ぎ目だけです。林の中には入りません」


「帰りも、同じ道を」


「日没より前に戻ります」


 ダグラスへの接触があってから、日のあるうちでも、北側へ一人で行かせないことにしていた。


「戻ったら、一言お願いします」


「はい」


 二人は、並んで出ていった。


 昼過ぎ。


 執務所には、いつもの静かな時間が流れていた。


 ロイドが手順書の清書を進め、ミラが来訪記録を整理し、ヴェクが発送記録の控えを綴じていた。


 日が傾き始めた頃。


 扉が勢いよく開いた。


 ゲオルグだった。


 帽子も取らず、肩で息をしている。


「カイが」


 そこで一度、息を整えた。


「四人に、止められています」


 ロイドの筆が止まった。


「場所は」


 ライルが尋ねた。


「北側の分岐より手前。林際です」


「あなたは、どうしてここへ」


「私を戻しました。四人のうち、一人が」


「何と言いましたか」


「『ゲオルグ殿は執務所へ戻ってください。ライル・フォン・ヴァルディス殿へ、カイ殿を預かっているとお伝えください』」


 部屋の空気が変わった。


「預かっている」


 ロイドが、低く繰り返した。


「はい」


「武器は」


「見せていません」


「触られましたか」


「いいえ」


「カイは、自分から残ったんですか」


「違います」


 ゲオルグは首を振った。


「二人とも戻ろうとしました。でも、道の前と後ろに二人ずつ立たれました」


「それから」


「一人が、『二人とも残れば話が進みません』と」


「カイは」


「私に、行けと言いました。『呼んでこい。俺はここにいる』と」


 ライルは立ち上がった。


「ロイド」


「行きます」


「ミラ、ヴェク」


「はい」


「執務所をお願いします。私たちが日没を過ぎても戻らなければ、継立場へ緊急書状を出してください」


「内容は」


「身元不明者四名。カイをその場へ留め、私を呼び出した。場所と時刻。推測は要りません」


「わかりました」


「ダグラスは、ここに」


「承知しました」


 ライル、ロイド、ゲオルグ。


 三人で、水路北側の林へ向かった。


 雪を踏む足音だけが響く。


 誰も、口を開かなかった。


 林の際、水路の分岐が見えてきたところで、ゲオルグが指をさした。


「あそこです」


 雪の上に、複数の足跡が乱れていた。


 その先、木々の間に、人影が見えた。


 カイだった。


 周りを、四人が囲んでいる。


 縛られてはいない。


 触れられてもいない。


 武器も見えない。


 だが、前後左右の退路を、四人の位置が塞いでいた。


 カイは、動かずに立っていた。


 怯えてはいない。


 だが、動けば何が起きるかを、正確に測っている顔だった。


 ライルは、足を止めなかった。


 まっすぐ、その輪の方へ歩いた。


「執務所の者です」


 声を張らず、そう告げた。


 四人のうち、一人が振り向いた。


 頭巾の内側から、静かな声が返ってきた。


「お待ちしておりました」


「私を待っていたと」


「はい」


 その声には、焦りも興奮もなかった。


「用件を伺いましょう」


 ライルは言った。


「その方を放してください。話は、私が聞きます」


「話は、もう終わっています」


 頭巾の男は言った。


「あとは、あなたが決めるだけです」


「決める、とは」


「木箱の中身を、すべて渡していただきます。原本も、写しも」


 男は、淡々と続けた。


「あの方の記録を、ここから消します」


 その一言が、雪の上に落ちた。


 ライルは、内側で静かに息を吸った。


 これまで、誰も口にしなかった目的が、初めてはっきりと形になった。


「なぜ、消す必要があるんですか」


 ライルは尋ねた。


 商会の時のように、記録で、正しい順番で、押し返せる相手かどうかを確かめる問いだった。


「その問いにも、お答えできません」


「あの方が誰か、あなた方はご存じですか」


「お答えできません」


 同じ言葉が返る。


「では、条件を伺います」


 ライルは、もう一歩踏み込んだ。


「渡せば、その方を解放しますか。渡さなければ」


「渡していただければ、彼には何もしません」


 男は、カイの方を一度だけ見た。


「渡さなければ、こちらも次の手段を考えます」


「認証写しは、今朝すでに監査室へ送りました」


 男が、初めて一拍だけ黙った。


 その間を、ライルは見た。


「原本は、監査室の指示で現地保全中です。私一人の判断で渡すことはできません」


 ライルは、いつも通りの言葉を選んだ。


 手順を盾にする。


 これまで、何度もそうやって、相手の勢いを止めてきた。


「その手順は」


 男は、初めて、わずかに声の調子を変えた。


「ここでは、通用しません」


 風が、木々を鳴らした。


 ライルは、カイを見た。


 カイも、こちらを見ていた。


 言葉はなかった。


 だが、目が、何かを問うていた。


 どうするのか。


 ライルは、四人の位置を、一人ずつ確かめた。


 距離。


 足の運び方。


 利き手の側。


 カイまでの間合い。


 どれも、これまでの用心棒や外部人員とは違う、静かな構えだった。


 商会の人間なら、まだ言葉が続いただろう。


 だが、この男たちは、もう次の言葉を用意していなかった。


「もう一度だけ、確認します」


 ライルは言った。


「カイをこちらへ戻し、あなた方の要求を記録した上で、監査室を交えて話す余地は」


「ありません」


「この場を離れ、改めて日時を定める余地は」


「ありません」


 迷いのない答えだった。


 ロイドが、半歩後ろで言った。


「記録しました」


 その時。


 カイの背後にいた一人が、半歩、距離を詰めた。


 肩へ手を伸ばす。


「止まってください」


 ライルが言った。


 手は止まらない。


「触れないでください」


 指先が、カイの上着へ届く。


 ライルは、上着の内側へ、手を伸ばした。


 これまで、確かめるだけだった場所。


 位置を知っておくためだけの場所。


 指先が、短杖の柄に触れる。


 話す順番は、尽くした。


 記録も残した。


 一人で来てもいない。


 目の前で、人へ手が伸びている。


 手順は、人を守るためにある。


 人を守れない時まで、その後ろに隠れるためではない。


 柄を握る。


 これまでとは違う、確かな力で。


 今度は、抜く。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日19:10更新予定です。

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