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辺境調整官、只今着任 〜左遷に見えた赴任は、辺境を変える第一手だった〜  作者: 瀬川 理久
第六章:帝国の闇に、触れる

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第四十七話「続きを、話します」

 着任百三十日目。


 旧受領台帳の見直しは、まだ続いていた。


 五十七の重複を見つけてから、四日が経っている。


 ミラが、未使用のまま残っていた受領札の束を数え直す。


 ヴェクが、古い年度の綴りを棚の奥から運び出す。


 ロイドが、半券の欠番を一件ずつ確認していく。


 同じ番号の重なりが、ほかにもないか。


 商務分家の書状に対応する半券が、別の場所へ紛れていないか。


 今のところ、どちらも見つかっていない。


 地味な作業だった。


 窓の外では、収穫の報せが今日も届いている。


 カイの字は、相変わらず角ばっていた。


 南側の集荷は終わり、中央の区画へ移った。


 朝露で一日遅れた家があったが、畑の順番は崩れていない。


 見直しを始めて三日目の昼過ぎ。


 ヴェクが、一冊の綴りを手にしたまま動きを止めた。


「ロイドさん。これ」


 綴りの中央だけが、不自然に薄い。


 糸で綴じた背には、紙を引き抜いた跡が残っていた。


「何枚、抜けていますか」


 ミラが尋ねた。


「前後を確かめます」


 ロイドが、残っている頁の日付を追う。


 途中には、切れた糸と、紙の端だけが挟まっていた。


「二十枚近くです。記録の日付でいえば、およそ二年分」


「最初から綴じられていなかった可能性は」


 ライルが尋ねた。


 ロイドは、背の部分を確かめた。


「低いと思います。ここだけ糸が切られています。紙の端も残っています」


「破られたのか、切り取られたのか」


「両方です」


 ヴェクが言った。


「最初に糸を切って、急いで引き抜いたように見えます」


 ライルは、綴りを机へ置いた。


「時期は」


「前後の日付から見て、七、八年ほど前です」


 ロイドが答えた。


 人口が目に見えて減り始めるより前。


 税の帳尻だけが、不自然に揃い始める頃。


 今まで調べてきた異常の、始まりに近い時期だった。


「欠落の前は、誰が書いていますか」


 ライルが尋ねた。


 ロイドが、直前の頁を開く。


 日付。


 受領した書状の差出人。


 確認者。


 訂正の理由。


 誤記は塗り潰さず、一本の線を引き、横へ正しい内容を書き足してある。


「几帳面ですね」


 ミラが、覗き込んで言った。


「今の保全記録に、少し似ています」


「考え方は同じです」


 ロイドが言った。


「訂正を消さない。確認できないことは、空欄のままにせず、確認できずと書く」


「欠落の後は」


 続きの頁を開く。


 日付だけの走り書き。


 差出人の名が抜けた記録。


 確認者の欄は、空白のままだった。


 筆跡も違う。


「同じ人間が書いたものではありません」


 ロイドが言った。


「誰かが、以前にも、後から確かめられる記録を作ろうとしていた」


 ライルは、欠けた箇所へ指を置いた。


「そして、その途中が抜き取られた」


 ミラが、五十七の確認帳を見た。


「五十七の件と、つながりますか」


「今の時点では、つなげません」


 ライルは答えた。


「五十七が二つあるのは、半年前と先月の書状です。この欠落は、七、八年前。時期が違います」


「では、別の話ですか」


「同じ原因かもしれない。別の原因かもしれない」


 ライルは言った。


「今わかったのは、この執務所では以前にも、記録が途中から失われている。それだけです」


 似ているからといって、同じものにしてはいけない。


 五十七の異常は、五十七の異常。


 欠けた二年は、欠けた二年。


 並べて残すことはできる。


 だが、線を引くのは、線を引ける事実が出てからだった。


 午後、ダグラスが呼ばれた。


 ライルは、綴りを机に置いた。


「この頁が、なぜ欠けているか、ご存じですか」


 ダグラスは、綴りを見た。


 切れた糸。


 残された紙の端。


 その顔から、わずかに血の気が引いた。


 長い間、何も言わなかった。


 やがて、ゆっくりと息を吸った。


「知っています」


 その一言に、部屋の空気が変わった。


 ロイドの筆が、動き始める。


「以前、あなたはこう言いました」


 ライルは、証言の控えを開いた。


「断った者がどうなるかを、私は知っていました。前任調整官の前任者が——そこで、言葉が止まりました」


 ダグラスは、目を伏せた。


「続きを、話します」


 少しの間を置いて、口を開いた。


「前任調整官様より前に、ガルダへ赴任していた方がいました」


「名前は」


「あの方、と呼ばせてください」


 ダグラスは答えた。


「名前は、まだ言えません」


「理由を聞かせてください」


「名前を口にすれば、あの方だけではなく、当時あの方と関わった者まで特定されます」


「今も、危険があると」


「わかりません」


 ダグラスは言った。


「ですが、ないとも言えません」


 ライルは、すぐには答えなかった。


「名前を伏せた証言では、人物を確認できません」


「わかっています」


「今日は、証言者が氏名の開示を保留したと、そのまま記録します」


 ライルは言った。


「ただし、監査室から人物の特定を求められた場合は、必要になります。その時は、私とロイドだけが確認する封書にしてください」


 ダグラスは、しばらく考えた。


「わかりました」


「今は、経緯を聞きます」


 ダグラスは頷いた。


「あの方は、水路と税の記録がおかしいことに、早くから気づいていました」


 欠落の直前の頁へ目を向ける。


「今、あなた方がしているように、日付と確認者を残し、訂正を消さないやり方を始めたのも、あの方です」


「この綴りを書いたのは」


「はい。あの方です」


「何を確かめようとしていたんですか」


「水路の修繕費と、土地の移動。それから、税として集めた穀物の行き先です」


 ダグラスは答えた。


「詳しい中身までは、私にはわかりません。当時の私は下働きで、帳面を運ぶことしかしていませんでした」


「この頁がなくなった時のことは」


「覚えています」


 ダグラスの声が低くなった。


「あの方は、帝都へ報告を送る準備をしていました。机の上に、写しと綴りを置いていました」


「送り終えたのですか」


「送った、と聞きました。私が使者へ渡したわけではありません」


「直接確認したことではない」


「はい」


 ロイドの筆が、その言葉も残す。


「その数日後です」


 ダグラスは続けた。


「朝、執務所へ来ると、机から報告書の写しが消えていました。この綴りも、今の形になっていました」


「誰が持ち出したかは」


「見ていません」


「棚や扉に、壊された跡は」


「ありませんでした」


「鍵を持っていた者は」


「当時の調整官と、書記役。それから、管理を任されていた者です」


「名前は」


「その一覧は、人事綴りに残っているはずです」


 ロイドが、別の棚から当時の人事綴りを持ってきた。


 赴任日。


 担当者。


 異動日。


 その中で、前任調整官の前任者に当たる一行だけは、終わり方が違っていた。


 ——病没。


 それだけだった。


 日付はある。


 確認者の名はない。


「この記載は、誰が書いたものですか」


 ライルが尋ねた。


 ロイドが筆跡を見比べる。


「欠落後の受領記録と、同じ筆跡に見えます」


「断定は」


「できません。筆跡を比べただけです」


 ダグラスが、机の一点を見つめた。


「あの方は、報告を送ろうとした後、執務所へ来なくなりました」


「病を得たと」


「そう聞かされました」


「亡くなったところを、見ましたか」


「見ていません」


「医師の記録や、埋葬の記録は」


「私は、見ていません」


 ダグラスは、はっきりと言った。


「一月も経たないうちに、病で亡くなったと伝えられただけです」


「病死ではなかったと思いますか」


「わかりません」


 ダグラスは繰り返した。


「早すぎたとは思っています。ですが、わからないことを、わかったことにはできません」


 それは、この執務所が積み重ねてきた作法そのものだった。


「断った者がどうなるかを、私は知っていました」


 ダグラスは、ようやく最初の一文を最後まで言った。


「正しく言えば、知っていたのではありません。あの方に起きたことを見て、自分も同じ目に遭うと思った」


 声が、わずかに震えた。


「その後、前任調整官様の代になり、私は、言われた通りに動くようになりました。止めることも、尋ねることも、しませんでした」


 ロイドの筆が、止まらずに動いていた。


「一つ、聞かせてください」


 ライルが言った。


「なぜ、今日、話す気になったんですか」


「以前、証言した時から、ずっと考えていました」


「何をですか」


「知っていて黙ることと、確かめようとしないことは、同じではないかと」


 ダグラスは、欠けた綴りを見た。


「あの頁が見つかったのに、また黙れば、私は前と同じことをします」


「これで、全部ですか」


「全部ではありません」


 ダグラスは答えた。


「ですが、今、名前を伏せて話せることは、これで全部です」


「わかりました」


 ライルは、綴りを閉じた。


「今日話した内容と、直接見たこと、聞いただけのことを分けて記録します。異議はありますか」


「ありません」


「名前の開示を保留したことも」


「残してください」


 ダグラスは、証言記録を読み返した。


 直接確認したこと。


 他者から聞いたこと。


 自分がそう考えたこと。


 三つが、別の欄に分けられている。


 末尾へ署名し、静かに頭を下げて退出した。


 夕刻。


 ロイドが、証言記録と欠落した綴りを机へ並べた。


「監査室へ、追加報告しますか」


「します」


 ライルは答えた。


「欠落した原本と、人物を特定しない証言が得られたこと。氏名は証言者が保留していること。病没の記載に確認者がないこと」


「推測は」


「入れません」


「五十七との関係も」


「書きません。今は、別々の異常です」


 欠けた綴りは、元の棚へ戻さない。


 現在の保全番号を振り、欠けた状態を図にして残す。


 証言記録とは別々に封じ、相互参照だけを付ける。


「欠けた部分を、写しで埋めることはできませんね」


 ミラが言った。


「埋めない方がいい欠落もあります」


 ライルは答えた。


「なくなっていること自体が、今残っている事実です」


 一人になった執務所で、ライルは、欠落直前の頁の写しをもう一度開いた。


 几帳面な字が、ある日を境に途切れている。


 誰かが、今この執務所でやっていることを、七、八年も前に始めていた。


 一人で始めたのか。


 誰かと進めていたのか。


 それさえ、まだわからない。


 ただ、続けられなかったことだけは、紙の切れ目として残っていた。


 自分がここで作ったものも、自分がいなくなれば途切れるかもしれない。


 その考えが、胸の奥に冷たく残った。


 だから、人へ渡している。


 ロイドへ。


 ヴェクへ。


 ミラへ。


 カイへ。


 一人が消えても、全部が消えないように。


 ライルは、手帳に一行だけ書いた。


 ——あの方。氏名は、まだ確認できず。


 窓の外は、とうに暗くなっていた。


 収穫はまだ半ばで、明日もカイからの報せが届く。


 畑の順番と、書類の順番。


 どちらも、まだ途切れていない。


 蝋燭を消した。

お読みいただきありがとうございます。


次回は明日19:10更新予定です。

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