第三十九話「紋が、重なる」
着任九十八日目の朝。
北西の貴族家から、追加照会への回答書状が届いた。
ロイドが封を確かめ、記録した上でライルに渡す。
「買い手の実名、運搬経路、支払い時期、品質判断者、継続終了条件——ここまでは、すべて回答があります」
「商会との関係については」
「一文だけです」
ロイドが該当箇所を読み上げた。
「本家として、南通り穀物商会との直接の取引関係はございません」
ライルは、その一文を二度読んだ。
「直接の、という言葉が入っています」
「本家として、という言葉もです」
ロイドが指摘した。
否定しているのは、本家が直接取引していることだけだった。
間接的な関係。
本家以外の関係。
そのどちらも、この一文では否定されていない。
「嘘ではありません」
ライルは言った。
「ですが、答えていないことがあります」
「聞き方が悪かったのでしょうか」
「いいえ。答え方を、選んでいます」
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書状には、もう一枚別紙が添えられていた。
運搬経路についての補足で、街道の中継地・継立場での荷の積み替え手配を示す実務的な文書だった。
差出人は本家ではなく、別の名義になっている。
ロイドが封蝋を確認した。
「これは、本状とは違う印です」
「見せてください」
ライルが受け取る。
盾のような外形。
中央に、枝分かれした線。
だが今回は、欠けていない。
完全な形で見えていた。
枝の下に、小さく添え字がある。
「商務分家」
ロイドが読み上げた。
「北西の貴族家の、分家ということですか」
「印の作りが、本家の紋を基にしています。ただ、添え字がついている分、格が一段下です」
ダグラスを呼んだ。
「以前、荷馬車の書状で見た紋を、覚えていますか」
「はい。盾の外形と、枝のような線」
「これと、比べてください」
ダグラスがしばらく見比べた。
「同じ系統の紋に見えます」
ダグラスは、すぐには断定しなかった。
「盾の形と、見えていた枝の角度は一致します。ただ、あの時は封蝋の端しか見えませんでした。添え字まで同じだったとは言えません」
「添え字は、見えましたか」
「いいえ。あの時は、そこまでは」
「別の紋である可能性は」
ライルは念のため尋ねた。
「残ります」
ダグラスは答えた。
「商会にいた頃、印を見分けるのも仕事のうちでした。似た紋はいくつもあります。ただ、枝の角度がここまで揃うことは多くありません」
同じ商務分家の印だった可能性は高い。
だが、今ここにある完全な印が、あの時の欠けた印そのものだと証明されたわけではない。
「荷馬車の相手は、北西の貴族家の本家ではなく」
ロイドが言った。
「分家だった可能性が高くなります」
ライルは頷いた。
符合しなかった紋章が、ここで重なった。
確定ではない。
それでも、北へ向かった荷馬車と、北西の貴族家の商務分家との間に、一つの照合点ができた。
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ダグラスが、以前の商会での経験を思い出しながら言った。
「本家と分家は、別の帳面で動くことがあります。私がいた頃も、大きな家との取引は、名義を分けて記録することがありました」
「本家に累が及ばないように、という理由ですか」
「そういう場合もありますし、単に商務は分家が扱う、という慣習の場合もあります」
「今回が、どちらかはわかりません」
ライルは言った。
「本家が、分家の動きを把握しているかどうかも、わかりません」
「分家が、ヴォルツ様の提案を受けただけなのか。以前から取引があったのかも」
「わかりません」
「調べる方法は」
「今は、ありません」
本家に直接問えば、詮索していることが伝わる。
分家に直接問えば、警戒される。
わかったことと、わからないことを、今は分けておくしかなかった。
「本家からの回答は、これで一区切りですか」
ロイドが尋ねた。
「一区切りです。ただし、答えていない部分があることは、記録に残します」
「継続取引の返事は」
「まだ出しません」
「補助者の採用試験は、予定通りですか」
ロイドが尋ねた。
「変えません。応募は何名か」
「今のところ二名です。締め切りまでにもう少し増えるかもしれません」
「急がず、予定通り進めてください」
貴族家の件で判断が増えたからといって、他の予定を崩す理由にはならない。
一つずつ、決めた順番で進める。
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昼過ぎ、ヴェクが受付の帳面を片付けながら言った。
「北西の貴族家からの書状、今日で四通目です」
「多いですか」
「多いというより、丁寧です。毎回、こちらの照会に沿って、項目ごとに答えています」
「都合の悪いところだけ、うまく避けている」
ロイドが言った。
「その避け方も、丁寧なやり方の一つです」
ライルは言った。
乱暴に断る相手ではない。
乱暴に踏み込んでくる相手でもない。
だからこそ、何を考えているかが見えにくい。
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夕刻、ゲオルグが水路の見回りのついでに寄った。
「また、貴族家から書状が来たと聞きました」
「はい」
「ヴォルツの方は」
「表向きは、変わりません」
「裏で、つながっているんですね」
ゲオルグの言葉は、確認というより独り言に近かった。
「そう見える材料が一つ増えました。ただ、欠けた印からの照合です。本家がどこまで知っているかも、まだわかりません」
「本家と分家は、違うんですか」
「同じ家ですが、別に動くこともあります」
ゲオルグは少し考えた。
「村でも、似たようなことはあります。本家の当主が知らないところで、次男や三男が商売をしていることが」
「その場合、本家はどう扱われますか」
「知らなかった、で済むこともあれば、監督不行き届きと言われることもあります」
単純な善悪では割り切れない構造だった。
ゲオルグの言葉が、貴族家にもそのまま当てはまるかどうかはわからない。
だが、似た形はどこにでもある、ということだけは示唆していた。
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同じ頃、官倉の見回りに来ていたニルスが、ロイドから断片的に事情を聞いた。
「貴族家が、二つに分かれて動いている、ということですか」
「同じ家の中で、役割が分かれている、というだけかもしれません」
ロイドが言葉を選びながら答えた。
「なら、うちの土地の件も、誰か一人だけを止めれば終わる話じゃないのかもしれませんね」
ニルスがぽつりと言った。
「ダグラス様、ベルクさん、ヴォルツ様。それぞれが、それぞれの持ち場で動いていただけで」
「関わった人間の責任が、なくなるわけではありません」
ロイドは答えた。
「ただ、誰か一人を罰するだけでは、同じ形が残るかもしれません」
「終わらないというより……仕組みを直さないと、また同じことが起きる、ということだと思います」
ニルスは、それ以上は何も言わず、官倉の扉を確かめて帰っていった。
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夜、ライルは執務所で一人、机の上に三枚の紙を並べた。
北西の貴族家、本家からの回答書状。
分家の名義による運搬手配書。
ダグラスが描き起こした、荷馬車の書状の紋の記憶図。
三つの紙の上で、一つの紋が重なった。
だが、それで「誰が敵か」が決まったわけではない。
見えたのは、物事が動く経路の一端だった。
ヴォルツ一人の判断として見ていた頃より、考えるべき範囲は広がった。
本家。
分家。
商会。
それぞれが別の役割を持ち、どこかで接触している可能性がある。
だが、本家が分家の動きを知っているとは限らない。
商務分家がヴォルツと以前から取引していたとも、今回初めて応じたとも、まだ決められない。
本家が矢面に立たず、分家が実務を担い、商会が現場を動かす構造なのか。
それとも、別々の者が、それぞれの利益で一時的につながっただけなのか。
今ある記録だけでは、どちらも残る。
これまでのように、書類の矛盾や台帳の空白を突き止めれば済む話ではないかもしれない。
ライルは、その考えを紙に書きかけて、途中で止めた。
まだ、輪郭が見えただけだった。
全体の形は、まだわからない。
本家へ問い直せば、分家との役割関係について答えが返るかもしれない。
だが、役割関係がわかったとしても、欠けた印の書状が何を運んだのかまではわからない。
利害か。
縁故か。
それとも、もっと別の何かか。
一つの紋を追いかけて、ようやく輪郭が見えた。
だが、輪郭の内側にあるものは、まだ何もつかめていない。
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夜半、ライルは手帳を開いた。
着任九十八日目。
北西の貴族家、追加照会への回答届く。
買い手実名・運搬経路・支払い時期・品質判断者・継続終了条件、回答あり。
商会との関係については「本家として直接の取引関係はございません」のみ。
運搬手配の別紙、分家名義の印を確認。
ダグラスの記憶図と紋が一致。
北へ送られた荷馬車の相手は、北西の貴族家の分家である可能性が高い。
本家がこの関係を把握しているかは、不明。
継続取引への回答、保留継続。
ペンを止めた。
紋が、重なった。
だが、重なった紋だけで、本家、分家、商会の関係すべてを決めることはできない。
見えたのは、ヴォルツの先にも相手がいる可能性だった。
誰か一人を止めれば終わる話ではないかもしれない。
ライルは最後に一行だけ書いた。
紋は、重なった。線を引くのは、その意味を確かめてからでいい。
蝋燭を消した。
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次回は明日19:10更新予定です。
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