第三十七話「重なったものを、分ける」
着任七十六日目の朝。
執務所の机に、四つの報告が並んだ。
最初に、ロイドが一週間分の作業時間記録を置いた。
「集計が終わりました」
「結果は」
「受付と当日の記録は、予定していた時間内です」
ロイドは表の二箇所を指した。
「ですが、照会文の作成と、過去記録の照合に時間がかかっています。どちらも想定の一・五倍です」
「理由は」
「一件ごとの作業が遅くなったのではありません。案件数が増えています」
「一日当たりの遅れは」
「照会文で半刻。照合で半刻ほどです」
「五日で」
「一日分の仕事が、翌週へ繰り越されます」
数字は、すでに十分だった。
人手が足りないという感覚ではない。
どの仕事が、どれだけ遅れているかが見えている。
「現在、未処理になっているものは」
「照会文が三件。過去記録の照合が二件です。いずれも期限内ではあります」
「この増加が続けば」
「次の十日ほどで、期限へ影響が出始めます」
ライルは頷いた。
「補助者を一名、募集します」
ロイドが顔を上げた。
「今、決めるのですか」
「決めるために、一週間記録しました」
「担当させる仕事は」
「来訪時刻の記入。書類の分類。写しの作成。帳面の綴じ直し。定型文の転記」
「判断を伴わない仕事だけ」
「はい」
税の判断。
土地の権利。
証言の評価。
取引条件。
それらは任せない。
「募集条件を今日中に作ってください」
「読み書きができること」
「数字を正確に写せること」
「秘密を守れること」
ロイドが書き取る。
「採用は、いつまでに」
「七日以内を目安にします。適任者がいなければ、無理に採りません」
「試験は」
「短い文書と数字を書き写してもらいます。間違いがあった時に、隠さず申告できるかも見ます」
書き間違えない者だけを求めるのではない。
間違えた時に、正しく直せる者が必要だった。
「募集を始めます」
ロイドの声には、わずかな安堵があった。
自分が耐えれば回る。
そう考え続ける必要がなくなったからだ。
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次に、ダグラスが紙を置いた。
「南通り穀物商会に動きがありました」
「北へ出た荷馬車の件ですか」
「はい。あの荷馬車が戻りました」
「確認した日は」
「昨日の夕方です」
「積み荷は」
「行きと同じく、布で覆われていました」
「商会へ入った」
「裏手の荷置き場へ入りました」
「御者は」
「前回と同じ男です」
ダグラスは、もう一枚の紙を差し出した。
「荷を降ろす前に、御者が書状を一通渡しました」
「受取人は」
「ヴォルツ様本人です。裏口まで出てきました」
「封蝋は」
「見慣れない印でした」
ダグラスが、記憶している範囲を紙へ描いた。
盾のような外形。
中央に、枝か角のような線。
だが、封蝋の端しか見えていない。
完全な紋章ではない。
「貴族家の紋だと思いますか」
「可能性はあります」
「先日面会した家と同じですか」
「わかりません。委任状の印とは、見える範囲では違いました」
少なくとも、すぐに同じだとは言えない。
「書状を渡した後は」
「御者は長居をせず、裏口から出ていきました」
「荷馬車は」
「商会に残りました」
荷馬車が一往復した。
書状が渡された。
行き当たりばったりの移動ではない。
だが、誰と何を取り決めたかは、まだわからない。
「引き続き、見える範囲だけで記録してください」
「承知しました」
「近づきすぎないように」
「はい」
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三つ目は、北西の貴族家からの書状だった。
面会への礼。
面会記録の写しを受領したこと。
その後に、別紙が一枚添えられている。
「取引の打診です」
ロイドが読み上げた。
「ガルダ官倉に保管されている余剰麦について、貴家の取引網を通じて買い取りたい、と」
「量は」
「現時点で残っている分のうち、最大六十袋」
「価格は」
「隣領市場町の相場を基準。ただし、継続的な取引関係を前提に協議したい、とあります」
最大六十袋。
官倉に残る麦の三分の二。
農家にとっては大きな話だった。
だが、継続的という言葉は重い。
一度きりの買い付けではない。
相手の取引網へ、ガルダの麦を組み込むという意味になる。
「回答期限は」
「十日以内を希望すると」
「断るのですか」
「断りません」
「受ける」
「それも、まだです」
ライルは別紙を見た。
「条件の追加照会を出します」
「何を確認しますか」
「買い手となる者の名。運搬経路。支払い時期。品質の判断者。継続を終了する条件」
「相手の貴族家が、直接買うのでは」
「書面には、取引網を通じて、とあります」
誰が実際の買い手になるのかが書かれていない。
貴族家の名だけを信用して、相手の見えない取引へ入るわけにはいかなかった。
「それから」
ライルは続けた。
「南通り穀物商会と、現在または過去に取引関係があるかも尋ねます」
ロイドが一瞬、筆を止めた。
「正面からですか」
「はい」
「答えない可能性があります」
「答えないことも判断材料です」
北への荷馬車との関連は、まだ証拠がない。
だから、関連があると決めつけて問いただすことはしない。
通常の信用確認として、取引関係を尋ねる。
「回答は保留ではなく、条件照会中」
「はい」
相手の出方を見るだけではない。
判断に必要な材料を、こちらから取りにいく。
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四つ目は、帝国内政調整局監査室からの書状だった。
現地閲覧の日程。
ライルたちが提示した候補日から、一日が選ばれている。
閲覧予定の記録。
水路修繕。
農地移動。
証言。
別帳。
写し作成記録。
立会人の人数について、正式な回答を求める一文もあった。
「返答期限は」
「五日後です」
ロイドが答えた。
補助者募集。
商会と正体不明の相手。
貴族家からの取引打診。
帝国監査室の現地閲覧。
四つの問題が、同じ机に並んでいる。
だが、同じ種類の問題ではない。
「順番を決めます」
ライルは言った。
「監査室への返答を、今日中に作ります」
「最優先ですね」
「期限が最も短く、必要な条件も明確です」
次に、補助者募集。
募集を始めても、採用まで時間がかかる。
三つ目に、貴族家への追加照会。
回答期限まで余裕はあるが、相手から返事を待つ時間が必要になる。
商会については、今のところ記録を続ける。
こちらから接触する根拠はない。
「動かせるものから動かす」
ロイドが言った。
「はい。ただし、動かしやすいものからではありません」
「期限と、必要性で」
「決めます」
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午後。
ライルは執務所の外へ出た。
水路沿いを、ニルスが歩いてくる。
「今日は、書状が多かったようですね」
「よくわかりますね」
「使者と馬の音が、朝から何度もしていました」
ニルスは水路へ目を向けた。
「土地のことは、まだ動きませんか」
「監査室が現地へ来ます」
ニルスが顔を上げた。
「いつですか」
「来月上旬です」
「俺の話も、また聞かれるでしょうか」
「可能性があります」
「何を話せば」
「以前と同じことを話してください」
「何度聞かれても」
「事実が変わっていなければ、答えも変わりません」
ニルスは頷いた。
「わかりました」
少し歩きかけてから、振り返る。
「調整官様」
「はい」
「俺の土地が戻るかどうかは、まだわからないんですよね」
「はい」
「それでも、調べる者がここまで来る」
「来ます」
「では、止まってはいない」
「止まっていません」
ニルスは、それだけ確認して歩き去った。
結論は出ていない。
だが、結論へ向かう者が、実際にガルダへ来る。
それは、以前より一つ進んだ事実だった。
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夕刻。
ライルはロイドとダグラスを呼んだ。
「監査室への回答を確認します」
原本はガルダ執務所内でのみ閲覧。
持ち出し不可。
写しには、作成日、担当者、原本との照合者を明記。
閲覧範囲は、事前に届け出られた目的と記録に限定。
水路記録は、ロイド一名が立ち会う。
農地移動記録、証言、別帳は、ライルとロイドの二名が立ち会う。
「全部を二名にしないのですね」
ダグラスが聞いた。
「必要な記録だけです」
「証言者への再聴取を求められた場合は」
「本人の同意を取ります。突然呼び出しません」
「ダグラスも」
「私にも、先に知らせてください」
ダグラスは言った。
「一度話したことです。何度確認されても変わりません」
「ただし、以前の記録を読んでから答えてはいけません」
ライルが言った。
ダグラスが顔を上げる。
「記録と同じ答えを作ろうとすれば、証言ではなく暗記になります」
「自分が覚えていることを、そのまま話す」
「はい。以前との違いがあれば、それも記録します」
「承知しました」
過去の証言と、一字一句同じであることが信用ではない。
時間が経てば、記憶の細部が変わることもある。
変わった部分を隠さず、理由を確かめられることの方が重要だった。
「返答書面は、この内容で」
ライルが署名する。
調整官印を押す。
ロイドが封をし、明朝の定期便へ載せる準備をした。
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次に、補助者募集の告知を整えた。
職務。
来訪時刻の記入。
書類整理。
写しの作成。
帳面の綴じ直し。
定型文の転記。
条件。
読み書き。
数字の転記。
守秘。
判断を要する相談へ、独断で回答しないこと。
「報酬は」
「官倉の修繕人足と同じ考え方で、有償です」
「期間は」
「まず三か月。その後は、仕事量を見て判断します」
「応募者が複数いれば」
「写しの試験と面談を行います」
「身内や紹介者を優先しますか」
「しません」
誰が連れてきた者かではなく。
必要な仕事を、正確に行えるかで決める。
告知は翌朝、執務所前と集会所へ掲示する。
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夜。
ライルは手帳を開いた。
着任七十六日目。
人手。
一週間の作業時間記録、完了。
照会文作成、過去記録照合。
想定の一・五倍。
五日で一日分の遅延。
十日後から期限への影響が見込まれる。
補助者一名、募集決定。
担当。
転記、整理、写し、来訪時刻。
判断業務は任せない。
期間、三か月。
南通り穀物商会。
北へ出た荷馬車が帰着。
御者、前回と同一。
ヴォルツ宛の書状を確認。
封蝋、紋章の一部らしき形。
面会した北西貴族家の印とは、見える範囲で一致せず。
相手、内容、未確認。
北西の貴族家。
余剰麦、最大六十袋の買い取りを打診。
継続取引を前提。
回答、条件照会中。
買い手、経路、支払い、鑑定、終了条件、商会との取引関係を確認する。
監査室。
現地閲覧日、確定。
原本持ち出し不可。
写し、作成者と照合者を明記。
水路記録、立会人一名。
農地、証言、別帳、立会人二名。
再聴取は、本人同意後。
ペンを止めた。
四つの問題が、同じ日に重なった。
だが、重なって見えるからといって、一つの問題として扱う必要はない。
人手不足には、人を増やす準備をする。
監査室には、閲覧条件を返す。
貴族家には、判断材料を求める。
商会については、見えている事実だけを残す。
答えは、それぞれ違う。
期限も。
必要な証拠も。
動かすべき時も違う。
すべてを一度に解こうとしない。
分けられるものを分ける。
決められるものを決める。
わからないものは、わからないまま記録する。
ライルは最後に一行書いた。
重なったものを、分ける。
それができれば、応じる順番は見えてくる。
蝋燭を消した。
お読みいただきありがとうございます。
次回は明日19:10更新予定です。
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