第百十六話「閉じる、という答え」
着任四百六十五日目、朝。
監査室からの正式便が届いた。
「処遇の決定通知です」
ロイドが言った。
「ダグラスさんと、ベルクさんの」
「はい」
ライルは答えた。
「開けてください」
ロイドが受領時刻と封の状態を記録し、封を切った。
中の紙は二枚だった。
一枚目は、ダグラスについて。
——過去の不正関与については、本人の自発的申告、継続的な調査協力、証拠保全への協力を含め、事実関係を監査記録へ確定して保存する。
——現時点で、新たな行政上の処分は科さない。現在の職務を継続する。
——係争・監査対象書類の単独処理を禁じた本人限定の暫定措置は、本通知をもって終了する。
「終了」
ダグラスがいない部屋で、ミラが小さく繰り返した。
「はい」
ロイドが答えた。
「ただし、過去の記録が消えるという意味ではありません」
「そこも書かれています」
続き。
——本判断は過去の行為を不存在とするものではない。監査記録・本人証言・関連資料は従前どおり保存する。
ライルは頷いた。
「処分しないことと、なかったことにすることは別です」
「はい」
ロイドが二枚目を開いた。
——ベルクについて。
——旧窓口担当としての調査協力は、現時点で必要な確認を終えたものとする。
——正式な復職は行わない。
——本通知をもって継続的な協力要請を終了する。新たな具体的事実が確認された場合は、必要な範囲で改めて個別照会を行う。
部屋が静かになった。
「これで、ベルクさんも」
ミラが言った。
「宙ぶらりんではなくなります」
「はい」
ライルが答えた。
「戻すのでも、いつまでも待たせるのでもない。今ある記録で、ここまでと決めた」
ロイドが、通知の末尾を読んだ。
——なお、ガルダ執務所が今後採用する原本取扱手順については、監査室として異議なし。
「原本取扱手順」
ミラが言った。
「こちらから出した案です」
ロイドが別紙を置いた。
——監査・係争・権利変更に関わる重要原本の開封、持出、訂正、追記、差替えは、二名以上による相互確認を要する。
——確認者名、日時、目的を取扱記録へ残す。
——役職名ではなく、手順として適用する。
「ダグラスさんだけの制限を、そのまま全員への罰に変えるわけではありません」
ライルが言った。
「何が危なかったかを見て、必要な部分だけを手順にした」
「誰が筆頭役人でも」
「同じです」
「ライル様がいなくても」
ミラが尋ねた。
「同じです」
ライルは答えた。
その言葉に、ロイドが一度だけ顔を上げた。
午後、ダグラスを呼んだ。
通知は、要約せずに本人へ読んだ。
ダグラスは最後まで黙って聞いていた。
「新たな処分は、ない」
「はい」
「今の仕事は、続けてよい」
「はい」
「以前のことは、記録に残る」
「残ります」
ダグラスは、ゆっくり頷いた。
「その方が、いいです」
「理由を聞いても」
「消されたくないので」
ダグラスは答えた。
「悪かったことまで、今の自分で上書きしたくありません」
ライルは、それ以上を足さなかった。
「単独処理の制限は、終わります」
ロイドが言った。
「ですが、重要原本の二名確認は、執務所全体の標準手順になります」
「私だけではなく」
「誰でもです」
ダグラスは、しばらく黙っていた。
「私のための制限が、私がいなくても残る手順になった」
「制限そのものを残すのではありません」
ライルが言った。
「一人で抱えない方がいい仕事だった、という判断を残します」
ダグラスは、少しだけ笑った。
「その言い方の方が、いいですね」
「ベルクさんは」
ダグラスが尋ねた。
「復職はしません。継続していた協力要請も、今日で終了です」
「そうですか」
「必要な事実が新しく出れば、その時に個別に照会する。今は、それ以上追いません」
ダグラスは、長く息を吐いた。
「私だけが、残るんですね」
「残ることを、罰にも褒美にも変えません」
ライルは答えた。
「今日決まったのは、職務上の扱いです」
「償ったかどうかは」
ダグラスが言った。
「私が決める話ではありません」
ライルは静かに答えた。
「あなた自身がどう受け止めるかも、監査室の通知で決まることではありません」
ダグラスは、しばらくライルを見ていた。
それから、深く頭を下げた。
「承知しました」
立ち上がる。
「では、仕事に戻ります」
「お願いします」
それだけだった。
大きな言葉はなかった。
戻る席も、昨日と同じだった。
ただ、その席に付いている条件の意味だけが変わった。
夕方。
ロイドが、これまでの二欄整理を最後まで見直した。
閉じた項目。
第五十六話襲撃事件。
北西貴族家本家。
旧書記役タイス。
呼称「鍵」。
辞令書余白印。
ライルのガルダ赴任経緯。
広域照合の制度対応。
ダグラスとベルクの処遇。
そして、最後に一つだけ残っていた。
——あの方の実際の生死・失踪理由。
「ここを、どうしますか」
ロイドが尋ねた。
ライルは、すぐには答えなかった。
机の上へ、最後に関係資料だけを並べる。
あの方名義の書状受付日。
その後に起きた頁欠落の推定時期。
人事綴りの「病没」。
確認者署名なし。
根拠番号なし。
医療記録による死亡裏づけなし。
埋葬・遺体引渡し記録による裏づけなし。
タイスが残した可能性の高い比較写し。
——死亡確認資料、当方では確認できず。
その後、タイスはガルダを離れた可能性が高い。
あの方本人については、それより先の移動記録も、生存を示す記録も、死亡を示す別系統記録も見つかっていない。
「新しい照会先は」
ミラが尋ねた。
「ありません」
ロイドが答えた。
「これまで確認した記録の外に、具体的に指定できる資料がもうありません」
「証言者は」
「これ以上、直接知っている人物は確認できていません」
ライルは頷いた。
「では、閉じます」
ミラが顔を上げた。
「わからないまま、ですか」
「はい」
ライルは答えた。
「わからないままではなく」
少し言葉を選ぶ。
「今残っている記録では、確認できないと確定した形で閉じます」
「病没は」
「死亡事実としては扱いません」
ロイドが新しい整理票を作った。
——あの方の生死・失踪理由:現存資料から確認不能。
——人事綴り「病没」は、記載された事実として保存するが、死亡事実を裏づける根拠としては扱わない。
——生存を示す記録も確認されていないため、生存とも判断しない。
——新たな具体的資料・証言が生じない限り、追跡を終了する。
「未解決、という言葉は」
ミラが尋ねた。
「残します」
ライルが答えた。
「未解決であることと、調査を開いたままにすることは別です」
ロイドが、旧帳面の最後にその整理票を綴じた。
元の頁は消さない。
「病没」の文字も消さない。
その後ろに、何が確認できなかったかを残す。
「これで」
ロイドが言った。
「開いたままの調査帳面は、なくなります」
「未確認は、残っています」
ミラが言った。
「はい」
ライルは頷いた。
「ですが、未整理のまま残っているものは、ありません」
その言葉に、部屋が静かになった。
夜。
ヴェクが官倉の点検表を閉じた。
カイから水路の異常なしという連絡が届いた。
ゲオルグからは、井戸の水位も変わらないと報告があった。
ミラが受付の帳面を締める。
ロイドが重要原本の二名確認手順の初版に日付を入れた。
ダグラスが、その確認者欄へ署名した。
ライルは、最後に手帳を開いた。
——監査室よりダグラス・ベルクの最終処遇通知。ダグラスは追加の行政処分なし、現職継続。過去の行為と証言は監査記録に保存。本人限定の暫定的単独処理制限は終了。
——ベルクは復職せず、継続的な調査協力要請を終了。新たな具体的事実が出た場合のみ個別照会。
——監査・係争・権利変更に関わる重要原本について、二名以上の相互確認と取扱記録をガルダの恒久手順として施行。個人ではなく手順へ残す。
少し間を置き、最後の項目を書いた。
——あの方の実際の生死・失踪理由は、現存資料から確認不能。「病没」は死亡事実として採用しない。生存とも判断しない。新規具体的資料が生じない限り、追跡終了。
最後に、一行。
——全部わかったから、閉じるのではない。どこから先がわからないかを、もう動かせないところまで確かめたから、閉じる。
手帳を閉じた。
施錠棚には、閉じた帳面が並んでいた。
答えの出た帳面。
関係を確認できず閉じた帳面。
確認不能と記して閉じた帳面。
形は違う。
だが、どれも同じように、日付と理由を持っていた。
窓の外では、水路が流れている。
明日も、同じように流れるだろう。
ライルが見なくても。
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次回は明日19:10更新予定です。
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